伝統の歌舞伎界で今も舞台に立つ現役最高齢の名脇役・市川寿猿さん。片や医学界の常識に囚われず闘い続ける医師・和田秀樹さん。開始早々、寿猿さんが歌舞伎の動きを指導し始めたから、さあたいへん。面白異色対談の始まり始まり〜! 『80歳の壁』著者・和田秀樹が“長生きの真意”に迫る連載。2回目。

いついかなるときも声を張るのが僕の生きかた
和田 寿猿さんの声の良さは、やはり長年の訓練の賜物ですよね。
寿猿 そうかもしれませんね。声の大事さを知ったのは『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』という芝居のときでした。一昨年亡くなられた旦那(三代目猿之助)が細川勝元を演じて、僕は外記の役でした。先生、このお芝居はご存じ?
和田 いえ、知りません。どんなお話ですか?
寿猿 伊達家のお家騒動の話です。乗っ取りを企む側と守る側がいましてね。旦那さんはそれを裁く名奉行・勝元の役。僕は伊達家を守る老臣の渡辺外記左衛門(げきざえもん)の役でした。普通はね、やらせてくれないんですよ。
和田 そうなんですね。
寿猿 でも勉強会(自主公演)でね、僕が外記を務めていたから、旦那が「寿猿がいい」と言ってくださって、本番でもやることになったの。
和田 抜擢されたんですね。
寿猿 はい。で、外記が短刀で腹を刺される場面があるんです。僕は手負いになった爺さんのつもりでセリフを言ったんですよ。
和田 なるほど。
寿猿 そうしたら旦那から注意をされた。「お客さんは爺さんが手負いで喋ってるのはわかっている。あんたがそれ以上を見せようと思うと、お客さんに声が聞こえない。声が聞こえなかったら、あんたがいくらうまくやってもダメなんだよ」と。「とにかくあんたは自分の声でやってちょうだい」と言われましてね。それで僕は、その通りやりました。すると知っている人がね「寿猿さん、3階まで声が通っていたわよ」と言ってくださった。
和田 いいですね。
寿猿 そのときに僕は思ったんですよ。ああ、やっぱり爺さんの役でもケガをしている役でも、声だけは歌舞伎座の隅々まで、はっきり通さないといけないんだなと。そのときから僕は、何やっても声を張っているんです。
和田 なるほど。
寿猿 はい。この間、『鬼平犯科帳』というお芝居で軍鶏鍋屋のおやじを演じたときも、やっぱり自分の声でやりました。やっぱり「3階まで通っていたわよ」と言われて、うれしかったですね。
和田 95歳の今も歌舞伎座の3階席まで声が通る。すごいです。声を出すことは、前頭葉を刺激できて、元気の素になるので、とてもいいことだと思います。
寿猿 僕は女形もやりますが、同じように声を張ります。ただ、役によって使い分けはします。例えば、おじいさんだとこうなります。(寿猿さん実演)「何が何してなんとやら」。
和田 あー、おじいさんですね。
寿猿 おばあさんだとこう(実演)「何が何してなんとやら」。
和田 見事ですね。寿猿さんがおばあさんに見えます(笑)。
寿猿 若い役だとこう(実演)。「何が何してなんとやら」。子役だとこうなります(実演)。「何が何してなんとやら」。
和田 さすがですね。同じセリフでも全然違う人に見えます。
寿猿 役者ですからね。使い分けをしないとダメなんです。
和田 声を出す練習は稽古場とかでするんですか?
寿猿 いえ。うちでやります。
和田 へえー。おうちはにぎやかそうですね?

歌舞伎役者。1930年東京都浅草生まれ。主に立役(男役)。屋号は澤瀉(おもだか)屋。女歌舞伎の坂東勝治に入門。二代目市川猿之助や三代目市川猿之助に師事。1975年、二代目市川寿猿を襲名。旧ソ連での歌舞伎公演やスーパー歌舞伎の初演にも参加する。現役最高齢ながら、現在も年間100回近く舞台に立ち続けている。歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」通し狂言『義経千本桜』の第三部Aプロ(2025年10月1〜9日)に出演。
奥様は星になった
寿猿 うちの奥方はね、2年前に星になっちゃったんですよ。あの世に逝っちゃった。
和田 残念ですね。
寿猿 僕は「死ぬ」とか「亡くなる」って言葉は嫌なんです。
和田 そりゃそうですよ。
寿猿 だから「星」って言うんです。僕も早く星になりたい。
和田 いや、そんなこと言わないでください。
寿猿 うちの奥方はね、僕がセリフの稽古をしても聞こえないふりをしていました。普通は「うるさいわね」って言うでしょ。
和田 いい奥様ですね。
寿猿 はい。いなくなってみると余計にいい奥方だとわかります。うちは子どもがいなかったからね、会話は芝居のことばかり。あの芝居がよかった、誰がよかったという奥方の意見は参考になりましてね。僕の舞台も、初日は必ず見に来てくれました。だけどね、僕のことは全く褒めてくれないんです。「どうだった?」って聞くと「そうね、あんなもんでしょ」って素気ないんです(笑)。
和田 だけど今も寿猿さんを照らしている。星になってね。
寿猿 本当にね、うちの奥方が陰でなにかやってくれてるんじゃないかなと思います。僕には何も言わなかったけど、引き出しを開けるといろいろなものが整理されている。必要なものがさっと出せるようになっているんです。
和田 いいお話ですね。

精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』『幸齢党宣言』など著書多数。
もう一つの失敗
寿猿 対談の1回目で失敗の話をしたでしょ。もう一つ大きな失敗があるんです。『奴道成寺(やっこ どうじょうじ)』という演目でね、旦那(三代目猿之助)が三役を演じ分けて踊るんです。僕は後見として、旦那の息に合わせて3つのお面をパッパッと渡す役目でした。だけど、僕は渡すお面を間違えた。
和田 大変だ!
寿猿 はい。旦那は「違うよ!」と言って、咄嗟にお面に合わせた踊りをしてくれました。でも僕は頭の中が真っ白になって、次に渡すお面がわからなくなったんです。諦めて、お面を床に並べました。
和田 猿之助さんも困ったでしょうね。
寿猿 はい。旦那はクルッと舞って、下に置かれたお面を拾ってからまたクルッと舞う。それをくり返して、その場面をやり切ってくださいました。
和田 さすがですね。でも寿猿さんは大失敗。叱られたでしょう。
寿猿 はい。普段は淡々と叱る人でしたが、そのときは大声で。
和田 でしょうね。
寿猿 お客さんからもね。「あれじゃあ、猿之助さんが可哀想よ。寿猿さん、ちゃんとやんないとダメじゃない」って言われて。
和田 落ち込みますね。
寿猿 はい。でもね、その夜勉強会があったんですよ。僕はもうやる気も出なかったんですけどね。そうしたら、誰かに両肩をバーンと勢いよく叩かれた。藤間紫先生でした。旦那の奥様です。
和田 気合を入れられた?
寿猿 はい。で、こう言われたんです。「あんたね、昼の失敗は忘れなさいよ。お客さんには昼の失敗は関係ない。夜は夜でちゃんとやんなくちゃダメよ」と。僕は「ああ、そうだ。夜は夜だ」と思い直して、一所懸命に勉強会でその役を演じました。
目の前の役に心を込める。うぬぼれたら役者は終わり
和田 どうなったんですか?
寿猿 あくる日、旦那から言われました。「昨日の夜、勉強会を見てた川口先生が、あんたのことをよかったと褒めてたよ。だから昨日の失敗は許してあげる」って。
和田 よかったですね。川口先生というのは偉い人ですか?
寿猿 川口松太郎さんです。
和田 有名な劇作家ですね。
寿猿 はい。本当にね、ありがたいことです。
和田 歌舞伎の世界は、師匠にはよく叱られるんですか?
寿猿 叱られてばかりです(笑)。草履の脱ぎ方や道具の渡し方も叱られます。芝居のためになるからです。僕はその間には頭を下げてお小言が頭の上を通り過ぎるのを待ちながら、大事な部分だけを心に留めるんです。
和田 褒められることは?
寿猿 役者はお互いを褒め合ったりはしません。うぬぼれて満足したら、役者は終わりですからね。だからうちの奥方は僕を褒めなかったのかもしれません。
和田 いいお話です。
寿猿 僕もね、奥方にはずっと感謝してたけど、それを伝えないまま星になってしまった。もっと感謝の言葉を言っておけばよかったと思います。今更ですけどね。
※3回目に続く