28歳でこの世を去ったプロ野球選手の人生を描いた映画『栄光のバックホーム』。この映画により、青年は永遠に生き続ける。企画・プロデュース・監督は人間ドラマに情熱を注ぐ男、秋山純。彼のものづくりの信念に迫る。後編。

横田さんが生きた証を映画というカタチにする
横田慎太郎さんの野球人生と闘病、そして第二の人生を描いた映画『栄光のバックホーム』。この物語を映像化したいと思った理由を、秋山はこう語る。
「慎太郎さんが“奇跡のバックホーム”をしたところまではよく知られていますが、その後、講演活動を頑張っていたこと、病に立ち向かっていたことは、知らない人も多いと思うんです。僕自身、慎太郎さんが感じていた孤独や悲しみ、恐怖を少しでも知りたいと思いました。そして、慎太郎さんの生きた証を映画というカタチにすることで、観た人たちの心が癒やされ、勇気を持ってもらえたらいいなという想いが一番にありました」
だからこそ、野球のシーンを大切にしたいと考えた。
「慎太郎さんは、野球に人生を懸けた方です。だからこそ、僕らも野球に真摯に向き合わないと失礼だし、観てくださる方にその想いは伝わらない。今はCGやAIでどんな映像でも作れる時代ですが、僕はアナログの力を信じています。炎天下で走って息を切らし、汗を流し、転んで痛みを感じる─。そうやって撮ったものからしか、伝わらないものがあると思います」
その“本物”を撮るために、絶対に必要な俳優が松谷鷹也だった。左肩を壊してプロの道を断念し、俳優を目指して修業中だった松谷には、横田さんと多くの共通点があった。本格的な野球経験者で、左投げ左打ちのスラッガータイプ。身長もわずか3cm差で元プロ野球選手を父に持つ。
「芝居に対する心根もいいんですよ。1万人をオーディションしても、鷹也しかいないと思います。唯一の難点が、無名であること。それでも僕は、彼でなければ横田慎太郎を演じられないと思ったんです。見城社長に『鷹也でやりたいです』と伝えたところ、『馬鹿か』と一蹴されました。『大きな映画で考えているのに、それは無理だぞ』と」
映画をヒットさせるために人気俳優をキャスティングするのは、万国共通のセオリーだ。だが、秋山は譲らなかった。見城が愛する映画『ロッキー』の、無名だったスタローンが脚本と自分を映画会社に売りこんだエピソードを引き合いに出し、「スタローンにできたことは鷹也にもできます!」と粘り強く説得した。見城はひと晩徹夜で悩み抜き、「鷹也で行こう」とゴーサインを出した。

監督・演出家。1963年兵庫県生まれ。テレビ朝日のスポーツ局で『熱闘甲子園』を、ドラマ班で『特命係長 只野仁』シリーズほか多くの作品を手がける。2018年に独立し、映像制作会社JACOを設立。映画『20歳のソウル』(2022)と『明日を綴る写真館』(2024)を自ら企画・プロデュース・監督する。
『奇跡のバックホーム』から『栄光のバックホーム』へ
映画の準備が進むなか、慎太郎さんの容態が悪化し、2023年7月18日に帰らぬ人となる。
「慎太郎さんは『映画館に観に行きます!』とずっと言ってくださっていたのに、間に合わせることができませんでした。本当に悔いが残っています」
悲しみに包まれながらも、誰ひとりとして立ち止まる者はいなかった。見城の指示で、脚本家の中井由梨子が慎太郎さんの母・まなみさんに1ヵ月で取材し、母親目線のノンフィクション『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』を3週間で脱稿。同年、阪神タイガースは18年ぶりのリーグ優勝を果たし、38年ぶりの日本一に輝いた。胴上げされた守護神の岩崎 優投手は、横田さんの背番号24のユニフォームを手に宙を舞った。中井が2冊の原作を元に作り直した脚本を手に、たどり着いた撮影初日──。
「最初のワンカットを撮った瞬間に腹を括りました。たとえ殺されても引き返さないぞ、と」
そして完成した『栄光のバックホーム』は、慎太郎さんと母親をW主人公に、実在する人々が慎太郎さんを応援すると同時に勇気をもらう姿が描かれる、感動の群像劇に仕上がった。
「実は今回、慎太郎さんの主観はワンカットも入っていません。視力を失ってからの視界のカットも、慎太郎さんから見たお母さんや友人のカットもありません。家族、友人、仲間、ライバル、想い人など、いろんな方から見た慎太郎さんのカットと、“神の視点”で構成しています。
そうすることで、慎太郎さんの目線や心情が、逆に浮き彫りになると信じて撮りました。映画はスクリーンにかけた後は観客のもの。慎太郎さんが見ていた世界や心情を、ぜひ想像してほしいなと思います」
『栄光のバックホーム』が起こした奇跡
1.脇を固める豪華キャスト陣
秋山がお世話になっている俳優たちに「奥の手を使って」オファーし、錚々(そうそう)たるキャストが集結。『特命係長 只野仁』をともにした高橋克典が慎太郎さんの父親役を演じているほか、金本知憲一軍監督を加藤雅也、平田勝男二軍監督を大森南朋、伝説のOB、掛布雅之を古田新太が、川藤幸三を柄本明が演じている。佐藤浩市、萩原聖人、上地雄輔らも出演。
2.ゆずの名曲「栄光の架橋」が主題歌に
2004年のNHK・アテネオリンピック中継の公式テーマソング。横田慎太郎はこれを現役時代の登場曲にし、入院中もこの曲を聴いて勇気づけられていたという。秋山が知人経由でゆずの北川悠仁に連絡したところ、慎太郎さんに励ましのビデオメッセージが届く。この映画のテーマ曲に使うことも、「慎太郎さんのためだったら」と快く許可してくれた。
3.タイトル『栄光のバックホーム』に込められた想い
当初のタイトルは横田さんの著書『奇跡のバックホーム』だったが、後に”奇跡”を”栄光”に変更。「見城社長のアイデアです。『奇跡のバックホームが横田さんの栄光への始まりだったんだよ。だから横田さんの人生を描くこの映画のタイトルは、”栄光のバックホーム”じゃないとだめなんだ』とおっしゃっていて。そのとおりだなと腹落ちしました」(秋山)
4.阪神関係者が語る横田さんが生きた証
「4年前、映画化が決まりそうな時、横田さんがわざわざ私に連絡をくれました。『実は映画が実現しそうなんです。脚本の打ち合わせで、お世話になった人として遠藤さんの名前を出してしまいました……お力を貸してもらうと思います……』。祝福の気持ちとともに、横田さんの人柄があふれる言葉に思わず笑ってしまったのを覚えています。
野球界だけにとどまらず、子供たちや学生、社会人など老若男女、多くの人たちに横田慎太郎の壮絶でも光輝いた人生を知ってもらえることが嬉しいです。なぜなら、横田慎太郎が生きた28年間から、私を含め周囲の人間は夢を諦めない、目標を持つことの大切さを教わったからです。
開幕スタメンを勝ち取った2016年に1軍監督だった金本知憲さんは「とにかく常に全力プレーで、常にがむしゃらだった。そんな選手だった。常に、あんな姿を見せてくれる選手にレギュラーを獲ってほしかった」と数字だけではない、野球への姿勢に「一流」を見ていました。好きなことをガムシャラに頑張れば想像もしていないことが起こる。“奇跡”を実現させた青年でした。
横田さんの1学年先輩で阪神では教育係も務めた北條史也選手(三菱重工West)は、今も社会人野球でプレイ。『ヨコのことを思ったら、まだ野球を続けないといけないと思う。あいつの分までグラウンドでまだまだ暴れたい』と魂を受け継いでフルスイングを続けています。横田さんの生き様、野球への愛は死んでいない。誰かの心にずっと生き続けていくのだと思います」(スポニチ遠藤記者)














