横尾忠則さんと和田秀樹さん。美術と医学、別世界で壁を壊し続けるふたりに共通する“自由自在”な生き方とは。「見えない世界」が見えてくる面白対談! 『80歳の壁』著者・和田秀樹が“長生きの真意”に迫る連載。5回目。

薬が人間の大事な部分を落としてしまう
和田 僕は医者もある種の「直感」は必要だと思っていて。「生きるパワー」とか「気」みたいなものを実際、僕も感じるんです。だけどほとんどの場合、薬がそれを落としてしまう。
横尾 薬っていうのは、その病気には効果があるけども、そうじゃない健康な部分を不健康にさせますからね。
和田 癌の治療薬などはいい例です。癌細胞だけ殺してくれたらいいんだけど、周りの細胞まで殺してしまう。
横尾 一緒に殺しちゃう。
和田 はい。痛みや熱というのも、体が戦ってくれている証なんです。薬で抑えると、かえって戦う力を奪ってしまう。
横尾 僕、今、首がすごく痛いんですよ。もう1ヵ月以上続いていて。で、夕べ、痛いところを指で押さえてたら、その痛みが逃げるんですよ。他の場所へ逃げて行く。だから追っかけてまた押さえる。そしたらまた逃げる。追って押さえる。ひと晩それをやってたら不眠症になっちゃって。今日は先生と対談しなきゃいけないってのにね(笑)。
これ、僕の中に「痛み」っていう生命体がいるのかなと。
和田 (笑)。
横尾 他の病院にも行ってみたんですよ。そしたら「偽痛風」だと。偽の痛風ね。だから僕、聞いてみたんです。「本物の痛風と偽の痛風は、どう違うんですか」と。そしたら「それは知りません」と(笑)。体の細胞も嘘をつくんですね。
和田 「痛みを感じる」というのは感性なんです。だから、他のことに集中するとパッと消えることもある。消えるわけじゃなく、忘れてしまうんですね。
横尾 忘れるだけで、痛みそのものは残っているんですか?
和田 たぶん残っています。だから思い出すとまた痛くなる。
横尾 「マーフィーの法則」ってありますよね。あることを集中して考えると、その想念が物質化現象を起こすというね。その考え方を応用すると、病気は全部、自分の想念が作っているんじゃないかと、僕はそう考えることがあるんです。
和田 少なくとも病気には何らかの原因があります。ウイルスが入ったとか癌ができたとか。ただ、症状っていうのは別なんです。例えば、私が勤めていた高齢者専門の病院には認知症病棟もありましてね。そこの患者さんは足を骨折しているのに、楽しそうに歩いたりするんです。
横尾 認知症で痛みを感じないからですか?
和田 そう。だからやっぱり、「感じるか、感じないか」というのは自分次第ですよね。

現代美術家。1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ世界各国の美術館で個展を開催。2015年には高松宮殿下記念世界文化賞受賞。日本藝術院会員。文化功労者。2025年6月22日まで、世田谷美術館にて個展「横尾忠則 連画の河」、8月24日まで、グッチ銀座 ギャラリーで「横尾忠則 未完の自画像 - 私への旅」を開催中。
認知症は神からの贈り物?
横尾 先生の本で「認知症は神さまからのプレゼント」みたいなことを読みましてね。「僕もなってみたいな」なんて思って。作品がね、どうなるか。
和田 認知症になって作品がどう変わるか?
横尾 はい。例えば、カエルを描こうとします。だけどカエルのフォルムが思い浮かばない。で、描き上がったのがコカ・コーラの瓶だった。この場合、その絵の中ではカエルよりコカ・コーラの瓶のほうが絶対的で、なんと言うか、より創造的な作品ができると思うんです。
和田 それはあると思います。認知症はいろんなことを忘れますからね。人間って、記憶や知識が邪魔をするんですよ。「あれをやりたいな」と思っても「失敗しそうだからダメ」とかね。「今の流行はこっちだ」とかね。自分が本当に考えていることが邪魔されてしまう。だから認知症になったときは、より純度の高い作品が生まれる可能性はあると思います。実際、認知症になってから素敵な絵を描き始める人もいるんですよ。

1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』『女80歳の壁』など著書多数。
見えない何かがつながる
和田 認知症病棟にいると、よく「偽会話」の場面も見ます。
横尾 偽の会話?
和田 はい。お互いに勝手な話をして、外から見るとまるで会話になってないのに、ニコニコしながら話しているんです。
横尾 いいですね(笑)。
和田 しかももっといいのは、けんかする人がいないんです。
横尾 対立しないわけですね。
和田 はい。会話は通じないのに、何かが通じている。だから気分が悪くならないんです。
横尾 面白いね。一人は「俺はマルだ」と言い、一人は「俺は三角だ」と言って通じているわけね(笑)。それは最高ですよ。
和田 ですよね。晩年に、余計なことを考えないで楽しそうに生きられる。「神さまからの贈り物」と言ったのは、そういう理由です。みんな一生懸命にお金を稼ごう、名声を得ようと努力しているわけですが、最終的に大事なのは「そのときに気分がいいかどうか」なんですよ。
横尾 やっぱり先生はお医者さんじゃなくて、仏教とか宗教の人みたいな感じですね。
和田 いやいや(笑)。でもね、僕は20年くらい前までは、患者さんが会社に行けなくなったら「会社に戻してやろう」としていたわけですよ。でも「会社が嫌で鬱病になるのに、そこに戻すことが本当にいいのか」と思うようになりまして。
横尾 戻さなくていいんじゃないですかね。
和田 そうなんです。他の世界が楽しいなら、別にそれでもいいじゃないかってね。
横尾 老齢化してくると、若い頃の健康で元気だった状態に戻そうとして、サプリメントを飲んだりアスレチックをやったりしますよね。だけどそれは自然体じゃありませんね。僕はね、若いときの「自然体」もあれば、年を取ったときの「自然体」もあると考えているんです。
和田 おっしゃる通りだと思います。

妄想を消したら日常がつまらなくなる
和田 統合失調症という妄想が出てくる病気があるんですね。「俺は殺される」という妄想が出てつらい人もいるんですが、「俺は神さまだ」とか「俺は天才だ」と機嫌のいい人もいるわけです。その楽しい妄想を薬で消してあげるのが、本当にいいことなのか。妄想を消したら、すごくつまんない日常にぶち当たるわけです。
横尾 僕なんか、絵を描いてるの、これ、妄想ですからね(笑)。
和田 わざわざ薬を使ってその楽しみを取るのは、いいことなのかなって。僕は「本人が楽しけりゃそれでいい」と思うんですけどね。
横尾 先生は毎日、何人くらいを診ているんですか。
和田 今は毎日ではなく、週1回ぐらいなんですけど。
横尾 本を書いたりして忙しいですからね。
和田 そっちが本業のようになっちゃって。だけど現場から離れると感覚が狂ってしまうので、週1回の医者は辞めないようにしているんです。僕は多動症なので、毎日同じ場所に勤めるのは難しいんですけどね。
横尾 ああ、先生も多動ですか? 僕と同類ですね。
※6回目に続く