バイオレンス映画の巨匠として世界中にファンを持つ三池崇史監督。近年は女児向け特撮テレビドラマや韓国ホラーなど、国やジャンルを自由自在に行き来する。その三池監督が次に手掛ける作品が、2023年7月7日にスタートするテレビ朝日の金曜ナイトドラマ『警部補ダイマジン』。主演の生田斗真が「テレビでこんなことやっていいんだ!」と語ったように、地上波ドラマの限界に挑む、過激なピカレスク・サスペンス。撮影を終えたばかりの三池監督に、手応えを聞いた。
バイオレンスの巨匠・三池崇史が描く地上波の連ドラ
「原作を読んで、『今どきこれをテレビにするの?』という驚きがありました。20年前だったら多分、『ミナミの帝王』や『静かなるドン』のような、ビデオ映画の長いシリーズにできそうな題材。プロデューサー陣のユニークさ、チャレンジングなところが面白いなと」
テレビ朝日の金曜ナイトドラマ『警部補ダイマジン』の原作は、2013年にテレビドラマ化された『クロコーチ』を生み出した、リチャード・ウー(原作)&コウノコウジ(作画)コンビによる人気漫画だ。強い正義感をもつ警視庁捜査一課のエース〈ダイマジン〉こと台場陣が、法で裁けない相手に暴力で制裁を下し、巨悪に挑む姿を描く。バイオレンス映画の巨匠として、その名を世界中に轟かせる三池崇史が、地上波の連ドラで何をどう描くのかに期待が高まる。
「台場陣は、要は殺人者。そういう人物を主人公にして、どうやって週末の時間を楽しむドラマを作るのかが、やっぱり一番難しいところでしたね」
台場陣を演じるのは、『土竜の唄』シリーズでタッグを組んだ生田斗真だ。三池は「生田斗真は最高ですよ」と賛辞を贈る。
「普通は、(人を殺めることに)葛藤があるもの。それがどんなに正義のためだとはいえ。でも、生田斗真が考えた台場陣はシンプル。確信を持って、何の迷いもなくや(殺)る。法律的にはやってはいけないことなんだけど、それだけでは世の中はうまくいかないという自分の信念に正直に生きている。それが台場陣の生き方。だから彼は、人を殺してはいるけれど、世の中で一番の正直者なんですよね。
生田斗真は物語のなかで、台場陣をそういう人間として徹底して演っていたので、台場陣が葛藤をしていたとしても、そこは描く必要がないなと。物語のなかでの彼の行動を、僕は否定できなかったので、そのまま撮ることができました」
ダークヒーローの葛藤を描かず、己の信念を貫く姿のみを描き切る。生身の役者たちがそれぞれのキャラクターを振り切って演じることで、漫画原作ならではの世界観がより強固になりそうだ。
「あとは、見る人がどう感じるか。『こんなふうに見てください』ということは台本に描かれていなかったので、映像には収めていません。単にエンターテイメントとして楽しんでもらってもいいし、全部見終わった後で、ふと考える人もいるかもしれない。
描かれてはいないんだけど、シンプルで大きなテーマがありますよね。答えの出せない問いかけがそこにある。社会としては答えを出せないけど、個人的には『俺はどうする』『私はどうする』と、向き合わなきゃいけない。そういう個の部分を、みんな捨てがちじゃないですか。今って、『世の中がこうだから、こうあるべきだ』と、自分そのものを一旦捨てた状態で、世の中に巻き込まれている。そのほうが楽なのかもしれないけど。
善悪を別にして、そういう生き方に対する問いかけを、僕自身は登場人物の一人一人に感じるんですよね。誰もが正義であり、誰もが悪役である。それぞれが傷も抱えている。台場は結婚生活が破綻しているし。うまく生きていけない人たちなんだけど、登場人物全員が、どこかの瞬間で光ってほしい。どうしようもない悪いやつでも、究極のところでカッコよく見える、自分自身で光っているドラマにしました」
個性をなるべく活かす
台場陣の“弱み”を握り奴隷のように扱う人物が、頭脳明晰で冷酷な警視正・平安才門。演じる向井理は、三池組に初めて参加し、その撮影のスピード感に驚いていたという。
映画の現場は、監督をトップに、演出部、撮影部、照明部、俳優部などがあり、監督の演出を各部門に伝える役割を担うのが助監督である。
「優秀なチーフ助監督には仕事が来るので、セカンドとサード(の助監督)はそのチーフに就くようになる。そういうチームを戦力としていくつか確保しておくことで、現場の動きがスムーズになるというのはあると思います。
それと、プロの役者でも、芝居がちょっと下手なことってあるんですよ。それを直し始めると撮影に時間がかかってしまう。でも、その人にしか出せない味が出てれば、それでいいかなと。不器用で下手なまま売れれば一番いいし、それこそがスター。結局、現場って、いろんな人がごちゃまぜになっている。役者もスタッフも、能力の違う人たちが、1つの台本や作品をきっかけにその場所に集まって、『よーい、はい!』で芝居をやって、監督がOKを出していく。それ自体が面白いことだから、できるだけごちゃ混ぜのまま、整理整頓せず、丸くしていかないようにしています」
役者の個性をなるべく活かすというこのスタンスは、“役者”を別の言葉に置き換えると、いろいろな組織に応用が効きそうだ。
「今の時代、俳優さんもスタッフも、エッジの立った人って生きづらいから、なかなかいないんですけどね。事務所とうまくやっていける人じゃないと売り出してもらえないし。そういう意味で、この20〜30年で、かつてのごちゃ混ぜ感が急速に丸くなっている感じがある。穏やかでいいかもしれないけど、つまらないなって。
そんななかで今回のドラマは、向井さんとやるのも初めてだし、土屋太鳳さんは住む世界が違う気がする人だったので、ごちゃ混ぜ感があって面白かった。松平(健)さんなんて、最高ですよ。自分が(助監督として)サードの頃に撮影所にいた人だから、同じところで生きてきた気配を感じてホッとする。同じ時代を生きた人が今の世の中の、今の台本で、今の松平さんなりに、与えられた役を、今のスタッフと普通にこなしてるっていうのがすごくいい。ちょっと無理やり要求したことも、楽しそうにやってくれました。『え、やっていいんですか』『いや、やってくださいよ(笑)』みたいな。それがどんなお芝居なのかは、ドラマを見ていてわかる人にはわかると思います」
できていたことができなくなっている自分
三池崇史の代表作は、『十三人の刺客』『クローズZERO』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』など、数えるときりがない。「現在動いているプロジェクトは、日本の場合は契約を交わさないまま進んでいくので、立ち消える可能性があるものも含めて10個あるかないか」と、オファーは途切れることがない。
「30歳で監督になって、40歳ぐらいでやたら撮りまくってた。『どう考えてもこれが続くわけがない。45歳ぐらいで一旦潮が引くから、そうなったらそうなったでまた何か考えるか』みたいに思っていたけど、計画が狂いましたね(笑)。
映画会社は演出部を1人も採らないし、育てない。新しく出てきた若い人を見つけて、声をかけるというやり方。だから、自分が45歳になる頃には、企画会議で俺の名前が出たら、「もう三池はいらないんじゃない?」ってなるだろうなと思っていたんだけど、そうならずに40代、50代を過ぎて、今はもう62歳。今更やり直すこともできないし、俺は何かの機を逸したんですよ(笑)」
流れに身を任せた三池監督は、この10年は、海外でのプロジェクトをいくつも動かしていたという。
「海外でやるときは、『やりましょう』となったらまず契約をする。コロナになる前の3〜4年間は、日本で撮っている以外の時間はほぼ中国にいました。サモ・ハン・キンポーと会って企画の話をして、脚本を作って、ロケハンに行って。キャストまで固めてそれをプレゼンして、出資者を募って、商品に変えていく。独特のやり方ですよね。(自分が)プレゼン用の道具の1つなので、形にならなくてもペイされる。だから『このまま立ち消えになるといいな』『このままずっとこういうのが続けばいいのにな』って(笑)。中国がすごく景気のいいときで、プロジェクトをたくさん進めてたけど、クランクインした作品はないです。それでも日本で仕事をするよりも、収入は良かった」
せっかく取り組んだプロジェクトが形にならなかったことに、虚しくなったりはしないのだろうかと問いかけると、「全然」とニヤリと笑う。
「面白いなと思っていた企画はたくさんあるけど、大作がほとんど。いざ(実際に撮ることを)考えると、2年とか3年とか、1つの作品にずっと集中してやらなきゃいけなくなる。もちろん映画を作るのは好きだけど、何年もかかる大作ってやっぱり面倒くさい(笑)。いろんな人たちの、さまざまな要望に応えなきゃいけないこともある。俺は出身がVシネマだから、日本的なバジェットで考えると、Vシネマのなかでこそ一番の(創作の)自由があって、海外のお客さんにも届く。その点、日本の映画はバジェットがないけれど国内だけで大きく当てたいという考え方だからリスキー。だから、なんでいまだに俺を使うのかなって(笑)」
中国ではいくつかのプロジェクトが立ち消えたが、韓国では、ディズニープラスで配信されているドラマ『コネクト』の制作が実現した。
「韓国の人は、勢いがあったんでしょうね。本当に俺を呼んで、俺1人と、全員向こうのキャストで『やっちゃおう』というエネルギーがあった。『何で俺なの?』と聞いたら、『クローズZERO』が好きだって。中国でもそうでした。中国では『クローズZERO』は上映禁止なんだけど、いろんな形でリメイクされている。時代を唐にして、不良の幹部候補学校があって、駄目なやつらがいたりして(笑)。そういう風に、かつての作品が繋いでくれて、助けられています」
過去に撮った作品が、世界中に広がり、新たな選択肢を作っていく。年齢的に、体力面ではもちろん衰えを感じるというが……。
「少なくとも、自分で立ち回りをやって見せるっていうのは最近やってないです。昔は、『俳優ができることだったら俺もできるから』と言って、『こうしてこうしてこっちに動いてから後ろで後ろ回し蹴りはこうやって決めるんだ』と、殺陣師と一緒にわいわいやっていた。それが今は、ダーッと後ろに下がってキュッと止まるっていうことをやろうとしても、そのままどこまでも下がっていく(笑)。徐々にというよりも、ふと『できていたことができなくなっている自分』に気付くときがありました。よく考えると、この年齢なんだからそりゃそうだよねっていう。
自分がサードでカチンコを打っていたのが20代で、その頃ちょうど多かったのが、今の自分と同じ年齢のベテラン監督たちで。それは構造的に多かった。映画会社に勤めてテレビドラマをやっている人たちだから、ちょうどそれぐらいの世代になる。今村(昌平)さんもそう。その頃の僕から見ると、みなさん本当に、大ベテランのクソじじいに見えるわけで(笑)。ふと考えると、今の俺がそれか、と。
だからといって、自分は昔と何も変わらない。ベテランらしい動きとかはしないし、やったことのないことは何でもやってみたくなる。市川團十郎とやった六本木歌舞伎も面白かった。俺以外全員が超プロフェッショナルで、歌舞伎をあまり見たこともない俺が、歌舞伎座の宗家と言われる人にどうやって歌舞伎の演出をしろというのかっていう(笑)。20年、30年やってきても、新人としてやれることがまだまだある。守りに入っているわけでもないし、守るほどのものがないというのはいいものですよね」
この軽やかなフットワークと“三池崇史的なもの”への執着のなさが、ベテランでありながら新しいことにチャレンジし続ける彼の魅力であり強みでもある。後編では、その現場哲学に迫りたい。
三池崇史/Takashi Miike
1960年8月24日生まれ、大阪府出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)で学び、1980年代は今村昌平監督らの現場の助監督に就く。1991年にビデオ映画作品で監督デビュー。劇場長編映画デビュー作は1995年『新宿黒社会 チャイナ マフィア戦争』。ジャンルを問わず、ビデオ映画と劇場映画で多くの作品を監督し、近年は舞台作品やテレビドラマの演出も手掛ける。『十三人の刺客』(2010年)がベネチア国際映画祭に、『一命』(2011年)と『藁の楯』(2013年)がカンヌ国際映画祭で上映された。代表作に『殺し屋1』『ゼブラーマン』シリーズ、『妖怪大戦争』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(2007年)、『クローズZERO』シリーズ、『ヤッターマン』『悪の教典』『土竜の唄』シリーズ、『ガールズ✕戦士シリーズ』など。バイオレンス映画の巨匠として世界中にファンがいる。