4年に1度の祭典FIFAワールドカップが2022年11月20日に開幕を迎えた。カタールを舞台に繰り広げられる熱戦を前に日本代表として活躍する、冨安健洋、板倉滉、柴崎岳、堂安律、遠藤航の5選手のインタビューをまとめて振り返る。
2.【板倉滉】俺しかない。ここでダメなら俺は終わりだ #1
3.【柴崎岳】それが自分の生き方だから #1 #2 #3
4.【堂安律】すごく飽き性なので、簡単に実現できない道を進みたい #1
5.【遠藤航】目標はスタメンで出ること #1 #2 #3 #4
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1.冨安健洋「堅実に、着実に。一段飛ばしは性に合わない」
ある日の午後5時半。イタリアは午前9時半。画面越しに「朝からすみません」と頭を下げると、冨安健洋は「いえいえ」と首を振った。
サッカー日本代表においては未来を左右するタレントのひとりであり、2019年夏に渡ったイタリアではリーグ屈指の若手注目株だ。オンライン取材で向き合う“首から上のルックス”は絵に描いたような好青年だが、ピッチに立てばまるで別人。世界のトッププレイヤーと互角以上に渡り合う彼の市場価値は、最大50億円にまで跳ね上がると報じられることさえある。
「順調すぎます。逆に、これから先どうなっちゃうんだろうと怖くなるくらい」
本人の言葉のとおり、そのキャリアはものすごいスピードで前進している。
高校3年でアビスパ福岡のトップチームに昇格し、17歳でJリーグデビュー。プロチームのレギュラーに定着した「高校生Jリーガー」は一躍脚光を浴び、’18年1月にはベルギー1部リーグに所属するシント=トロイデンへの移籍が実現した。さらに、その1年半後にはイタリア1部「セリエA」にステップアップ。かつて中田英寿氏もプレイした7度のリーグ優勝を誇る古豪、ボローニャFCに加入した。
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2.板倉滉「俺しかない。ここでダメなら俺は終わりだ。」
2022年3月、サッカー日本代表は7大会連続となるワールドカップ出場を決めた。
だが、その過程では、かつてないほどの苦境に追いこまれた。’21年9月に開幕したアジア最終予選の序盤で2敗を喫し、黒星が先行。メンバーとフォーメーションを変えることでチームは息を吹き返したが、’22年1月、2月の中国、サウジアラビアとの連戦を前に、今度は大きなアクシデントに見舞われる。
キャプテンの吉田麻也とイングランドの名門・アーセナルでプレイする23歳の冨安健洋、不動のセンターバックコンビを負傷のために同時に失ったのだ。
この危機的状況から代表チームを救ったのが、25歳のDF板倉滉だった。
最終予選初出場とは思えないほど落ち着き払ったプレイを見せるのである。
「招集された時点で、麻也さんとトミがいないのはわかっていたので、気合が入っていました。これはもう俺しかいないなと。逆に、ここでやれなかったら終わりだな、とも。いいプレイをしようという気持ちはいっさいなかったです。とにかく90分が終わった時に勝っていればオーケーだと。そんな気持ちになったのは初めてでしたね」
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3.柴崎岳「それが自分の生き方だから」
日本代表に初めて選ばれたのは2012年だったから、ちょうど10年前のことになる。当時19歳だったプロ2年目の青年は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督によってアイスランドとの親善試合に招集されたが、出場機会はなかった。
代表デビューを飾ったのは’14年9月のベネズエラ戦。26歳となった’18年のロシア大会で、初めてワールドカップのピッチに立った。あれから4年が経つ。
年齢を重ねるなかで、柴崎岳にとっての日本代表の意味や価値は、少しずつ変化してきた。
「当然、若い頃は憧れの場所ですけど、今はいろんな意味を持つ場所になってきたと思います。憧れのひと言で片付けられないですよね。自分のそのときの気持ちとか立ち位置とか、いろいろなものが混ざり合うので、19歳のときとは違うし、26歳のときとも違う。僕にとって日本代表は、ずっと同じ思いを抱く場所ではないですね。変わってきたものを受け入れている感覚ではあるし、その変化を僕自身が楽しんでいます」
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4.堂安律「すごく飽き性なので、簡単に実現できない道を進みたい」
ドイツ・ブンデスリーガで初めてのシーズンを戦った堂安は、この1年間をこう振り返った。
「自分の長所と短所がわかったことで、来年以降の自分に期待できる……。そんな1年でした。ドイツでは多くの日本人選手がプレイしていてマッチアップも多い。変な感じですよ。お互いのプレイを知っているので、見ている人にはわからないレベルの対戦ができる楽しさはありますね。ただ無観客試合だったのが心残り。サポーターの想いを感じると、明らかに100%以上が出せる。改めてサポーターの大きさを感じた1年でした」
アルミニア・ビーレフェルトではチームトップタイの5得点を挙げて、チームの一部残留に大きく貢献した。
「チャレンジは恐れない。来シーズンのチームも、どこが一番のチャレンジになるかを考えたいし、敢えて難しくて時間のかかるほうを選びたい。それが自分を成長させる近道ですから」
プロアスリートとして、さらに骨太な精神を身につけた堂安だが、海外生活を経て自分自身の表現にも変化があった。
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5.遠藤航「次のワールドカップ、スタメンで出ることですね」
遠藤は個人の目標を聞かれ、そう言い切った。そしてそのために必要だったことが、ふたつある、と。
ひとつは海外への移籍。
もうひとつが、ボランチでのプレー。
遠藤は移籍当時のことをこう振り返る。
「ワールドカップで試合に出られなかったことや、トップレベルでプレーしている選手たちと勝利を目指すなかで『海外でプレーする』ということが間違いなくプラスになると感じました。(海外移籍には)もちろん試合に出られないかもしれない可能性もあったんですけど、出られないなら出られないなりにチームの勝利に貢献できるという自負もあった。もちろん、試合に出て勝たせることを目指していましたけど、そういう可能性もあることくらいまでは客観的に捉えられていました」
試合に出られなくてもチームの勝利に貢献できる、というのは日本代表としてワールドカップを経験し、多くの先輩選手から学んだことでもある。だから、シント=トロイデンからオファーをもらったときは「挑戦する」ということ自体にためらいはなかった。
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