横尾忠則さんと和田秀樹さん。美術と医学、別世界で壁を壊し続けるふたりに共通する“自由自在”な生き方とは。「見えない世界」が見えてくる面白対談! 『80歳の壁』著者・和田秀樹が“長生きの真意”に迫る連載。2回目。

変化をする人ほど若くいられるし面白い
和田 対談1回目で「飽きっぽい」という話をしました。じつは今ある本の解説文を書いているのですが、偶然それが横尾さんの今のお話にも通じていて。
横尾 どんなお話ですか?
和田 スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンという人の本なんですけど。彼は自分がADHD(多動症)だと告白していて「多動症の人が世の中を進歩させてきた」みたいなことを言っているんです。
横尾 面白いですね。どうやって進化させたんですか?
和田 横尾さん、聞き上手(笑)。人類の祖先は森からサバンナに降り、そこから世界に広まりました。そのなかには、同じ場所にいるのを好む人と、新しい場所を求めて動く人がいたらしい。で、移動する遺伝子を多く残す人が多動なんだそうです。多動の人は常にドーパミンが足りないので、それを求めて動き続けた。それが天才性にもつながったらしいんですよ。
横尾 なるほどね。僕は天才とは思わないけど、多動なのかなと思います(笑)。
和田 ジャングルでじっとしているやつは置いてきぼりになるし、飯も食えなかった。多動のほうが有利だったんです。ところが2万年ぐらい前に農耕が始まると、同じ場所にいるほうが有利になった。そして200年ぐらい前に学校が始まると、多動な人を邪険に扱うようになった。そんなことが書かれた本です。
横尾 なるほど。だけど僕は、考えを固定化することには恐れを感じますね。常に動いてないと安定しない、落ち着かない。
和田 だから横尾さんはクリエイティブなんですよ。
横尾 考え過ぎることは創造的にいい影響を与えない。考えるってことに目的を持ったり、意味性を求めたりすると、どうしても固定化してしまいますね。だから僕は、何かをするときには意味性も結果も考えません。常に流動的。僕の性格にも合ってるし、自由な感じもします。
和田 私は医学の世界にいるんですが、考え方が50年前とほとんど変わってないんです。例えば、人間を臓器に分けて見る医療をしても病気は減らないし予防もできない。それなら「全体を見よう」って改めてもいいはずなのに、それをしない。
横尾 お医者さんは、相対的に唯物論者が多いですからね。

現代美術家。1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ世界各国の美術館で個展を開催。2015年には高松宮殿下記念世界文化賞受賞。日本藝術院会員。文化功労者。2025年6月22日まで、世田谷美術館にて個展「横尾忠則 連画の河」、8月24日まで、グッチ銀座 ギャラリーで「横尾忠則 未完の自画像 - 私への旅」を開催中。
唯物論的な人が増えている
和田 医者だけでなく、唯物論的な人は増えていますよね。
横尾 目に見えるもの、触れるもの、物質に対する気持ちが強すぎてね。見えないもの、まあ芸術は見えないものなんだけど、芸術のような見えないものに対する関心が非常に薄い。
和田 昔はね、唯物論じゃない医者も結構いたんですよ。だけど今の医学教育でほとんどいなくなっちゃって。
横尾 いないですねえ。
和田 若い医者ほど電子カルテの数字や画像データばかり見ている。でもね、やっぱり診察室にいると「感じるもの」って意外にあるんですよ。例えば、横尾さんが入ってきたら「あ、この人元気だ」と感じる(笑)。反対に「この人、そろそろ危ないかな」と感じる人もいます。あまり言いたくないけど。
横尾 そうでしょうね。
和田 その感覚って意外に大事なんです。東洋医学なんかだと弱々しくなっている人に気を入れたりしますが、西洋医学の医者はそこを馬鹿にしている。
横尾 先生は精神科の先生だけれども、非常に珍しいですね。唯物論だと感じない。先生の本や週刊誌の連載を読んでもね。
和田 ありがとうございます。
横尾 普通のお医者さんは、非常に知的だし分析力もあるんだろうけど、ものを分けて考えますね。「正しいもの」と「正しくないもの」と分別して考える。ところが僕たちアートをやっている人間は、どっちかいうと無分別なんですよ。今日はお医者さんとの対談だから、もしかすると対決しちゃうかなと思ってたんだけど、大丈夫でした(笑)。面白い。

1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』『女80歳の壁』など著書多数。
人間は感じる生き物
和田 やっぱり人間って感じるところがある。それが「気」だとか、気がどこまで支配しているとか、そういうのはよくわかんないのだけど。少なくとも確実に“感じる”ことはある。この絵を見て「怖い」と感じるのか「すごい」と感じるのか「素敵だ」と感じるのか「パワー」を感じるのか。理由はわからなくても“感じる”はあるんですよ。
横尾 僕もね「何を描いているのか」と言われても答えられないんですよ。こういう絵を描きたいから描いている。「なんで赤色ですか」と聞かれても「そんなこと知らない、あなたが自分で考えればいいじゃないか」みたいなね。描き終わってから、「こういう絵ができちゃいました」ってね、非常に他人事みたいな場合が多いんですよ。だけど他人事で自分の作品を見られるときのほうが上手くいったと思いますね。
和田 最近の日本人の悪いところだと思うのですが、理屈がつかないと納得しないんですね。
横尾 納得しないです。
和田 だけど「そう感じたんだから、それでいいじゃない」と僕は思ってしまう。気持ちいいとか美味しいと、まずは感じるわけですよ。理由をつけるのは後からでしょ。
横尾 やっぱり先生、お医者さんっぽくないですね(笑)。

目に見えないパワーがある
和田 最近になってやっと気がついたことなんですけど。全員に同じ医療をしても結果が違う。例えば血圧が高い人、全員に同じ薬を出しても、長生きできない人と長生きできる人がいるんですよ。
横尾 適応した人は長生き?
和田 わからないです。理由は知らないけど、長生きする別のパワーがあるはずなのね。例えば、横尾さんはこのまま長生きされると思うんですけど、そこにはなんらかのパワーがあると思うんです。
横尾 僕はねえ、わかりませんけれども。長生きすることと、創造的、クリエイティブというのは、関係しているなって。
和田 それはあると思います。対談の1回目で「常に変化する人は脳の前頭葉が衰えない」という話をしましたが、クリエイティブな人は前頭葉が発達している。だから意欲が消えないんです。人間ってね、やっぱり最終的には意欲が無くなって死んでいくんですよ。
横尾 そうでしょうね。
和田 いちばん良い例が食欲です。元気なお年寄りがね「最近ちょっとご飯が食べられなくなりまして」とか「食が細くなって」「食べる物が欲しくなくなって」などと言うと、次の段階で痩せてくる。そうなると、やっぱり長くないんです。ところが90歳であろうが100歳であろうが「食べたい」「食べるのが楽しい」と言っている人は、そのまま長生きするんですよ。
横尾 死ぬ人は、だいたい食べられなくなって死にますね。
和田 はい。食欲だけじゃなく欲はいろいろあるんですけど。欲が無くなると「あ、もうすぐ」という感じがするんです。
※3回目に続く