日本陸上界で盛り上がりを見せているのが男子4×400mリレーだ。パリ五輪のフィナーレを飾る花形種目で、「マイル侍」との異名を取る日本代表がメダル獲得を目指す。その中心にいるのが、400m日本記録保持者の佐藤拳太郎(29歳・富士通)。高校では天文学部から、究極の無酸素運動と言われる陸上400mで世界と戦うまでの経緯とは。連載「アスリート・サバイブル」
陸上との出合いは偶然
日本勢が数々の歴史を刻んだ2023年の世界陸上選手権ブダペスト大会で、佐藤拳太郎もまた、時計の針を進めた。
高野進が1991年に出したトラックの五輪種目で最古の日本記録とされる44秒78を0秒01更新。32年ぶりの偉業を成し遂げたスプリンターは、パリ五輪へ向け準備を整えている。
佐藤と陸上競技との出合いは偶然だった。
「拳太郎」の名は格闘技好きの父が命名。幼い頃は、父が持つミットを目がけてパンチを繰り出す日々。小学生の時には野球を始めたが、のめり込むことはなかった。
「まさか自分が陸上競技をやるとは思ってなかった」
星空を見ることが大好きだった佐藤は地元の埼玉・豊岡高に進学。理由は「この学校、天文部があるんだと思ったから」。入学後は希望通り天文部に入り、星空に想像を膨らませていた。
そんな折、初めて陸上と接点ができたのは、クラスメートから「このままだとリレーに出られない…」というお願いだった。人数合わせのため、兼部というかたちで大会に出始めた。
そんなスタートから3年生の時には200m、400mで全国大会に出場。「高校時代は漫然と練習するだけで伸びていった」。隠れた才能が、花開こうとしていた。
その後の成長は、必然の努力が生んだ。確かな手応えをつかんだのが、城西大3年の2015年。オフには日本代表合宿にも初めて呼ばれ、自己記録も伸びた。
「いろいろ試行錯誤して(レース中も)修正できる。こうしたいと思ったことができるのが400m」と気づき「400mって良いなと思えた」。
200mへの未練はなくなり、専門種目として一本化。同年のユニバーシアードに出場し、世界選手権北京大会のマイルリレー代表入り。その後、日本代表常連へと突き進んでいった。
理論派スプリンター
佐藤が第一人者として走り続ける理由は、競技に対する真摯な姿勢。富士通の高平慎士コーチは「本当に日本記録保持者か、と思うほど謙虚」と証言する。
早大大学院スポーツ科学研究科にも通い、2022年度には400mの走りを研究した修士論文を提出。
「自分の経験に頼っていることに限界がきた。400mに全神経を注いで、この種目を学ぼうと思った」
10mごとに速度やストライド、ピッチなどを解析。自らが記録を伸ばす重要区間、200〜300mのコーナー区間の動作分析も行い、血肉とした。
「こうやって走りたいというものが築き上げられた。(答えを)出したものは迷いなく行える」
すでに個人ではパリ五輪参加標準記録を突破し、選考会の日本選手権が待つ。リレーでは日本代表は出場枠を獲得。
夢舞台での個人での決勝進出、マイル侍の主将兼エースとしてメダル獲得へ――。理論派スプリンターが出す結論は、花の都のトラックにある。
佐藤拳太郎/Kentaro Sato
1994年11月16日埼玉県所沢市生まれ。城西大学を卒業し、2017年に富士通へ入社。五輪では2016年リオデジャネイロ、2021年東京の男子1600mリレー代表。世界選手権では2015、2017、2019、2023年と同代表。個人では2023年世界選手権で準決勝進出。1m73cm、63kg。趣味は星空鑑賞で「埼玉の山奥で寝転んでいる」。好きな星座はオリオン座。
■連載「アスリート・サバイブル」とは……
時代を自らサバイブするアスリートたちは、先の見えない日々のなかでどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「アスリート・サバイブル」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。