伝統の歌舞伎界で今も舞台に立つ現役最高齢の名脇役・市川寿猿さん。片や医学界の常識に囚われず闘い続ける医師・和田秀樹さん。開始早々、寿猿さんが歌舞伎の動きを指導し始めたから、さあたいへん。面白異色対談の始まり始まり〜! 『80歳の壁』著者・和田秀樹が“長生きの真意”に迫る連載。6回目。

脳梗塞から2ヵ月で復帰。リハビリでは六方を踏む
和田 寿猿さんは怒ることはないんですか?
寿猿 このごろはね、こらえます(笑)。怒られることもあまりなくなりましたね。
和田 (笑)。2024年に脳梗塞になり、そこから復帰されたそうですね。体調はどうですか?
寿猿 脳梗塞の後、リハビリの病院でね、お医者さんに「立ちくらみがする」って言ったんです。そうしたら「これは死ぬまで治りません」って(笑)。
和田 でも、だんだん気にならなくなりますから。
寿猿 そうですね。今もこうやって、普通に歩けますからね。だけど脳梗塞になったときは、どうなることかと思いました。朝起きたらね、ライトが大きく揺れているんです。あっ、これは変だと思い、すぐに知ってる人に連絡して、かかりつけの病院に連れて行ってもらいました。
和田 早いうちに診てもらったのがよかったですね。
寿猿 そこから入院してね。リハビリ病院の入院も含めると2ヵ月ほど帰れませんでした。
和田 でも今は舞台に立ってるわけだから。本当にすごい。
寿猿 舞台でね、沼津の平作という年寄りの役でね。杖を突いて歩くんですよ。こうやって(実演)。「あんたとが、お早いお加減……」って。
和田 おっ、いいですね。
寿猿 杖を突いて歩くとね、やっぱり楽なんです。だけど舞台ではね、杖を突きながらも、足音が立つくらいにオーバーに歩く。舞台でね、本当の年寄りみたいな歩き方をしたら、間がこけちゃってダメなんです。あ、さっきもこの話しましたね。
和田 (笑)。常にお芝居のことを考えているんですね。まさに役者一筋です。
寿猿 リハビリの病院でもね、「歌舞伎でリハビリになるようなものはありますか」って聞かれたんです。だから僕は「こういうのがあるよ」って、六方を踏んで見せました。
和田 六方を踏む?
寿猿 こうやるんです(実演:片手を前に出し、片足を後ろに上げ、それを交互に繰り返しながら歩く動き)。
和田 普通のお年寄りにはできません(笑)。やっぱりもともとの体の軸と、バランスがしっかりできてたんでしょうね。

目も歯も補強すればいつまでも使える
和田 目とか歯はどうですか。
寿猿 目はね、白内障の手術したの。だから針に糸は通せますよ。木綿針と木綿糸。眼鏡なしでスッと通せます。
和田 すごすぎます(笑)。
寿猿 歯はね、全部、入れ歯です。下も上も。下の真ん中だけはブリッジになっています。
和田 硬い物も噛めますか。
寿猿 なんでも噛めます。アメをもらうとね、バリバリ噛んじゃうんですよ(笑)。
和田 (笑)。
寿猿 だけど入れ歯は困ることもありますよ。舞台でね、たまに入れ歯が飛ぶんです。
和田 また面白い話が(笑)。
寿猿 『三人吉三』っていう芝居で。この話、知ってますか?
和田 いえ。

失敗は人と人をつなぐ橋
寿猿 3人の盗賊の話。3人とも吉三郎って名前でね。松本幸四郎さんがお坊吉三の役で、僕はその家来の役だったの。ちょっとやってみましょうか。
和田 え、また見せてもらえるんですか(笑)。
寿猿 先生は幸四郎さんね。お客さんのほうを向いています。僕は家来の役で、お客さんには背中を向けている。僕は「あ、あなたはなんとかの若旦那」と言うんですけどね。「あなたはなんとか」って言ったときに、歯がパッと出てきちゃったの。口の先まで。それ見てね、幸四郎さんが笑いそうになった。
和田 それは大変だ。
寿猿 いつもはね、入れ歯には糊をつけるんだけど、このときは忘れちゃったの。だから歯が出てきちゃったんですね。
和田 叱られましたか?
寿猿 舞台が終わってね、幸四郎さんに謝りに行ったの。隣に和尚吉三役で出演していた白鸚(はくおう)さんがいらしてね、こう言われました。「あなたね、この芝居は2時間半なの。あなたがあそこでね、入れ歯を落としてお客さんが笑い、役者が笑ったりしたら、この芝居はパーなんだよ。気をつけてね」って。
和田 重みがありますね。
寿猿 はい。幸四郎さんもね、「寿猿さん、僕を苦しめないでください」って、笑いながら叱ってくださいました。
和田 いいですね。それからは歯は飛ばないんですか?
寿猿 それがね、またやっちゃったの。獅童さんのときにね。今度は完全に飛び出た。
和田 (笑)。大変だ。
寿猿 「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」って芝居があるんですよ。僕はおとっつぁんをやってるの。獅童さんはその息子の役。僕が怒ってほうきで叩く場面です。お客さんにわかるように「こら! カッ、カッ、カッ」って、動きだけじゃなく一緒に声も出すんです。そのときにね「カッ」と力を入れた瞬間に、歯が飛び出した。で、僕は慌てて、歯の上に覆い被さりました。
和田 獅童さんも慌てたでしょうね。
寿猿 はい。叩かれている獅童さんが「おとっつぁん、何をするんだい」って顔を上げたら、僕がいない。
和田 ああ。伏せてますからね。
寿猿 はい。獅童さんはとっさに下を向いて「どうしたんだい?」って切り抜けてくださったんですけど。ご迷惑をかけちゃいましたね。
和田 いやあ、さすがですね。
寿猿 そんなふうにね、いろいろな人に支えていただきながら僕は生きています。

歌舞伎役者。1930年東京都浅草生まれ。主に立役(男役)。屋号は澤瀉(おもだか)屋。女歌舞伎の坂東勝治に入門。二代目市川猿之助や三代目市川猿之助に師事。1975年、二代目市川寿猿を襲名。旧ソ連での歌舞伎公演やスーパー歌舞伎の初演にも参加する。現役最高齢ながら、現在も年間100回近く舞台に立ち続けている。歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」通し狂言『義経千本桜』の第三部Aプロ(2025年10月1〜9日)に出演。
和田秀樹/Hideki Wada(右)
精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』『幸齢党宣言』など著書多数。
若さの秘訣は常に挑戦し続けること
和田 最近はSNSもされているそうですね。
寿猿 歌舞伎界のお役に立てればと思いましてね。舞台の宣伝や日常の話、昔の思い出話などをつらつらと書きます。
和田 いいですね。やっぱりそれは、現役最高齢の寿猿さんだからできることなのかもしれません。
寿猿 そうですかね。僕は長いこと歌舞伎の世界で役者をやらせてもらいましたからね。それとやっぱりね、新しいことに挑戦していきたいと思うんです。
和田 本当にすばらしい。今日は歌舞伎の勉強と貴重なご指導もしていただいて(笑)。ありがとうございます。
寿猿 こちらこそ、ありがとうございました。