伝統の歌舞伎界で今も舞台に立つ現役最高齢の名脇役・市川寿猿さん。片や医学界の常識に囚われず闘い続ける医師・和田秀樹さん。開始早々、寿猿さんが歌舞伎の動きを指導し始めたから、さあたいへん。面白異色対談の始まり始まり〜! 『80歳の壁』著者・和田秀樹が“長生きの真意”に迫る連載。1回目。

歴史的に見ても最年長
和田 初めまして。歌舞伎界最高齢、そんな方とお話しするのはさすがに緊張しますね(笑)。
寿猿 役者に年はないって言いますけどね(笑)。僕は3歳の時が初舞台ですから、もうずいぶん長いことやってますね。
和田 90年以上もお芝居をされているのだから、すごい。
寿猿 お客様にもね、知られているみたいですね。7月の歌舞伎座のセリフでも「じいさん、おめえいくつになった?」と聞かれるので「95になりました」とやったら大きな拍手が起きて。もうすっかり、化けの皮がはがれちゃった(笑)。だけど、ありがたいですよね。
和田 歴代の歌舞伎役者のなかでも最年長だそうですね。
寿猿 90過ぎと聞いて僕が思い出すのは、戦前戦後にかけて活躍した三代目・尾上多賀之丞(おのえたがのじょう)さん。とても元気で楽しい方でね。
和田 そうなんですね(笑)。
寿猿 自分では、年のことはそう感じませんね。
失敗したから今がある
和田 今日は寿猿さんに、元気で長生きの秘訣をお聞きしたく。
寿猿 へえー。それでわざわざ来てくださったの? ありがとうございます。でも、長生きの秘訣って、何か話せることあるかなあ。僕は長生きなの?
和田 はい、十分に(笑)。
寿猿 自分ではね、そう感じないんです。今でも舞台に立てているわけを話すなら、失敗のことも話さないといけませんね。
和田 失敗ですか?
寿猿 はい。それも小さな失敗じゃなくて、大きな失敗です。
和田 ほう。歌舞伎で?
寿猿 はい。失敗をしたおかげで「失敗は成功のもと」だとわかりましてね。それがなかったら、僕は歌舞伎役者として認めてもらえなかったと思うんです。
和田 なるほど。
寿猿 ジェスチャーを交えないと、わかりにくいのでね。あなたも一緒にやってくださる?
和田 えっ! 僕もやるの(笑)。
寿猿 『勧進帳』ってご存じ?
和田 有名なお芝居ですね。
寿猿 はい。義経と弁慶の物語でね。話を説明すると長くなるので、やってみましょう。あなたは弁慶の役。ちょっとここに座ってくださいな。実際はね、三代目・段四郎さんが弁慶で僕は後見をしてたんです。その時の大失敗なんですけどね。
和田 後見って、黒衣(くろご)みたいな人ですか? 役者さんの側にいて衣裳をパパッと替えたり、道具を渡したりする。
寿猿 そうです。でね、弁慶がこうやって「先達、お酌にまいって候」って言うんです。ちょっとやってみてください。
和田 「先達、お……」
寿猿 いや、セリフは言わないでいいです。形だけで。
主役を支える役目
寿猿 左膝を立てて座って、右手はすっと前に出す。そう。目線は富樫(関所の役人・富樫左衛門)のほうに。お顔を左側に向けるの。
和田 こんな感じですか。
寿猿 もっと腰をキュッと上げて背筋は伸ばす。右手は前、左手は後ろ。それでこんなふうに、足を少しずつ左に動かしながら身体を左に向けていきます。
和田 これ、なかなか……。きつい(笑)。で、寿猿さんは何を失敗したんですか。
寿猿 弁慶の右手にね、本当はあるはずの中啓(ちゅうけい[扇])がなかったの。その前の場面で盃を放る動作があるんですが、その時に扇も放っちゃったんですね。
和田 なるほど。寿猿さんは後見だから、さっと気づいてフォローしなきゃいけなかった。
寿猿 そう。それなのに次の段取りに気を取られてわからなかったんです。周りの人がね、小声で「おい、後見、後見」って。舞台にいる人が一斉に僕を見てるんです。「これは弁慶に何かあったな」と気づいて、弁慶を見たら扇がない。舞台の先端のライトの所に落ちてるんです。
和田 たいへんだ(笑)。弁慶は取りに行けませんよね。
寿猿 だけど僕もすぐに取りにいける場所じゃない。弁慶はそのままの態勢で構えているから、囃子方が「いよぉ、いよぉーう」という声でつないでくださって。そうして、ようやく扇を手にしたのに、今度は渡し方がよくなかったから受け取ってくれない。これが僕の大失敗です。
和田 えー。でもそれって、僕のような素人からすると、扇を飛ばしちゃった弁慶の失敗のような気がしますけどね(笑)。だけど、そのエピソードひとつにしても、主役を支える人の存在がいかに重要か、わかりますよね。
大きな声は若さの秘訣
和田 それにしても寿猿さん、声がいいですね。それに身体もよく動く。僕はさっきの動きだけできつかったです(笑)。
寿猿 声だけは3階席まではっきり届けないといけないと思ってるんです。
和田 声を出すっていうのは、老化予防にも一番いいと僕は思っていましてね。認知症とかになっても、声を出す人はあまり進まないんです。僕の患者さんもそうなんですけど。
寿猿 え、あなた先生なの?
和田 医者なんです(笑)。僕の患者さんに詩吟の先生がいるんですが、その人はやはり認知症の進行が遅い。声を出す職業の人はすごいなと思いますよ。
寿猿 僕は声を出してるほうが楽でね。芝居を続けるからには声が出て、自分の足で動けないといけませんからね。舞台で失敗しないようにと考えてると、おのずと気が引き締まります。
和田 そこに長生きと元気の秘訣があるんですね。
※2回目に続く

歌舞伎役者。1930年東京都浅草生まれ。主に立役(男役)。屋号は澤瀉(おもだか)屋。女歌舞伎の坂東勝治に入門。二代目市川猿之助や三代目市川猿之助に師事。1975年、二代目市川寿猿を襲名。旧ソ連での歌舞伎公演やスーパー歌舞伎の初演にも参加する。現役最高齢ながら、現在も年間100回近く舞台に立ち続けている。歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」通し狂言『義経千本桜』の第三部Aプロ(2025年10月1〜9日)に出演。
和田秀樹/Hideki Wada(右)
精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』『幸齢党宣言』など著書多数。