まだまだ謎に包まれた男、福田淳(あつし)。なぜだかいつも周りの人間から頼られ、案件を持ち込まれ、奔走する。そして常に国内外を飛び回り、一日一日を本気で楽しむ。タブーをタブー視せず、変化を模索する福田淳という男の連載、第6回目は「時間」という概念の捉え方と、いかに生きるかという思考法。

なぜ僕はいつも“上の空”なのだろう
中学時代、ゲームセンターのインベーダーゲームに、夢中になっていました。僕と友達は独自に攻略のための巻物(ゲーム攻略本なんてない時代!)をつくり、「この怪物が出た後はアレが来る」とゲームの体系を紐解き、理論立てステージをクリアしていきました。
最高得点は9999点まで。最終ステージでこのカウンター以上の点数を叩きだしたら、どんな世界が見えるんだろうと僕たちはドキドキしながら、その高みを目指して放課後、ゲーセンに通いまくったのです。そうして遂に、最終ステージで9999点を超えました。夜の11時頃だったでしょうか。「やった!」、友人とそう叫んだすぐ後、ゲーム機は何事もなかったかのように最初のステージ画面に戻りました。
なんてことはありません、最後までいったら、最初に戻る、ただそれだけのプログラムだったんです。中学生の僕らはそれを知らず、限界を超えたら何か新しい世界があると思いこみ熱中しただけのこと。ですが、そこまでかけてきた膨大な時間を無駄にしたとは思いませんでした。人はなぜゲームをするのかという理屈を理解できた。その見解を得るための時間は終わったのだ、と。それが、僕が「時間」を最初に意識したできごとでした(普通なら体験に終わりはないけれど……)。
五感を動かしながらなにひとつ諦めない生き方
何かを理解するためには、それなりに時間がかかります。けれど「目の前のことに忙しくて新たなことをする時間がない」と目の前のことしかしないのは、もったいない。その結果がこの“ゲームの終わり体験”でもかまいません。とにかく宇宙で起きているありとあらゆることを知りたいのですから。そうして僕はパラレルワールド(並行世界)に生きることにしたのです(オカルトの話ではございませんのでご安心を)。
頭の中を整理して何か一つに集中する、そんな自主規制をやめてしまったんです。例えば、旅に出たいと思ったら、下調べも荷造りの時間もそこそこで、即出発します(だから忘れ物が多い!)。そして旅先の風景を見ながらも、あのアート展示をどうしようとか、翌週の母の誕生日ギフトをどうしようかとか、ミームコイン「TRUMP」はどうやって買うんだろう? とか考えているんです。
旅に出ているレイヤー、仕事をしているレイヤー、他のことを考えているレイヤー。物理的には僕はひとりで、時間軸もひとつのはずですが、常に自分の頭のなかでは時間がパラレル(多重に並行)に走っていて、そこを行き来している感覚です。その方法だと時間を気にせずなんでもできるのです(ひとつのことに集中してないのが好き!)。
周りからは「福田っていつも上の空だな」と見えているでしょう。身体は旅先にいても、ふとしたきっかけで頭の中の別のレイヤーで生きてしまうんですから。つまり目の前のことにまったく集中していられません。
例えば、METAのマーク・ザッカーバーグはアイデアを考える時、オフィスに作った屋上庭園でぐるぐる歩き回っていると聞いたことがあります。彼も自分と同じパラレルワールド人間だと思います。やっぱり人は五感を全開にしてアイデアを生みだす生き物なんだなと納得したんです。ちなみに数えてみたら、僕は仕事もプライベートも含めて常時50くらいのことを気にかけて過ごしているので、50のパラレルワールドを行ったり来たりしている感じでしょうか(やりたいリストを書くと大抵この数になる不思議!)。
人生設計が崩れるたびに人は成熟する
どんなにパラレルワールドを広げても、人間の時間には限りがあります。「いつ死ぬのか?」と問われたら、残された時間の設計図をさっと出せるようにしておきたいものです。
いつ死ぬのか。それを考えて逆算し、設計する。その作業を70代でするのか、50代でするのかで人生の展開はまったく違ってくるでしょう。そして早ければ早いほど、設計どおりにはいかないものです。家ひとつ建てるのも、何かきちんと計画しても、思いどおりになることなんてほとんどないのですから。
そしてそのことにつどつど気がつき、時には絶望し、また設計し直し、そうして人として成熟していくのだと思うしかないのです。設計どおりでなくても、僕は人生の時間を、見通していたい。自分というものの核が揺るがなければ、設計が崩れたってなんのその。「そう来たか」と予想外のその瞬間を楽しむのみ。
先日、あるアーティストの方が若くして亡くなりました。その方はご病気を患い、治療をしないことを決めたようです。自分で終わりの時を決めて、残された時間を過ごす。作品同様に自分の人生もクリエイトしていく。とても強い意志です。そんな生き方もあるのか、と衝撃的でした。まさに人生を見通して生きたのではないでしょうか? (無量寿=命は時間にも空間にもとらわれない)。
パプアニューギニアのある島では、「死んだら人は近所にある実在の島に行く」と信じていたそうです。この世とあの世、みたいなものなのでしょうが、近所の島ってだいぶ近いし、なんなら死んですらいない、そこで生きていると信じている。さすが南の島、発想が明るいですね。オセアニアでは原住民のなかには「太陽こそ死んだ人の住むところだ」と信じているとも聞いたことがあります。こうして考えてみるとなんだかあの世とこの世も、パラレルワールドに近いもののような気がしますね。
僕たちは自分の意志で生まれてきたのではないし、生まれてきたこと自体にはなんの意味も目的もありません。けれど人間として生きている間に、なにか意味を、目的を見出す。好奇心がある限り、それらはいくつになっても無数に生まれていく。だから僕らは、1秒でも長く生きようと、強く思い万全を尽くしています。
時間についてとりとめのないことをたくさんお話ししてしまいました。「時間」を考えればどうしても「終わり」を考えることは避けて通れませんからね。ゲームの操作バーを握りすぎて血豆をつくった中学生は、それからずっと、そんなパラレルワールドを生きているというお話でした(気が散ってていいんですよ!)。

Editor’s Note|実は、電話はすごい発明
パラレルワールドを生きている福田さん。なかなか真似しづらいけれど、参考にしたい生き方です。それにしても、50のことを同時進行するコツはあるのでしょうか?
「パラレルワールドを行き来するのに便利なのは、ズバリ、電話。要は電話がかかってきたら別のレイヤーに引き戻されますから。最近はメールで『電話してもいいですか』とやりとりすることも多い世の中ですが、出られない時は出られないんだから、かけちゃった方がいい。なんでもすぐに行動したほうが簡単で楽です。電話って改めてすごい発明だなと思っています。今後さらにイノベーションを起こすために必要!」
福田淳/ATSUSHI FUKUDA
1965年大阪府生まれ。ソニー・ピクチャーズを経て、ソニー・デジタル・エンタテインメント創業。同社退職後、自身の会社スピーディ設立。LAでアートギャラリー、リゾート開発、沖縄で無農薬ファームなどの事業を行う。『好きな人が好きなことは好きになる』など著書多数。