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2023.07.08

予約7年待ち「クロッサムモリタ」森田隼人は元公務員。遅咲きの料理人人生とは

立ち食い焼肉「六花界」から始まり、プロジェクションマッピングを用いた完全会員制の劇場型レストラン「クロッサムモリタ」など現在6つのレストランを営む森田隼人氏。実は、料理人になったのは31歳、それまでは建築家、公務員、ボクサーという異色の経歴の持ち主だった。その職歴と、キャリアチェンジを決めた数々の瞬間を語る。

「クロッサムモリタ」森田隼人

謎が謎を呼ぶ超人気の劇場型肉懐石「クロッサムモリタ」とは

その店は住所非公開、完全会員制の肉懐石。会員の資格を得てもなお、場所は明かされず、たどり着きたくば東京は鶯谷の駅前で迎えを待つ他ない。やってきた屈強な男の後を着いて、鶯谷の怪しげなネオンの間を歩いていくと、やがて巨大な門が見えてきた。

2017年にオープンした「クロッサムモリタ」は、店に入る前から、その謎に満ちた世界観を楽しむことができる劇場型レストランだ。撮影禁止、荷物やスマホも没収され、ゲスト1組1組のために制作されたプロジェクションマッピングほか数々の演出が繰り広げられる。

クロッサムモリタ

客の来店理由やストーリーにあわせて、ひとつひとつ制作されたプロジェクションマッピングがテーブルと部屋に広がる。

そこで味わうのは、熊本の自社牧場で大切に育てた和牛だからこそ、食事中は、料理以外についての会話、特に仕事の話は厳禁。食こそ究極のエンターテイメントなのだといわんばかりの矜持を強く感じさせるこの店は、ビジネスパーソンやセレブリティの間で話題を呼び、今では予約が7年待ちにまでなっている。

このラグジュアリーにして、超人気店を作り上げた森田隼人氏は、実は31歳まで飲食業界の経験は一切なかった。10代から料理の修行を積み30代で独立という料理人が多いなかで、森田氏は31歳で料理を志し、そして同時に独立もしているのだ。なぜその決断に至ったのか、そしてその無謀に思える挑戦がなぜ実を結んだのか。それを知るには、森田氏が20代で重ねたキャリアチェンジの遍歴を知る必要があった。

森田隼人氏

森田隼人/Hayato Morita
1978年大阪府生まれ。2009年東京・神田のガード下に立ち食い焼肉「六花界」をオープン。その後「初花一家」「吟花」「五色桜」「TRYLIUM」を展開、すべてが予約のとれない人気店に。料理のみならず、そのビジネス手腕でも注目を浴びる。2017年劇場型レストラン「クロッサムモリタ」をオープン。著書に『2.2坪の魔法』(ダイヤモンド社)。数々のバラエティ番組にも出演。

建築士として、若くして関西の街づくりを担う

「私の父は建築士で、幼い頃からその姿を見ていましたから、当然のように私も建築士になるものだと思って育ちました。6歳の誕生日に父から『これからはお前には何も与えない。将来財産も会社も、何もお前には引き継がせない。その代わり20歳になるまでに、社会人としての知識と教養と経験を与える』と言われまして。そこから建築士としての英才教育を受けて育ちました」

理工学部の建築学科を卒業後、国家資格を取得し25歳で独立。以降は建築家および都市計画家として大阪・岸和田、堺市、京都・長岡京、神戸・西区といった関西の街づくりを担った。

「駅前に大きなマンションを建てたら、周りに何をつくるか、どこに公園をおいて、交番をおいて、スーパーをつくるか。街全体を設計する仕事でした。通常、街が完成するまで5〜10年はかかりますから、その間は仕事が途切れずあるわけです。25歳でそのポジションにつけたということはとても幸運なことだったのですが……」

入札金額1円にまでなった、建築界の暗黒時代

若い建築士が大きな街づくりに携わっていると、業界では噂になった。順風満帆に見えた建築家としてのスタートだったが、ここで早くも、森田氏は最初の決断を下すこととなる。

「その頃、姉歯耐震偽装が大きく報じられ、さらにリーマンショックと続き公共事業がほとんどなくなりました。道路を作るための競争入札で、10億円かかるはずの工事が、入札金額1円になってしまった時代です。このままではキャリアをつめない、そう思って転職を決めました」

この時、森田氏は28歳。街づくりの経験を活かし、選んだのは東京都での仕事。公務員資格を取り、当時100倍以上の倍率をくぐりぬけての入庁だった。

「一度東京に行こう、そこで街をつくろうと。ただ公務員としての仕事を経験したことで、自分が本当はどういうことがしたいのか、とても明確になってしまったんです」

東京都庁勤務時代の森田氏(奥)。

公務員時代の森田氏(奥)。

建築家・都市計画家として自ら街を設計してきた森田氏が、公務で行っていたのは、業者が持ちこむ計画に許認可を与える仕事だった。自分では企画を立てられず、街の設計も業者に預けることになってはじめて、森田氏は自らで考えてつくる、ものづくりへの想いに気付いた。

「いさんで東京へ出てきたのに、がっかりして都庁を辞めてしまいました。かといって実家に帰ることもできず、それならずっと好きだったボクシングを再開しようと。実は16歳からボクシングをやっていまして、大阪で建築家として働きながらプロ資格も取っていたんです。上京することになり一度引退していましたが、この機会にもう一度ボクシングの道に進もうと決めました」

若いボクサーにきちんと肉を食べさせたい

公務員を辞めるという、森田氏がそのキャリアの中で下した第二の決断は、半ば衝動的だった。しかし、だからこそ次の道が見えはじめた。

「内藤大助さん(元WBC世界フライ級王者で第49代日本フライ級王者)のジム、宮田ボクシングジムに入れていただき、内藤さんのトレーナーとしてセコンドにつかせていただきました。2007年内藤さんのWBC世界フライ王者戦の勝利、そして初防衛戦での亀田大毅からの勝利と、どんどんジムが盛り上がっていた時代に、その場にいられたことは本当に幸せでした。トレーナーとして食べていけるようになったのも、ジムの宮田会長のおかげでしたから、なにか恩返ししなければと考えたんです」

その時の宮田博行会長の言葉が、森田氏を大きく動かすことになる。

「『俺には恩なんて返さないでいい。お前がジムの下の子たちを世話してやったらいい』と。であれば会長のために、私はボクサーたちを幸せにしたい、そう強く思いました。若いボクサーが幸せになるために、どうすればいいのか。それを考えたとき、気づいたんです。ボクサーができていないことって、実は『ちゃんと食べること』なんですよ」

お金のない若いボクサーは、減量にかこつけて食事をろくに取らず、取れたとしても菓子パンなどの簡単なものが多いのが現実だった。そのような食事では筋肉がつかないばかりか、体調を崩すだけだ。「若いボクサーに肉を食べさせたい」。その想いが募った時、森田氏は再び決断をする。

それが、森田氏が31歳でオープンさせた最初の店、そして後にもっとも予約のとれない店と呼ばれる「六花界」の始まりだった。

※続く

TEXT=安井桃子

PHOTOGRAPH=鮫島亜希子

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