28歳でこの世を去ったプロ野球選手の人生を描いた映画『栄光のバックホーム』。この映画により、青年は永遠に生き続ける。企画・プロデュース・監督は人間ドラマに情熱を注ぐ男、秋山純。彼のものづくりの信念に迫る。

『熱闘甲子園』に救われた新人テレビマン時代
「テレビドラマを撮りたい」
その情熱を胸にテレビ朝日に入社した秋山純は、スポーツニュース部に配属された。1年目から毎日のようにニュースを作り、生放送に追われていると、心身に異変が起き始める。
「生放送の緊張感に自律神経をやられてしまいました。現場で気を失い、救急車で運ばれたこともあります。2年目に、『このままじゃ無理だな、もうやっていけないな』と思っていると、先輩が『「熱闘甲子園」に行け。そこでもダメだったら仕事を諦めろ』と言ってくれたんです」
神戸出身の秋山は、幼少期から西宮球場や甲子園球場で、プロ野球や高校野球を観戦していた“野球ファン”だった。
「『熱闘甲子園』時代は、朝から晩まで寝る暇がないくらい、ものすごくハードでした。でも、関西出身だからか水が合っちゃって、すごく楽しかったですね。自分が企画して作ったものも評判になって、いつの間にか病気も治っていたんです。『熱闘甲子園』が僕を救ってくれました」
秋山がスポーツを好きな理由は、プレイの裏側にある“人間ドラマ”にあったという。
「スポーツは表だけを描いても実は面白くなくて。全部に物語があるんですよ。例えばセカンドゴロひとつとっても、そのバッターがリハビリ後にようやく立ったバッターボックスで、会心の当たりだとしたら、本人にとっては大きな意味がある。その現象だけを見るのではなく、その裏側や奥にあるものについていつも考えて、それを伝えようとしていました。それが今も役立っている気がします」
ノンフィクションにドラマを見いだす場合、作り手の願いや思いこみが、事実を都合よく利用したり、歪曲(わいきょく)したりする危険性がある。それを避けるためには、「入念な取材とリサーチしかない」と秋山は断言する。
「誰かを映すことや何かを表現することには、大きな責任が伴います。だから、主観だけではなく、世間の皆さんがその人や出来事に注目している理由や、もしくは批判する理由を、とことん分析しなくてはいけない」
初プロデュース映画『ポストマン』が人生の転機に
異動願いを出し続け、29歳でドラマ班への異動がかなう。スポーツ局では番組のチーフディレクターを任されていたが、現場の助監督から経験を積み直し、ゴールデンタイムのドラマで演出家デビュー。そして、2008年に転機が訪れる。
「スポーツ局時代からとても親しくさせてもらっていた長嶋一茂さんから、『映画をやりたい』と相談を受けたんです。プロデューサーとして初めて映画に関わり、宣伝や配給の大変さ、上映館数を決めるリスク、お金事情など、多くを学びました」
長嶋一茂が主演と製作総指揮を務めたその映画『ポストマン』は、興行成績の面では失敗に終わったが、秋山にとって、「それでも映画の世界に行きたい」と強く思わせる礎となった。
「幻冬舎の見城(徹)社長が試写会にいらっしゃったんです。ご挨拶するのがやっとの、雲の上の存在でしたが、試写室から出てきた見城社長が涙を流しながら『秋山! お前、いい仕事したな!』と言葉をかけてくださって。母ひとり子ひとりの母子家庭で育ち、鍵っ子だった僕を救ってくれたのはテレビドラマや小説です。でも、わざわざ映画館に出かけて観る映画には、やはりかけがえのない魅力があることを実感させてくれたのが、この『ポストマン』でした」
55歳の時に準定年でテレビ朝日を退職し、映像制作会社を設立。他局でもドラマを演出し、インディーズ映画を何本か撮っていた。2021年のある日、見城のSNS「755」で、横田慎太郎さんの著書『奇跡のバックホーム』が幻冬舎から出版されることを知る。この時すでに、見城は映画化を考えていた。
横田さんは2013年に阪神タイガースからドラフト2位で指名され、ホープとして期待されるも、
2017年に脳腫瘍が判明。視力に深刻な後遺症が出てしまい、2019年に現役を引退した。そんな状態だったが、彼は引退試合の人生最後のプレイでノーバウンドのバックホームを決めたのだ。
「僕は阪神ファンだったので、慎太郎さんには入団した時から注目していました。打撃だけじゃなくて足も速くて肩も強い、すごい選手でした。“奇跡のバックホーム”をスマホで、生中継で観ていた僕は、本が出ることを知ってすぐに見城社長に『映画化させていただいていいですか?』と直談判しました。すると見城社長は『どんなに大きな会社から話が来ても、最初に言いに来た秋山に撮らせる』と言ってくださいました」
秋山は「運命」「偶然じゃない」と受け止めているが、機を見るに敏なその行動力と情熱がなければ、チャンスを摑むことはできなかっただろう。こうして『奇跡のバックホーム』の映画化プロジェクトが始まった。
秋山純の3つの信条
1.情報に貪欲に。徹底的に調べる
「僕はチキン(臆病)なので、取材やリサーチ、準備をめちゃくちゃして打ち合わせや撮影に臨みます。モチーフとなる作品も見ますし、ご一緒する俳優さんの出演作も全部見る。それらを踏まえて、頭のなかで考え抜いたうえで、現場でフラットになります」
2.必要なのは経験より情熱
「チームでものづくりをする時は、その人の情熱をどう生かせるかを考えるのが僕の役目。“全員野球”が好きなんです。一期一会を大切に。永遠は刹那にある─。一瞬に全力を注ぐことでしか、永遠は生まれません。経験よりも大事なのは情熱だと思っています」
3.常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない
「アルベルト・アインシュタインのこの言葉を大事にしています。ものづくりにおいて、『普通はこうでしょ』と常識を押しつけられても抗います。コミュニケーションにおいても、自分の常識を押しつけずに、相手が何を考えているのかを思うようにしています」
秋山純/Jun Akiyama
監督・演出家。1963年兵庫県生まれ。テレビ朝日のスポーツ局で『熱闘甲子園』を、ドラマ班で『特命係長 只野仁』シリーズほか多くの作品を手がける。2018年に独立し、映像制作会社JACOを設立。映画『20歳のソウル』(2022)と『明日を綴る写真館』(2024)を自ら企画・プロデュース・監督する。

