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2022.09.08

「知らない自分にたくさん出くわす」柴崎岳は異国で闘い、どう変わったか?

三好康児武藤嘉紀中島翔哉柴崎岳……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。4人目は、スペインで5年半にわたって戦い続ける、CDレガネスMF・柴崎岳。1回目。

スペインで5年半にわたって戦い続ける、CDレガネスMF・柴崎岳。

ひとつの分岐点は8年前のブラジル戦

初めて海外でのプレーを意識したのは、16歳のときだった。

2008年、U-16日本代表の一員としてスペインに遠征した柴崎岳は、将来はこの国でプレーしてみたいな、という漠然とした思いを抱いた。

「特別、何かあったわけではなくて、そのときの肌感覚です。試合中の観客の雰囲気、気候や食事も含めて、自分の感覚に合っていたというか」

翌年、U-17ワールドカップに出場した柴崎は、青森山田高卒業後の’11年に鹿島アントラーズに加入。’12年末にはJリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した。日本代表においても’12年2月に初選出されると、’14年9月のベネズエラ戦で代表デビューを飾り、ゴールもマークする。

日本サッカー界の尺度からすると、歩みは順調そのもの。むしろ駆け上がるスピードは速いくらいだ。しかし、世界の尺度で見れば、決してそうではない。そんな現実を突きつけられたのが、’14年10月にシンガポールで行われたブラジル戦だった。

その5年前のU-17ワールドカップでも対戦していたネイマールは、押しも押されもせぬ王国の10番に成長し、柴崎の目の前で4ゴールを叩き込んだ。

試合後、柴崎は頭の中で整理しながら、「並大抵の成長速度では、追いつけないと思う。ショックはショックですし、認めなきゃいけない部分はありますけど、そうしたものを受け入れることで見えるものもある」と語っていた。

今、改めて振り返っても、8年前のブラジル戦はひとつの分岐点だったようだ。

「あのとき、このままではちょっと、と思ったのは確かですね。海外に行って環境を変え、自分の成長につなげたいという思いが強くなった。今までやってきたことだけじゃなく、新しいことにチャレンジしたいと思った試合ではありました」

その後、柴崎は’16年12月に行われたFIFAクラブワールドカップ準決勝のレアル・マドリー戦で2ゴールを叩き込み、スペインでプレーする機会を掴み取る。’17年1月にスペイン2部のCDテネリフェに移籍し、現在は4チーム目となるCDレガネスに所属している。

自分らしくあることを問われてきた5年半

異国の地でプレーするようになって5年半が過ぎた。プレー面やメンタル面における自身の変化を、どんなふうに感じているのだろうか。

「サッカー選手なので、ピッチ上でどう変わったのかに着目されがちなんですけど、僕が感じるのは、母国を飛び出して海外で生活することによる能力や性格、価値観の変化。それによって成長してきた部分があるのではないかと。もちろん、日々の練習や試合で、いろんなプレーを身につけたり、判断を変えてきた部分もたくさんあるんですけど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に、精神面や人としてのあり方、自分らしくあることを問われてきた5年半だった気がします」

柴崎が「自分らしくあることを問われてきた」というのは少し意外だった。日本にいた若い頃から、ブレない軸を持っている印象があったからだ。20歳のときにJリーグのベストヤングプレーヤー賞に輝いた際には、「この賞に値する選手はいないと思います」ときっぱりとコメントしたほどだ。

「たしかに、自分でもそこまで変わったとは思っていないんですけど、それでもやっぱり日本にいるときより、自己主張とか意見を求められるんです。自分はこう思っているからこうする、といった部分がないと、受け入れられないし、認められない」

日本ではもてはやされることの多い流行やトレンドも、スペインでは感じられないという。

「スペインには、周りが好きだから自分も好きになるという感覚はなくて、流行に惑わされない感じがします。例えばミーティングでも、こっちの流れで話が進んでいるのに、平気で『俺はあっちだ』と主張する選手がいる。その自己主張が日本との大きな違いですね」

個人として思うことを、どれだけしっかりと周りに伝えていけるか――。

思うことがあっても、あえて口にする必要のなかった日本を飛び出したことで、柴崎自身も周りに伝える能力がいっそう磨かれたのだろう。

スペインで5年半にわたって戦い続ける、CDレガネスMF・柴崎岳。

異国暮らしの困難をどう捉えているか

そう言えば、レガネスの試合でも、柴崎がチームメイトの首根っこを掴まんばかりに怒っているシーンを見たことがある。それくらい激しく指示を出さなければ、守備組織の統制が取れないのだろう。過度のストレスを感じているようには見えないから、自己主張を求められる状況も楽しんでいるのかもしれない。

とはいえ、異国暮らしには困難もあるはずだ。実際、’17年1月にスペインに渡った当初、肉体的な疲労や精神的なストレスによって体調を崩し、しばらく練習に参加できなかった、と報道された。

そのことについて聞くと、ふふふ、と柴崎は笑った。

「その半年にあったことは基本的に、僕以外の誰も正確には知らなくて。記事を読んで、合ってるな、と思うこともあれば、全然違うんだけどな、って思うこともある(笑)。確かなのは、自分にとって初めての環境、初めての経験で、苦労した部分は間違いなくあったということ。その半年に限らず、異国で暮らしていると、思い通りにいかないこと、予期せぬことがたくさん起きる。そんなとき、自分の知らない自分に出くわすんですよ」

俺って、こういうこともできるんだ、といい意味で驚かされたり、こういうことが苦手だったんだ、と初めて突きつけられたり……。

「それをどう受け止めるかで、だいぶ変わってくると思います。ネガティブに捉えたら自信をなくすかもしれないけれど、ポジティブに捉えられたら、そのキャラクターを生かすこともできるし、素直に受け入れれば、これも自分なんだからしょうがない、って開き直れるかもしれない。僕自身、ポジティブに捉えたり、受け入れたりしたことで、また違う一歩を踏み出せたような気がします」

ポジティブに捉えられた例を尋ねると、「ひとつ挙げると、それがすべてみたいになってしまうので、ふわっとさせておきたいんですけど」と苦笑して、柴崎が続ける。

「日本で出会わなかったことに対応できるようになると、住むところはどこでもいいのかなって思えるようになる。自分のアイデンティティみたいなものがもう一個増えるというか。それってすごく大事で。あっちがダメでも、こっちがあるからなんとかなるな、っていう自信や勇気になる。僕自身、日本じゃないとダメだな、と思っていた時期があったんです。でも今は、もし日本に住めなくなったとしても、スペインに永住すればいいか、って」

若い頃は野心からか、ピリピリとした雰囲気を漂わせていたが、目の前にいる柴崎は人間味溢れるフットボーラーだ。それが、ポジティブに一歩を踏み出し、異国生活を楽しんできたことを表している。

5年半で自身はそんなに変わっていないと語ったが、それでもやはり芯の部分は強くなり、それでいて、いい意味での柔らかさも備わってきたのかもしれない。

そして明確に変わったものもある。それは、理想の捉え方である。

2回目に続く。

Gaku Shibasaki
1992年青森県生まれ。青森山田高校1年生にして、背番号10を背負う。2011年、鹿島アントラーズに入団、同年ベストヤングプレーヤー賞も受賞。’17年より、スペインリーグへ移籍し、現在はCDレガネス所属。日本代表には、’12年に初選出され、2018年ロシアW杯では4試合に出場。’18年、女優の真野恵里菜と結婚。

中島翔哉の独占インタビューはこちら

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TEXT=飯尾篤史

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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