三好康児、武藤嘉紀、中島翔哉、柴崎岳……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。4人目は、スペインで5年半にわたって戦い続ける、CDレガネスMF・柴崎岳。3回目。
あれから4年、日本代表の意味や価値はどう変わった?
日本代表に初めて選ばれたのは2012年だったから、ちょうど10年前のことになる。当時19歳だったプロ2年目の青年は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督によってアイスランドとの親善試合に招集されたが、出場機会はなかった。
代表デビューを飾ったのは’14年9月のベネズエラ戦。26歳となった’18年のロシア大会で、初めてワールドカップのピッチに立った。あれから4年が経つ。
年齢を重ねるなかで、柴崎岳にとっての日本代表の意味や価値は、少しずつ変化してきた。
「当然、若い頃は憧れの場所ですけど、今はいろんな意味を持つ場所になってきたと思います。憧れのひと言で片付けられないですよね。自分のそのときの気持ちとか立ち位置とか、いろいろなものが混ざり合うので、19歳のときとは違うし、26歳のときとも違う。僕にとって日本代表は、ずっと同じ思いを抱く場所ではないですね。変わってきたものを受け入れている感覚ではあるし、その変化を僕自身が楽しんでいます」
気持ちや立ち位置の変化によるものか、年齢を重ねたからか、’18年のロシアワールドカップ終了後に森保一監督が就任してからというもの、柴崎の発言内容にも変化が感じられる。
「ベンチメンバーも含めて本大会に臨んでいけるようにしないといけない。いろんな選手が経験を積まないと、安定した戦いはできない」というように、チーム全体に向けた発言が増えているのだ。
「若いときにどういう発言をしていたかは覚えていないんですけど、グループ論とか、個人よりも大きなものに目を向けて話すことが、確かに多くなってきたと思います。ただそれは、意識的にそうしているというより、自然とそうなってきた。年齢とか立場で語られがちですけれど、自分としてはナチュラルな流れだったと思います」
ベンチで見守ったW杯予選での勝利をどう捉えたか
’22年3月、日本代表はアジア最終予選を勝ち抜き、カタールワールドカップへの出場を決めた。その過程では序盤に2敗を喫するなど、かつてないほど苦戦を強いられた。
一方、柴崎自身も’21年10月に行われた敵地のサウジアラビア戦で失点につながるパスミスを犯し、続くオーストラリア戦以降、スタメンから外れる試合が増えた。
だが、たとえサブに回ろうとも、柴崎がフォア・ザ・チームの精神を失わなかったことは、森保監督のこんな言葉からうかがえる。
くだんのオーストラリア戦の残り5分、1-1から勝ち越しを狙う展開で柴崎を投入した理由について、森保監督は「岳はこれまで通り最高の準備してくれていた。だから、あの場面で投入するのは自然なことだった」と語ったのだ。
ワールドカップ出場が決まったあと、柴崎は「達成感より安堵感のほうが大きい」と吐露した。日本代表のワールドカップ出場の歴史を途切らせまいと、プレッシャーを感じていたのだろう。だが、理想は自身がピッチに立って、勝利に貢献することのはずだ。ポジションを譲ったあとは、もどかしさや悔しさを押し殺しながら、自らに言い聞かせるように戦ってきたのだろうか。
「いや、個人的に満足できない状況になっても、それをどうにかしようという気持ちはまったくなかったですね。日本代表が勝利して、ワールドカップの出場権を獲得するということだけにフォーカスしていたので。自分が出ても出なくても、勝利することが一番大事だと捉えていた。そこへの迷いや葛藤は全然なかったですね」
それも年齢のなせる業なのか。
「たしかに、若い選手たちには理解が難しいかもしれないですね。ただ、僕の性格によるものでもあると思います。30歳になっても、そういう考え方ができない選手はいますから。年齢はひとつの指標にはなりますけど、僕はそういう生き方だったということです」
ロシアを経て、カタールW杯について
ブラジル代表やチュニジア代表などと4試合をこなした6月シリーズでは再びメンバーがシャッフルされ、柴崎もガーナ代表戦で先発出場を果たした。日本代表は9月の欧州遠征を経て、いよいよ11月にカタールワールドカップを迎える。メンバーに選出されれば、柴崎にとって2度目のワールドカップとなる。
4年前のロシアワールドカップではボランチとして4試合すべてでスタメンに指名された。「ロストフの悲劇」と呼ばれることになる決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、原口元気の先制ゴールをアシストし、2-2で迎えた81分にベンチに下がった。カウンターから決勝ゴールを決められたのは、その13分後のことだった。
試合後のミックスゾーンで、柴崎が「やり切った」「すごくいい大会だったから、次もまた出たい」と語っていたのが印象的だった。
「あれだけ注目される大会って、ないですよね。世界中のサッカーファン、もっと言うと、サッカーに興味のない人まで関心を示す大会。世界的な祭典に参加できるわけですから、選手としては喜びですよね。ロシア大会のときに『やり切った』という感覚があったのは確かですけど、『次もまた出たい』と言ったのは、結局負けているので(苦笑)。次も出て、もっと上を目指したいな、という思いからだったかなと」
自身のすべてを出し切ったという感覚を得られることは、選手冥利に尽きるだろう。アスリートのキャリアにおいても滅多に経験できるものではない。ワールドカップの場で再びその境地に至りたいという思いもあるのだろうか。
「いや、出し尽くしたと感じたい、と思ったことはないですね。出し尽くした、というのは結果論。自分が望んだようになることもあれば、ならないこともある。要は自分にできることを毎日出していった結果として、出し尽くしたという状況になれるんじゃないかなって」
‘14年ブラジルワールドカップをテレビで見た22歳の柴崎は、コスタリカの戦いぶりに感銘を受けたという。世界的な有名選手がいないにもかかわらず、「死の組」と言われたイタリア、イングランド、ウルグアイとのグループリーグを首位で突破。決勝トーナメント1回戦では日本と同組だったギリシャを破り、世界をあっと驚かせた。
当時の記事には『たとえばコスタリカ代表はどういうサッカーをするか、世界的にあまり知られていない。でも、コスタリカ人はこうなんだ、こういう文化なんだ、こういう人種だ、というのは十分示すことができた。そういうものを大舞台で残していった方が、後につながるのではないかなと感じた』という柴崎のコメントが残されている。
「確かに、そういう話をしましたね。’14年大会の日本は、どういう国なのか分かりづらい戦いだったんじゃないかということで、コスタリカを引き合いに出しました。4年に一度のお祭りで、日本をアピールする。日本はどんな国なのかを感じてもらうには、スピリットやメンタリティが伝わる大会にしないといけない。チーム戦術や結果も大事なんですけど、それ以上に感じるものがあると思うんですよね。だから、カタール大会も、そういうことを示す大事な舞台になるんじゃないかな」
30歳になって思うこと
柴崎自身は’22年5月に30歳という節目の年を迎えた。サッカー選手としてはベテランの域にさしかかったが、プレーヤーとして、どんなことを追求していくつもりだろうか。
「20歳の頃、30歳ってけっこうおじさんだなって思っていたんですけど(笑)、実際に自分がなってみると、あまり年齢って関係ないなって。30歳だから、とか思わないで、やりたいことをやればいいんじゃないか、というのが本音です。今までは自分なりの目標を立ててやってきて、30歳を迎えたので、ここからは、それをしないでどうなれるんだろうっていうのが大事かなと。これがいいと思ってきたことが、実はそうではなかったんだと気づいたら、違う考え方や違う行動をしないと変化していけない」
今までのやり方を疑うことはできても、やり方を変えられるかどうかは別の話だ。しかし、柴崎はすでにその一歩を踏み出している。これから先、スペインの地で、いや、もしかすると柴崎自身が想像もしなかった場所で、想像もしなかった柴崎岳に出会えるかもしれない。
Gaku Shibasaki
1992年青森県生まれ。青森山田高校1年生にして、背番号10を背負う。2011年、鹿島アントラーズに入団、同年ベストヤングプレーヤー賞も受賞。’17年より、スペインリーグへ移籍し、現在はCDレガネス所属。日本代表には、’12年に初選出され、’18年ロシアW杯では4試合に出場。’18年、女優の真野恵里菜と結婚。