建築家、公務員、ボクサー、そして料理人という異色の経歴を持つ、「クロッサムモリタ」の森田隼人氏。展開する6つのレストランすべてを予約のとれない超人気店にし、ニューヨークやシンガポールなど、世界中から出店のオファーが絶えない森田氏が、新たなプロジェクトを立ち上げたのはアフリカ・ナイジェリア。レストランが一軒もないというスラムの街で、森田氏が考えていることとは? #1/#2
飲食界のトップを見た今こそ、0から1を生み出したい
建築家、公務員、そしてボクサーを経て31歳で焼肉店の経営を始めた森田隼人氏。ボクシングジムに所属していた時代に感じた「若い人に安くていい肉を食べさせたい」という想いから料理人を志した森田氏は、今、世界に目を向けている。2019年にはロシア・ウラジオストックからモスクワまでの陸路をクルマで移動しながら、その中で日本酒を醸造する「十輪 旅スル日本酒」プロジェクトを発足させた。
移動し続けることで、土地に縛られず、地球全体をテロワール(土壌)として育むことで、日本酒の価値を上げたい。それこそが森田氏の狙いだった。そしてその狙い通り、2021年の「シンワオークション」では、日本酒として過去最高価格である440万円でこの酒が落札された。
そして2023年、森田氏が次に向かったのが、アフリカのほぼ中央に位置する人口約2億1000万人の国、ナイジェリアだ。
「ありがたいことに、ニューヨーク、シンガポール、ドバイなどから、オファーをいただくことが増えました。けれど私は、もっともっと、ものづくりがしたい、0から1を生み出したいと思うのです。そこで目を向けたのがナイジェリアでした。
現代では初めて訪れる国でも、どこに泊まるべきか、何を食べるべきか、交通手段はどうするべきかなど、事前にインターネットで情報を見つけられますよね。でもナイジェリアについて、これらの情報が極端に少ない。なのに、人口は約2億1000万人もいる。観光産業はほとんどなく、いわゆる代表的な料理といわれるものの情報もない。これはいったいどんな国なのかと思って、飛行機のチケットを取ってまずは向かってみたんです」
そこで目にしたのは、圧倒的な貧富の差だった。富裕層はごく一部だけいるものの、多くの子供たちは裸足で街を歩いていた。
「産業がありませんので、日本のように会社に入って働いて、それなりに富を得るということはできません。豊かな生活がしたければ、アーティストやミュージシャンとして売れるか、サッカー選手になるかしかない。
だから子供たちはたいてい、『ミュージシャンになりたい』『サッカー選手になりたい』と夢見ていました。であればその子供たちの夢に、料理人を加えることができるのではないかと、ふと思ったのです。料理なら大きな施設はいらない。簡単な材料があれば才能だけでできる。子供たちが、料理を夢見て、素晴らしいレストランをつくったら、この国は豊かになるかもしれないと」
ナイジェリア国王の誕生日パーティで日本の料理人が腕を振るう
まずはこの異国の地で、料理人と認識してもらうことから、この計画は始まる。現地での少ないツテをたどり、比較的大きな街で料理イベントを開催。日本から持って行った肉と日本酒を振る舞うと、ナイジェリアの有名女優、ソラ・ソボウェールがSNSに森田氏の姿を投稿した。その影響力は大きく、街を歩いていると「あのインスタに出ていた料理人だ」と顔をさされるようになる。
「ホテルに帰ったら、従業員の方から『SNSを見たよ、君はシェフだろ。どこで君の料理が食べられるの?』と聞かれました。『絶対食べてみたいから、うちのホテルの厨房を使いなよ』と、ホテルでイベントをさせてもらえたんです。大きなホテルでしたので、そこからどんどんお偉い方が集まってきまして、最終的には、エグバ族という民族の王様にまで届きました」
そうしてなんと、来たる2023年9月、このエグバ族の王の誕生日パーティで、日本人として初めて森田氏が料理を振る舞うことが決まった。
「ですので、準備をしてまたナイジェリアに飛ぶ予定です。王様のために料理をすることができるのはとても光栄なことですが、けれど僕の中で、人生を変えたナイジェリアでの出来事は他にあるのです」
ナイジェリアの子供たちに料理人を夢見てもらいたい。そう考えていた森田氏は、ホテルでのイベントを終えて、スラム街に向かう。そこで森田氏は、ガスコンロひとつで、麺料理を作った。
「それまでナイジェリアに滞在して、なんとなく現地の方々が好む味付けというのがわかってきました。それをもとに日本から持っていったうどんで料理をし、まずはその村の長に食べていただきました。大人数分作りましたから、子供たちが余りをもらいにくるわけです。そして、それを食べた子供たちが、大勢、僕のところに集まってきました」
子供たちは、森田氏を囲み「ハヤト!ハヤト!」と叫び続けた。言葉も文化もお互いよく知らない、けれど美味しいということはわかる。伝えられる。「美味しい」「ありがとう」、その代わりに子供たちは「ハヤト」と叫んでいたのだ。
「その時、ここにレストランを作ろうと決めました。そのスラムには、そもそもレストランはありません。だったら最初のレストラン『ハヤト』を作ればいい。それを発信していって、世界中から興味を持った人が来てくれたらいい。そして、もちろん現地の方をスタッフとして雇います。そこで料理人を目指す人たちが増えて、名物料理もできる。そうしたら、スラムでの生活は向上するはずです。ナイジェリアのスラム街で、レストランをつくる。これこそ、私が望んでいた0から1をつくり上げることなんです」
建築だけでも、料理だけでもたどりつけなかった夢
肉料理は好まれるものの、牛を飼育する土壌がない。であればどのように牛肉を運ぶのか、野菜は現地になかった新しい品種を植えるのもいいだろう。森田氏の頭の中は今、このレストランと、街づくりでいっぱいだ。
「建築家であり、街づくりの経験があるからこそ、考えられることだと思っています。料理だけでも、建築だけでも、この新しい夢には出合えなかった。それに結局やりたいことって、誰かのためであるかどうか、が強い気がします。今、すごくワクワクしていますよ」
建築家であり、街づくりのプロであり、ボクサーであり、料理人であり、ビジネスマンである。
自らをひとつのキャリアに閉じ込めることなく歩んできた。そのことを誇りに、森田氏の新たな料理と街づくりは始まったばかりだ。
※第1回、第2回は関連記事からご覧いただけます。