江戸時代に確立し、現在は国の選定保存技術に認定されている藍染料「すくも」の製造技術。そして染色技術・天然灰汁醗酵建藍染(てんねんあくはっこうだてあいぞめ)。伝統的な技法と希少な原料を用い、日夜藍甕(あいがめ)と向き合う藍染師を突き動かすのは、「日本の文化を守る」という信念だった。
世界が注目する「藍染」の伝統技法を守る、藍染師の揺るぎなき信念
古より解毒や抗炎症薬として用いられていた藍。藍で染めた生地は殺菌や防虫、消臭、燃えにくいといった特性があるため、鎌倉時代以降は武士が愛用、木綿が普及した江戸時代には野良着や火消半纏(ばんてん)、のれん、座布団など幅広く活用されてきた。
インド発祥のインディゴ・ブルーをはじめ、世界各地に藍染は存在するものの、日本の藍染は固有の醗酵技術を用いているため独特の風情を放ち、明治初期に来日したイギリス人化学者が「ジャパンブルー」と称えたほど。また、東京オリンピック、パラリンピックではエンブレムに藍色が採用されたことも記憶に新しい。
その美しい色合い、優れた効能、そして天然成分のみで仕上げるという環境への優しさが今改めて見直されており、日本の藍染は近年、国内のみならず世界からも熱視線を集めるようになっている。
しかし、現在流通している製品には合成染料を使ったり、染色過程で化学薬品を用いて安く手軽につくったものが少なくない。この現状を憂(うれ)い、天然原料と昔ながらの染色技法を守り、真のジャパンブルーを後世へとつなぐべく奮闘しているのが、本藍染雅織工房代表取締役で、天然藍染師の中西秀典だ。
「海外の藍染と私たちの藍染は、原料も技法も根本から異なります。日本ならではの藍染を次の世代に伝承する。それが、私の使命だと思っています」
インドはマメ科、フランスはアブラナ科など国や地域によって原料とする藍は異なるが、日本では蓼(たで)科の蓼藍を使用。戦国時代までは「沈殿法」という色素の抽出方法が主流だったが、これだと夏の暑い時期しか作業ができないのが難点だった。
しかし、藍の葉を100日かけて醗酵させ、「すくも」と呼ばれる染料をつくる方法が考えだされ、一年中藍染を行うことが可能に。また、この「すくも」を灰汁、石灰、日本酒などと醗酵させ、芋や麩(ふすま[小麦の籾殻])を加えた液で染色する「天然灰汁醗酵建藍染」という技法を確立。江戸時代にそれが広まり、日本の伝統的な藍染となった。
「うちが使っているのは、徳島県で代々続く『すくも』のつくり手、佐藤家(佐藤阿波藍製造所)のもの。一年草の蓼藍は、毎年種を蒔いて苗植えし、収穫後は染料の元となる葉だけを天日乾燥させるのですが、今では大半の藍染師が火を利用するところ、佐藤家は昔ながらの天日干しのみ。しかも、平安時代から京都で栽培されていたという白花小上粉(しろばなこじょうこ)という品種を育て、日本で唯一製藍しています。佐藤家の『すくも』なしでは、伝統的な藍染はできません」
現在広く流通している蓼藍は、赤やピンクの花を咲かせる紅花種。一方、白い花をつける白花小上粉は生育に時間がかかるが、色素の含有量は紅花種の2倍以上多く、青みも強い。“藍48色”と称されるバリエーション豊かな藍色は、白花小上粉あってこそだといえよう。
実は、過去に蓼藍が消滅の危機に瀕したことがある。第二次世界大戦中、畑を食糧栽培に転換させるため、政府が蓼藍の栽培を禁止したのだ。
「蓼藍の危機を憂えた佐藤家の17代目が、姪とともに山奥で密かに栽培を続けたんです。もちろん政府の方針に反しているので、憲兵に見つかったらひどい罰を与えられたでしょう。その行為は命がけだったと思います」
佐藤家は、藍染伝承の立役者でもあったというわけだ。
ロボット製造から藍染へと180度転換
中西が藍染師を志したのは20歳の時、呉服製造業を営んでいた父が天然灰汁醗酵建藍染に特化した会社を興した1988年のこと。中西自身はそれまで電気機器メーカーでロボット製造に携わっていたというから、真逆の世界への転身だった。
「天然灰汁醗酵建藍染は蓼藍の栽培から染めの作業まで、先人たちが必死に守り抜いた伝統が息づいています。これを途絶えさせるわけにはいかない。学生時代から父の仕事に同行し、藍染の素晴らしさを知っていたから、迷いはありませんでした」
相当の覚悟を持って飛びこんでから2年、中西はすくも製造を学ぶため、国選定阿波藍製造技術無形文化財保持者である、佐藤家の19代目・佐藤昭人に師事。藍染の知識と技術を学び研鑽すると同時に、戦後、江戸時代の技術に劣っていた絹糸の藍染復活にも力を注いだ。
繊細な絹糸の藍染は難しい。特に濃く染め、その色を長年維持させるには卓越した技術が求められる。ゆえに、絹の反物を扱える藍染師はいても、絹糸を高いレベルで染められる職人は当時すでに絶えていた。
「藍染した絹でつくられた徳川家康の小袖を見たことがありますが、今でも着られる状態を維持していてとても驚きました。これを途絶えさせてはいけない。だから自分が絹の反物も糸も扱える藍染師になろうと、31歳の時に独立したのです」
厳しい修業と試行錯誤の末、絹糸を理想的な藍色に染めることに成功。中西のつくる藍染の着物は品質や色味、デザインも高く評価され、清水寺をはじめ京都の名だたる神社や寺に奉納され、京都工芸美術作家協会展京都府知事賞も受賞。しかし、和装文化が衰退している今、経営者としては販売や流通経路など課題も抱えているという。
「藍染のよさを、ひとりでも多くの人に知っていただきたい。なので、抗菌作用を活かしたマスクやタオル、気軽に使えるストールやTシャツなど、現代の生活にあった製品も手がけています。これらを入り口に、いずれ藍染の着物を手に取っていただければ」
自然由来ゆえ、収穫年の藍の出来や染める日の液の状態によって微妙に色が変わり、ひとつとして同じものがない藍染。至高の藍色を追求し、今日も藍甕と向き合う中西が見つめるのは、誇るべき日本の伝統が息づく未来に違いない。
伝統技法、天然灰汁醗酵建藍染の工程
中西秀典の3つの信条
1.先人に恥じないよう噓のない仕事をする
本藍染と謳いながらも合成染料を加えたり、愛染液の醗酵に化学薬品や還元液を用いる藍染師が大半。そうした技法では色褪せが激しく、藍の効能も実感しづらい。「日本の藍染本来のよさをお届けするため、決して手を抜かず、まじめに正直な仕事を貫きます」
2.藍液は生き物。日々真剣に対話する
「天然の藍染液は、毎日醗酵を続ける“生き物”。状態を見誤り、加える材料や量を間違えないよう、日々真剣勝負です」。藍液は製造時期によって色の濃さが違うため、どの甕に何回浸すか、色味を見ながら調節。「理想の色に仕上げるに、いっさい気が抜けません」
3.次世代につなぐべく、革新的なことにも挑戦
「次世代につなげるには、今を生きる人に愛されることが不可欠。真珠や水晶、小さなレザーを染めるなど、革新的なことにも積極的に挑戦し、藍染の可能性を広げたいですね」。天然100%で藍甕に入る大きさならば、あらゆる素材に取り組んでいきたいという。
日本が誇る最高峰の技を体感せよ!
GOETHEが運営する体験型の新しいプロジェクト「JAPANDORAKU」が満を持して始動! その第一弾として、本藍染雅織工房での藍染体験を受付中だ。