2大会ぶりのグループリーグ突破を果たしたロシアワールドカップから1年。躍進に喝采を浴びた日本代表の中で、思いを新たにした男がいた。遠藤 航。日本代表としてロシアの地へ赴くも、出場はかなわなかった。そこにやってきたベルギーリーグからのオファー。Jリーグ途中での移籍に、考えるところもあったが「成長しなければいけない」という決心で、飛び込んだ。ベルギーリーグ・シントトロイデンでの1年を終えた遠藤が、いま思うこととは――。
「次のワールドカップ、スタメンで出ることですね」
遠藤は個人の目標を聞かれ、そう言い切った。そしてそのために必要だったことが、ふたつある、と。
ひとつは海外への移籍。
もうひとつが、ボランチでのプレー。
遠藤は移籍当時のことをこう振り返る。
「ワールドカップで試合に出られなかったことや、トップレベルでプレーしている選手たちと勝利を目指すなかで『海外でプレーする』ということが間違いなくプラスになると感じました。(海外移籍には)もちろん試合に出られないかもしれない可能性もあったんですけど、出られないなら出られないなりにチームの勝利に貢献できるという自負もあった。もちろん、試合に出て勝たせることを目指していましたけど、そういう可能性もあることくらいまでは客観的に捉えられていました」
試合に出られなくてもチームの勝利に貢献できる、というのは日本代表としてワールドカップを経験し、多くの先輩選手から学んだことでもある。だから、シントトロイデンからオファーをもらったときは「挑戦する」ということ自体にためらいはなかった。
「もともと、四大(プレミア・リーガ・セリエ・ブンデス)リーグでプレーするという目標がありましたから、(オファーに対しては)行きたい、と。ただ、レッズの選手として考えると、シーズンも途中でしたしこのタイミングでいいのかな、という思いはありました。レッズの選手としてリーグ優勝を果たす、ということを公言してきて、それをかなえられていなかったので……。でも、自身のレベルアップのことを考えれば、行くという選択しかなかったんだと思います」
オファーを受けたとき、ベルギーリーグへの知識はほとんどなかったという。ヨーロッパの中堅リーグであることから「Jリーグでコンスタントに試合に出てレベルアップするほうがいいんじゃないか?」という意見もあった。
「(ワールドカップを経験して)海外でプレーする必要性を感じている中で、目標とする四大リーグではなかったんですけど、Jリーグでのプレーより、ベルギーでプレーしたほうが四大リーグに近づける、と思いました。やっぱり地理的なものは大きいです。各国リーグのスカウトが常に集まっていると聞いていましたしね。あとは、シントトロイデンがボランチとしてオファーしてくれたことも大きかったです」
ワールドカップで日本代表のスタメンを勝ち取るとき必要だったもう一つのこと、「ボランチでのプレー」は、遠藤の中ではもっとも大きな要素だったかもしれない。
「高校くらいまでは、センターバックとして四大リーグでプレーしたい、日本代表になりたい、と思っていたんです」
実際、Jリーグデビューを果たした湘南ベルマーレ、移籍した浦和レッズともに、もっとも長くプレーしたのはセンターバックだった。的確な読みと1対1の強さ、そしてフィード能力。J屈指のセンターバックとして評価する声とは裏腹に、遠藤自身はセンターバックとしての、一種の限界も感じていた。
「やっぱり、トップオブトップでプレーするのであれば、圧倒的に身体能力が足りない。もちろん僕くらいの身長でプレーするマスチェラーノみたいな選手もいて、かつては憧れていたんですけどね」
思い描く目標に対して必要なものを突き詰めて考えたとき、下した決断こそ「センターバックよりボランチでの勝負」だった。これがJリーグで長くプレーすることに目標を置いていたら、「センターバックでレベルを上げ続ける」となっていたのかもしれない。
こうした客観的に自身を見つめて、ある意味ドライに最適な判断を下すことができる能力は遠藤航の真骨頂だろう。
「だから、ボランチでのオファーをもらったことは大きかった。実際、シントトロイデンで初めて1シーズンをとおして中盤の選手として出ることができたのは、とてもいい経験だったと思います」
補足をしておくと、日本代表を中心にサッカーを見ているサポーターの人たちからすると、遠藤航=ボランチのイメージが強いらしい。しかしそれは、キャプテンを務めたリオデジャネイロ・オリンピックや先のワールドカップの「日本代表」のイメージからくる。実際に遠藤が「ボランチ」として1シーズンプレーをしたことは、日本では一度もない。
この話になると決まって遠藤は笑う。
「そうそう、僕、ボランチのイメージがあるらしいんですけど、Jリーグではほとんどやったことがないんですよね(笑)。レッズの頃は、挑戦したいですってミシャ監督(現・コンサドーレ札幌監督)に言ったこともあったんですけど、結局センターバックでしたし、監督が代わってからはサイドバックやったりとか……ボランチは本当に数えるくらい(笑)。代表のイメージがやっぱり強いんでしょうね」
移籍とボランチ。
目標を達成するために必要な条件をクリアした今、向かう先はどこにあるのか。
「ビダル(バルセロナ)みたいになりたいですね。守備も攻撃もできる選手で、汗もかける。がむしゃらに勝利のために注力したいんですよ。例えば、センターバックだと、がむしゃらにやりたい気持ちがあっても、どうしても最終的にはバランスを見なきゃいけない。でもその点でいくと、中盤の選手ってはっきりつぶしに行けたり、走ったりっていう部分が出しやすいと思うんです」
バルセロナで活躍するビダルは31歳でサッカー界最高峰のクラブと契約をした。もともと強豪・バイエルンの選手であったとはいえ、若さが価値に直結する欧州の移籍市場においては、驚きを持って迎えられた。
遠藤航も今年26歳。決して若い、とは言われない。
「年齢は関係ないですよ。そのチームが必要だと思われれば獲ってくれる。だからそれはやるだけです」
あくまで冷静に、でもうれしそうに遠藤は言った。
だからこそ、各年代の代表でキャプテンを任され続けたのだろう――次回は、その「キャプテンシー」について聞く。
【遠藤航】選手として、夫として、父親として最も大事にしていること
【遠藤航】ドイツの名門クラブに移籍した先に見据えることとは
Wataru Endo
1993年神奈川県生まれ。シント=トロイデンVV所属。2015年、日本代表メンバーに初選出。"16年、リオ五輪メンバーに選出され、キャプテンとして3試合フル出場。国際Aマッチ20試合出場。