今から40年ほど前、バブル景気に沸く日本で料理界の歴史に名を刻むフランス料理店が誕生。そして、時代が大きく変化した現在、新たな店に生まれ変わった。シェフ三國清三氏の“最幸”の生き方とは──。【特集 最幸の贅沢】

命を賭して前人未踏の道を行く
1985年の開業以来、国内外から100万人を超えるゲストを迎えてきた「オテル・ドゥ・ミクニ」。2022年に店を閉めたのは、幕引きではなく、料理人として新しい人生を歩むための決断だった。
日本が世界に誇るフランス料理界の重鎮、三國清三氏は、かつて自身のことを「騎手のいらない競走馬みたいな星の下に生まれたらしい」と表現したように、70歳を超えた今も圧倒的なパワーとスピードで走り続けている。3年の準備期間を経て、2025年四ツ谷にオープンした「三國」のカウンターに立ち、8名のゲストのために腕を揮う。そこは今世でかなわないなら、来世でかならず成し遂げたいと切望していた、最上級のおもてなしを実現するための空間だ。新境地で稀代のスーパーシェフは何を想うのか。

人生に起きる偶然の重なりをチャンスに変えて
フランス料理店「三國」の扉を開けると、ムッシュ村上こと村上信夫のポートレートが目に入る。三國氏が帝国ホテルに勤務した時代から総料理長を務めた、日本のフランス料理界の神様。三國氏の運命を大きく変える“スイスへの片道切符”を手渡した人物だ。
その反対側に目を向けると、真っ黒な顎ヒゲをたくわえた30歳の三國青年が、じっと村上氏を見つめている。
「この写真の配置の意味をお客様によく聞かれますけれど、本当にたまたまなんです。人生に起きるほとんどの出来事は偶然だから」と茶目っ気まじりに笑うが、もしそうだとしても、そのすべてをミラクルに変えてきたのは三國氏本人に他ならない。
ムッシュ村上の推薦で、20歳でスイスの日本大使館の料理長として働くため単身、海を渡った。当時の帝国ホテルに腕利きの料理人はたくさんいたはずだが、まだ何者でもない若き青年を抜擢した理由についてのちにムッシュはこう述べている。
「やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、よい意味での欲があった」
当時の三國氏は、パートタイマーとして懸命に働いていた。そうはいっても350人もの料理人を抱える帝国ホテルでレストランの調理を任せてもらえるはずなどない。18、19、20歳とひたすら誰もやりたがらない雑務をこなし、来る日も来る日も洗い場で鍋を磨き続けた。
三國氏の話を聞いていると、石の上にも三年、という言葉を思い出す。20歳の誕生日を控え「すべてをやめて、故郷に帰ろうと思っていた」三國氏がスイス行きを命ぜられたのは“偶然”にも、上京して3年目のことだった。
大使館の料理長に就任してからは多忙な日々を過ごしながら、休みの日は「リヨンドール」や「リッチモンド」などの名門で研修を重ねた。のちにスイス初の三つ星シェフとして名を馳せるフレディ・ジラルデ氏の存在を知り、店を訪ねるが当然のことながら門前払い。だが、そこで諦めるような三國氏ではない。
「日が暮れるまで店の前に立っていました。当時はフランス語もわからないから、シェフにお前はどうしたいんだ? と聞かれても答えられない。開店時間が差し迫って、そこに立っていられると迷惑だから、と厨房に放りこまれてね。シェフはもちろん洗い場はやりませんから、僕はひたすらそこに徹して。帝国ホテルで3年間、鍋を磨き続けた経験があるので得意なんですよ(笑)。それから毎週日曜に行くようになったんです」
三國流の道場破りである。ほどなくしてジラルデ氏が率いる「オテル・ドゥ・ビィル・ジラルデ」はスターダムを駆け上がり、その熱狂を三國氏は間近で見届けることになる。
「大使館の任期を終えて一度日本に帰国しましたが、すぐスイスに戻り正式に『ジラルデ』でレギュラーとして働くことになりました。彼はフランス料理界のモザー(モーツァルト)と呼ばれるように、とてつもない才能の持ち主でした。僕が今この店のテーマのひとつとしているスポンタネという即興料理は、ジラルデさんのもとで体得したものです。お客様にお出しする料理は彼が厨房に入ってから決める。僕はポワソン部門にいましたから、オマール海老を持ってこい、舌平目はあるかなど指示が入るわけです。その日どんな料理を出すかは神のみぞ知るというところです」
“神”とはもちろん、ジラルデ氏のことである。

シェフ。1954年北海道生まれ。札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業後、20歳の時に駐スイス日本大使館料理長に就任。その後、フランスの三つ星レストランの名だたるシェフのもとで修業を積み、帰国後30歳で「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。2025年9月、自身がゲストの目の前で即興料理を作る「三國」を開店。
狂騒曲のような日々が今の「三國」の礎に
「まさに天国と地獄のような毎日でした。調理場は地獄。お客様は天国(笑)。当時、スイス銀行の金庫を破るよりも予約を取るのが難しいと言われたレストランで働いた経験は何にも代えがたいです」
素材が料理を決める、という料理哲学をベースに“世界のミクニ”たらしめる理由のひとつは、ジャポニゼという日本人の美意識を皿の上に表現する手法にもある。スイスでジラルデ氏のお墨付きを得た三國氏は、フランスで名だたる三つ星レストランを経験。厨房のダ・ヴィンチと称されたアラン・シャペル氏からの「セ・パ・ラフィネ(洗練されていない)」という言葉は、三國氏の日本人の料理人としてのアイデンティティをふたたび目覚めさせるものだった。
「今思えば、日本人なのになぜフランス人みたいなことをやっているんだという意味だったと思います。僕の持論として、本物のフランス料理という定義はないと思っています。日本で店を始めた時、味噌や醤油といった日本の伝統調味料を使う料理に賛否ありましたが、今では世界中のフランス料理店で用いられています。フランス料理の伝統とエスプリ、哲学を理解したうえでそれらを日本化し表現したのがジャポニゼであり、僕にしかできない料理、三國の料理なのです」
のちに三國氏の料理を味わったシャペル氏から「君はフランス料理を見事にジャポニゼにしてみせた」と賛辞の言葉を贈られたことから、三國氏の料理スタイルを表す言葉として“ジャポニゼ”が、定着したのだという。
「三國」には、日本人の美的感覚を育む要素でありながら、最近はその存在が曖昧になりつつある四季の美しさ、尊さを感じる瞬間がいくつもある。この店を訪れる人が幸せな時間を過ごせるように。そんな三國氏の思いが込められているようで、胸が温かくなる。
「僕にとって何が一番幸せかって、70歳を過ぎても料理人として店に立ち続けていられることです。才能があったなんて自分ではまったく思いません。もし、神様が願いをひとつかなえてくれるなら、迷わずに料理の才能をくださいと言います」
立ち止まることなく自分が信じた道を行く
三國氏が非凡の塊であることは、世界中の食通が知っている。「三國」に大切に保管されているサインブックには国内外の稀代のスーパースターが寄せたメッセージも多く見られる。
「ありがたいことです。『オテル・ドゥ・ミクニ』を開いた1985年は、今とは違ってネットもSNSもない時代です。でも、口コミだったり、僕の密着番組を見てくださった方に、たくさんお越しいただきました。鶏肉しか食べないダイアナ・ロスにホロホロ鳥を使った料理をお出ししたら翌日も予約の電話をいただいたり。長いこと料理の世界にいるので、宝物のような思い出がたくさんあります」
だが、三國氏はどれだけの称賛を浴びようと、そこに安住することはしない。コロナ禍で店の休業を余儀なくされた時に始めたYouTubeのチャンネル登録者数は、まもなく55万人に届く勢いだ。
「(始めて)6年近くになりますが、最初は存在自体もよく知らなかったんです。でも、そこから新しい世界が広がりました」
ライフワークのひとつである子供への食育や地方創生への取り組みも精力的に行いながら夜は目の前のゲストのために心を尽くし、腕を揮う。
取材時に“即興”で作られた帆立と冬キャベツの料理は、瑞々しい生命力がそのまま宿っているようで、それはそのまま情熱的でエネルギッシュな三國氏を表していた。

「今年は故郷の増毛にラーメンとカレーの店を出すんです。いずれ冬は東京、夏は増毛で僕が料理をするお店を出したいと思ってその準備も進めています。そうすれば80歳よりも長く働けるはず。100歳? それはさすがにどうでしょうね(笑)」
生き様のすべてが“規格外”にして唯一無二の三國氏ならば、その可能性は、きっとゼロではないだろう。
「三國」を訪れたら、“最幸”とは何かを全身で感じることができるはずだ。それは、ただ料理を味わうだけではない、魂の歴史を舌と心に刻む得がたい体験。皿の上にこそ“真実”がある。
三國
住所:東京都新宿区若葉1-18-6
TEL:03-3351-3810
営業時間:18:30/20:30入店
定休日:不定休
料金:おまかせコース¥55,000
この記事はGOETHE 2026年4月号「総力特集:人生を変えるモノ&コト 最幸の贅沢」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら









