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医療も政治も120%本気! 日本を大手術する「政界のお医者さん」:伊東 信久

医療法人 眞愛会 伊東くりにっく 理事長
伊東 信久

レーザーによる椎間板ヘルニア治療、PLDD(経皮的レーザー椎間板髄核減圧術)の第一人者にして、現役の衆議院議員としても、精力的に活動する伊東信久。医療と政治、まったく異なる世界で“メス”を振るうチャレンジャーを突き動かす原動力とは――。


自分にしかできないことをやる

身体に負担が少なく、傷口がほとんど残らないうえに日帰り手術でOKという、新しい椎間板ヘルニアの治療法、PLDDと、NKT(ナチュラルキラーT)細胞を用いたがん治療を主軸にしている「伊東くりにっく」。いずれの治療法も現時点では保険適用外の自由診療、しかも、完全予約制とハードルが高いものの、伊東氏の腕を頼り、全国から患者が集まっている。

「椎間板ヘルニアが完治したという患者さんの口コミ効果もあるようで、月に20件はPLDD手術が入ります。当院は完全予約制なので、日々のスケジュールは立てやすいですね。おかげで、医師と政治家という二足の草鞋を履くことができます」

自由診療主体で、完全予約制のクリニック。美容外科などでは普及しているものの、整形外科では珍しいシステムだ。

「医者は時間に追われて忙しいと言われますが、長年現場に携わって感じたのは、不要な業務や効率の悪さも、その一因だということ。2006年に、自分のクリニックを開業した際、これらの問題を解決したいと思い、このスタイルを確立しました。他とは違う、自分でなければできないことをやる。それが、私の信念なのです」

医師と政治家。それは、伊東氏が幼少期から抱いていた夢だった。

「母親には、『世のため、人のために尽くす医者になりなさい』と言われてきました。僕も、大切な人が死ぬということが怖くてしかたがなくて、その恐怖を克服するには、命を救う医者になるしかないと思ったんですね。政治家は、総理大臣や国会議員に憧れて……といったところです。でも、まさか両方なれるとは、当時は思ってもいませんでしたが」

6浪の末に国立大学医学部に入学

伊東氏自身が志した医師の道だが、父親はサラリーマン。しかも、伊東氏が幼稚園に入園する前に、父親の勤めていた会社が倒産。再就職はしたものの、3人の子ども(伊東氏は長男)を抱えての暮らしは、余裕があるとは言い難いものだった。

「子どもの頃住んでいたのは、風呂無しの四畳半と六畳間のみの団地。銭湯に毎日行けるわけではないから、ベランダで行水するような暮らしでした。その後、祖父母と同居するために引っ越しましたが、生活は変わらず苦しかったですね。私立の医学部の学費は到底払えないので、国立を目指したんですが、いやぁ、長い道のりでした(苦笑)」

神戸高校時代はラグビー部に所属し、第61回全国高等学校ラグビーフットボール大会にも出場。受験の直前までラグビーに打ち込んでいたこともあり、現役合格は叶わなかった。そこから、伊東氏の“受験との長い戦い”が始まる。

「予備校に通うには年間50万~100万円の授業料がかかります。親も、親戚や銀行に借りるなどしてくれましたが、足りない分はアルバイトで補いました。ラグビーで身体を鍛えていたこともあって、力仕事が多かったですね。毎日ヘトヘトに疲れて、勉強どころじゃなかった(笑)」

授業料を稼ぐためにバイト三昧の日々を送り、勉強する時間は短くなる。本末転倒に思えるが、当時は、他に道がなかった。

「何度となく心が折れそうになりましたし、不安で夜眠れないこともありました。死ぬより辛いことってあるんだなと、思ったくらいです。でも、ここでやめても何も残らない。だから、必死にしがみつき、6浪して、ようやく神戸大学医学部に合格しました。それまで、自分を信じて見守ってくれた両親には、心から感謝しています」

消去法で選んだ整形外科が政治の道を拓いた

神戸大学医学部を卒業後、大阪市立大学大学院医学研究科に入学。もともと脳神経外科医か心臓外科医になりたいと思っていた伊東氏だが、早く一人前の医師として独立すべく、形成外科医になることを決意。大学院修了後、さまざまな現場で経験を積む中で出会ったのが、形成外科の脳神経外科や整形外科の研修で知ったレーザーによる椎間板ヘルニア治療、PLDDだった。

「何時間もかかるような大手術をこなす医者はすごい。そう思われがちですが、患者さんにしたら、短時間で終わって、入院日数も短くて、しかも効果が実感できる治療の方がいいに決まっています。僕は、医療業界ではなく、患者さんにとっての名医になりたかった。それで、PLDDを知った時、『これだ!』と思ったんですね。指先の感覚を頼りに、神経や血管を傷つけないように細やかにカテーテルを操らないといけないのですが、僕、意外と器用なんですよ。浪人時代、飲食店のバイトで玉ねぎのみじん切りをした時に、ものすごく上手にできてね。『オレ、意外と器用じゃないか』と、その時気づきました(笑)。そう考えると、人生で無駄な経験って、ひとつもないんでしょうね。この技術のおかげで私のPLDDの患者様は皆様入院なしで当日帰ることができます」

無駄な経験はひとつもない。その言葉通り、PLDDの治療を始めたおかげで、タレントのやしきたかじん氏のヘルニア手術を担当し、それが縁で、橋下徹氏や吉村洋文氏と知り合い、2012年、橋下氏が設立した維新政治塾に一期生として入塾。同年12月の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認(みんなの党推薦)で大阪11区から出馬し、見事初当選した。

「家が貧しかったために自由に進学先を選べない辛さや、学生時代に受けた奨学金を返済する大変さ、現場に携わったからこそ痛感した医療制度や社会保障の問題。それらを、『変えなければいけない』という想いが強くなってきた時に、橋下さんに出逢い、政治家への道が開けました。禍福は糾える縄の如し。人生、悪いことと良いことが、交互にやってくるのは本当ですね」

机上の空論にしないために必要なのは、現実感

2021年10月、第49回衆議院銀総選挙で今度は大阪19区から3回目の当選を果たした伊東氏。現在は、現役医師のキャリアを活かしながら、バイオシミラー(バイオ後続品)の使用促進に向けた超党派の「バイオシミラー使用促進議員連盟」の事務局長や、「乳がん・子宮頸がん検診促進議員連盟」の副会長を務めるなど、医療制度や社会保険制度の改革に力を注ぐ。

「現場を知らない人たちが、どんなに議論を重ねても、それは机上の空論になってしまいます。僕が医師を続けながら政治活動しているのは、現場感を大切にしたいから。維新の会は、大学までの教育無償化を提言していますが、これも、僕は現実感をもって発言ができます。遠回りしたみたいな人生だけど、すべてのことに理由があるんですよね。僕がここまで頑張ってこられたのも、幼少期の貧しさ、ハングリー精神がベースにあるわけですし」

ハングリー精神と、「自分にしかできないことを」という矜持。それを武器に、伊東氏は、これからも「政界のお医者さん」として、日本が抱える病に挑み続ける。

ラグビーはライフワークのひとつ

高校時代から始めたにも関わらず、第61回全国高等学校ラグビーフットボール大会に神戸高校のNo.8として出場。

プレー中、全体を把握しながらゲームを組み立てるポジションは、「分析力や先を見通す力を養うことができた」と伊東氏。

写真のユニフォームは「全国大会に出場するとユニフォームがもらえるんですが、これはレプリカ。

病によって30代の若さで亡くなったキャプテンを追悼する大会のときに作ったもので、襟の裏に、彼の名前が入っています」という特別な一着。

※掲載内容は2022年6月22日現在の情報となります。

がんと闘う「NKT細胞標的治療」

伊東 信久

出版社名:幻冬舎メディアコンサルティング
発行年月:2021年9月27日

がんや感染症は防ぐことができる時代へ。免疫細胞「NKT細胞」を活性化することで最強の免疫を獲得できる