高知県安田町に酒蔵を構える1773年創業の歴史ある土佐鶴酒造。250年以上もの間、いっさいの妥協をせず真摯に酒造りを行ってきた。全国新酒鑑評会にて通算50回の金賞を受賞した酒蔵の伝統と次の時代に向けた革新に迫る。

日本酒の役割は人と人をつなげること
「高知県人は宴会のことを“おきゃく”と呼びます。私が子供の頃は、そういう場で大人たちが日本酒を手にしながらワイワイと盛り上がっていて、子供ながらに楽しそうだなあ、と思って見ていました」
幼少期の思い出を懐かしそうに語るのは、江戸時代後期、1773年創業の高知県が誇る銘醸蔵、土佐鶴酒造の十一代目で代表取締役社長の廣松慶久だ。
「宴席では、知らない人同士でも相手に差し出した自分の盃に酒を注いで飲み干してもらい、今度は返してもらったその盃に酒を注いでもらう献盃、返盃が高知流。なかにはエンドレスで盃を酌み交わす人たちがいたり、いかに高知の人間といえど、お酒に弱い方がいたり……。何はともあれ、歌あり踊りあり、大人たちが皆さん日本酒を囲み、笑顔だったことが印象に残っています」
高知に限らず、かつては全国の会社や地域の人たち、親族などが集まる場で当たり前のように多く飲まれていた日本酒。お酒を酌み交わすことで、人と人とをつなげ、コミュニティの一体感を生みだす重要な役割も果たしていた。しかし、時代の移り変わりとともに人間関係のあり方も変化を遂げ、たくさんの人が集まる場自体も減少。また、ワインやシャンパンなど日本人が好むアルコール類の多様化などもあり、日本酒の消費量が減少しているのが現状だ。
こうした時代の変遷を身をもって感じながら人生を歩んできた、現在52歳の廣松。宴席に限らず、幼少の頃から土佐鶴をはじめとする日本酒は身近な存在だった。お祭りでも日本酒はよく飲まれ、子供の頃は土佐鶴酒造の販売ブースを手伝うこともあったという。また、両親に連れられて、高知市にある実家から安田町にある土佐鶴の酒蔵もよく訪れていた。
「酒蔵に近づくにつれて、プーンと独特の香りがすることで、酒を造っていることを実感しました。酒蔵に行けば、そこで働く皆さんは、私のことを知っていましたので“坊ちゃん”とか“若”などと呼び、そう言われるうちに自分が歴史ある酒蔵の長男であることを自覚していったように思います」
そんな環境のなかで、当時の廣松は家業のことは頭の片隅に置きながらも、興味の赴くままに自身の将来についてさまざまな夢を思い描いていた。
「中学生の頃に映画にハマり、そこからは映像をやりたい一心でした。大学卒業後は広告制作会社に就職。いろいろなCM制作に携わるようになりました。そのうちに土佐鶴酒造から声がかかり、土佐鶴のテレビCMも担当するようになったんです」
当時はテレビ広告が今よりも遥かに効果的だった時代。土佐鶴も女優の三田佳子を起用したテレビCMを放送し、高知のみならず、全国のお茶の間にその名を轟かせていた。
「土佐鶴のCM制作をきっかけに、お酒についてもちゃんと勉強するようになりました」
そして、今から20年ほど前となる30歳の頃、廣松は土佐鶴酒造への入社を決意する。
「父親は以前から跡を継いでほしい感じをにおわせることはありましたが、はっきりと言われたことはなかったですね。でも、自分が30歳になる頃、父親から初めて面と向かって酒蔵を守ってほしいと言われ、年齢的にもいい区切りだと思い、家業を継ぐことを決心しました」
入社後は土佐鶴のCM制作に関わりながら酒造りを勉強。そのほかにも新製品のラベルを考案したりしながら、少しずつ会社になじんでいった。

原点に立ち返り「土佐鶴クオリティ」を徹底
そして、2011年に十一代目、社長に就任する。
「真っ先に感じたことは、長いことお世話になっているお客様たちに対して、その期待にしっかり応えていかなければならないとの思いでした」
日本酒離れが叫ばれて久しいが、世間では「大吟醸」や「純米吟醸」など、いわゆる高級酒がもてはやされていた。しかし、廣松はそればかりになってしまうと、価格の面で日本酒がより敷居の高いものになってしまうのではないかと危惧した。
土佐鶴酒造は食事に合う大衆向けの、いわゆるレギュラー酒で発展してきた酒蔵だ。だからこそ、その原点に立ち返って、日々飲んでもらえるようなレギュラー酒の品質向上に力を入れていった。
毎年、米のできばえや気候の違い、つまりは酒造りの条件が異なるなかであっても、常に同じ味わいの高品質の日本酒を生みだす。そのための独自の基準を設け、それを「土佐鶴クオリティ」として、より厳密に守ることを徹底した。
例えば仕込み水は森林率84%の豊かな自然環境に恵まれた高知の清流、安田川の伏流水を使用。蔵では早朝、品質管理室のスタッフがいくつもある井戸水のなかから最適な水を選ぶ「利き水」を行う。
また、できあがった酒に関しても、廣松をはじめ「利き酒」で日本一に輝いたことのある3名を含む7名の担当者が、できあがり直後や貯蔵後、瓶詰め前後など少なくとも5段階にわたり「利き酒」を行い、香味を確認。その数は毎日およそ100点にも及ぶ。過去にはできあがった酒が「土佐鶴クオリティ」に達しておらず、出荷を停止したこともあるほどだ。
その日々の積み重ねが評価され、土佐鶴は全国新酒鑑評会(共催:独立行政法人酒類総合研究所/日本酒造組合中央会)にて、通算50回の金賞を受賞。これは全国にある酒蔵のなかでも単独トップの実績だ。土佐鶴ではこの偉業を記念して、今年(2025年)の金賞受賞酒を詰めた「金賞50回記念ボトル」を販売。金賞受賞酒を販売するのは土佐鶴では初の試みだ。
徹底的に品質にこだわり、自他ともに美味しいと認める酒を造ったのであれば、より多くの人に飲んでもらいたいと思うのは、経営者としても造り手としても当然だ。だからこそ廣松は特に次の世代に向けて、日本酒文化をつなげていくための取り組みにも尽力していく。
「蔵元である自分たちと世間の人たち、自分より上の世代と下の世代、さらには地方の我々と都心の人たちとの間に、日本酒に対する感覚のズレが生じていると常々感じていました。だからこそ、そのズレを修正し、次の世代の感覚にも合うような、新しいことにも挑戦していく必要があると思うのです」
そこで廣松は人気のゲームとコラボレーションをしたり、よさこい祭りでのブース出店をはじめとしたイベントへの参加など、さまざまな施策を次々と講じ、日本酒とのタッチポイントを増やしていった。
2023年には土佐鶴の250周年を記念し、お祭り「土佐鶴フェス in 中央公園」を開催。
「老若男女、誰でも気軽に参加できるように、会場をホテルの宴会場などではなく、中央公園にしました。出し物やフォトスポットなどさまざまな仕かけも用意。また、炭酸を封入したレギュラー酒や甘酒のシャーベットなど、日本酒のより自由な楽しみ方も提案しました。予想以上の人気で、女性や若者が何度も並ぶ様子を目の当たりに。若い世代の日本酒離れが叫ばれる世の中ですが、ポテンシャルはすごいじゃないか、と多くのヒントを得ました」

若い世代に向けたパック酒を提案
さらに廣松は若者向けの新製品の開発にも着手する。2025年4月には“毎日がハレの日”をテーマにした普通酒「香りレギュラー」を発売した。ネーミングからして、これまでの土佐鶴酒造の日本酒とは異質の存在だが、それもそのはずで、この新商品は家電ブランド、アマダナを立ち上げたり、日本一の社会人軟式野球クラブ「東京ヴェルディ・バンバータ」のGM兼監督をしながら、スポーツのビジネス化やエンタテインメント化を実践する熊本浩志と一緒に開発したものだ。
若い世代にもっとカジュアルに日本酒を楽しんでもらいたいとの思いを込めて、敢えてパック酒を選択した。大衆向けの酒で親しまれてきた土佐鶴酒造らしい選択でもあった。
パッケージに関しても、従来の土佐鶴のイメージを覆すようなデザインを採用している。
「実は熊本さんから提示された斬新なデザイン案を社員に見せたところ、いろいろな意見が返ってきて、それをもとに修正したら、世間一般のパック酒のイメージにどんどん近づいていったんです。でも、それではこれまでとは違う層の人たちにアプローチするためにスタートした、このプロジェクトの意味がありません。しっかり新しい方向に振っていこうと社員に話して、最終的には私の判断で当初の案を採用しました」
その結果完成したのは、“香”の漢字をモチーフにした、利き猪口の蛇の目柄や花のようなシンボルマークがインパクト抜群のデザインだった。
現在は「香りレギュラー」を販売する場所や飲まれるシーンについて、世の中にこれまでにない提案をすべく、さまざまな試みを思案中だ。
「落ち着いてじっくり飲むのではなく、みんなでワイワイと盛り上がりながら、好きに飲んでもらえるような酒を目指して造った酒です。なので、フェスやクラブのような若い人たちが集まる場所にも積極的に置いていきたいと思っています」
子供の頃の廣松が見た、大人たちが日本酒を囲んで楽しそうにしている原風景。時代とともに飲み方は変わったかもしれないが、廣松が蘇らせようとしているのは、みんなで日本酒を飲みながら笑顔で語らう、かつての宴席の場、“おきゃく”で目にした、幸せに溢れた光景だ。

廣松慶久の3つの信条
1.一事が万事。些細なことも手を抜かない
父親から「そこで手を抜いたら、すべてに手を抜くことになるぞ」とよく言われていた。「利き酒をして少しでも納得がいかない場合は、そのまま出荷することはありません」
2.前例のない挑戦では自分の信念を貫く
若い人に日本酒を訴求していくためには、これまでとは違うことを行っていくことが必要。自分の信念を貫きながら、周囲と丁寧にコミュニケーションをとって課題解決を目指すことが突破口になる。
3.お酒を囲むシーンを今の時代に蘇らせる
幼少期に見た、多くの大人が日本酒で献盃と返盃を繰り返しながら仲良くなり、絆を深めていく光景。幸せな日本酒の原風景を、今の時代に合うやり方で蘇らせたいと考えている。

廣松慶久/Yoshihisa Hiromatsu
土佐鶴酒造 代表取締役社長。1973年高知県生まれ。大学卒業後、広告制作会社に就職し、CM制作に携わる。30歳を機に土佐鶴酒造に入社。2011年、同社十一代目社長に就任。日本酒を次の世代につなげるべく、新しい試みにも積極的に挑戦している。
問い合わせ
土佐鶴酒造 https://tosatsuru.co.jp/

