PERSON

2025.07.13

甲斐よしひろ、甲斐バンド50年を振り返る「映画のカメラワークの手法で楽曲をつくり続けてきた」

1974年にシングル「バス通り」でデビューし50周年イヤーを迎えた甲斐バンドが、アルバム『ノワール・ミッドナイト』をリリース。50周年記念ツアーもスタートした。フロントマン、甲斐よしひろはどんな思いで歌ってきたのか。キャリアのどこでどんな挑戦をしてきたのか。甲斐バンドの半世紀を詳細に語る。

甲斐よしひろ氏
Yoshihiro Kai
1953年福岡県生まれ。1974年に甲斐バンドで「バス通り」でデビュー。「裏切りの街角」「HERO(ヒーローになる時、それは今)」「感触(タッチ)」「安奈」などがヒット。2024年にデビュー50年を迎える。ソロでも活動。

サウンドで歓喜して歌詞で泣きたい

甲斐バンドのアルバムを聴くと映画を観ている気持ちになる。各楽曲に物語があり、情景が見える。デビュー50周年記念作、16年ぶりのオリジナルアルバム『ノワール・ミッドナイト』も物語性が濃い。1曲目の「黄昏に消えた」から9曲目の「ブルー・ピリオド」まで、切なく、それでいてスリリングなオムニバス映画のよう。

それぞれの歌詞の主人公は疾走し、恋に落ち、恋に破れる。ラストナンバー、10曲目のギター・インストゥルメンタル曲「RINGS」は、物語のエンディングテーマとして聴ける。

バンドのジャッジは甲斐。印税はメンバーで等分

「確かに、甲斐バンドのアルバムはずっと映画を製作するように音作りしてきました。1曲目はチャプター1、2曲目はチャプター2……とね。それぞれの物語はどこかで関連していて、ラストナンバーを聴き終えると一編の映画を観た気持ちになってもらえるはずです」

バンドのフロントマン、甲斐よしひろは打ち明ける。

甲斐バンドのロックは“映画”。だからこそ、激しい曲でも汗くさくならず、切なくロマンティックな思いに浸れる。それで半世紀にわたり聴き継がれてきたのかもしれない。

「3枚目のシングルのB面、『ポップコーンをほおばって』は18歳の僕が書いた曲ですが、今聴くとすでに映画的な手法で作られています。うちはみんなで映画を観にいく家庭でね。僕はシアターの暗闇の中で育ったような子でした。当時の福岡には小学生でもわかる不平等や弱肉強食が残っていて、遊郭もあってね。そんな時代に育ったことも楽曲に影響しています。音楽を始めた時には、周囲の人物や情景を寄り、引き、俯瞰……と、何台もカメラを覗く意識で作詞・作曲していました」

甲斐が高校に入る頃、映画シーンでは、アメリカン・ニューシネマが全盛期を迎えていた。

「ニューシネマの代表作のひとつ『イージー・ライダー』の冒頭で、ピーター・フォンダが荒れ地に腕時計を放ってデニス・ホッパーとバイクで旅に出る。ステッペンウルフの『ワイルドでいこう!』が鳴る。映画とロックが結びついた時代です」

監督のデニス・ホッパーは映画にロックを取り入れ、甲斐はロックに映画を取り入れた。

「カメラワークのような曲作りをしているソングライターは、当時から少なかったんじゃないかな。強いて挙げると、古井戸の『ポスターカラー』にはカメラの切り替えを感じました。彼らはギターのデュオですが、僕はバンドで映像を意識しました」

カメラの手法を用いるとリスナーの心に音で映像を描ける。

「映画的な音作りをすると、リスナーは1曲を何度も味わってくれることも知りました。無意識にやっていた手法は確信になった。2枚目のシングル『裏切りの街角』は、僕のなかでは完全に映画です。カメラワーク的手法をより大胆に意識して、半年かけてじっくり作りました。甲斐バンドには50年間にたぶん3つの節目があって、ひとつ目が年間75万枚売れた『裏切りの街角』だったと思う。あれでバンドカラーがはっきりしましたから。ザ・ビートルズのように優等生的ではなく、どちらかというとザ・ローリング・ストーンズのようなダークなイメージにブランディングできた」

以降は「テレフォン・ノイローゼ」「氷のくちびる」……など、キャッチーな曲を量産。そして1978年、「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がシングルチャート1位を獲得する。

甲斐は、甲斐バンドという“作品”の脚本家で、監督で、主演を担ってきた。そして、プロデューサーでもある。

「バンドの政治はオレがやる」。甲斐はメンバーに伝えた。

「バンドの舵取りは僕のジャッジ。民主制は敷いていません。ただし、楽曲はほとんど僕が作っているけれど、印税はメンバー4人で等分すると結成時に決めて今もそうしています。ロックミュージシャンの伝記を読むと、どのバンドもお金でもめて解散しているからです」

NYのスタジオに行き、すご腕のエンジニアを起用

「サウンドで歓喜して、歌詞で泣きたい」

これがロックミュージシャンとしての甲斐の信条だという。

「それを考えると、ふたつ目の節目は1982年の『虜-TORIKO-』でしょうね」

『虜』はバンドの9枚目のアルバム。「BLUE LETTER」「ナイト・ウェイブ」「観覧車’82」……など、ファンに強く支持される曲を収録している。甲斐の書く歌詞は切なさを増し、サウンドは各段にレベルアップした。

「素直な気持ちで歌詞を書くことに徹し、俯瞰し、微調整して仕上げています。リスナーを泣かせようなんて狙っていません。作者の作為や下心はリスナーに絶対にバレますから」

甲斐は『虜』で椎名和夫(編曲・ギター)、伊藤広規(ベース)、難波弘之(キーボード)などメンバー以外の腕利きミュージシャンを大胆に起用。サウンドミックスはニューヨークのボブ・クリアマウンテンに委ねた。

「ボブはザ・ローリング・ストーンズの『刺青の男』、ロキシー・ミュージックの『アヴァロン』、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』などを手がけた超一級のエンジニアです。当時、世界最先端の響きを作っていました」

数多ある日本の音楽で、甲斐バンドのアルバムは当時圧倒的に音が抜けて聴こえた。

「ボブには世界中からオファーが殺到していて、僕たちは11番手でした。順番待ちで、ブライアン・アダムスが次だったことを憶えています。そこにデヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』が割りこんできてね」

『虜』は、バンドにとって経済的なチャレンジでもあった。

「ミックスのコストは2000万円以上かかりました。30万枚売らないとペイできない計算です。それでも強行した。ボブに依頼した『虜』『GOLD/黄金』『ラブ・マイナス・ゼロ』のニューヨーク3部作で、バンドのステージは明らかに上がりました」

その後1986年に日本武道館で5日間の公演を行い、甲斐バンドはひと度解散する。ファン目線では、甲斐バンドの第一幕が降りたイメージだろう。

「甲斐バンドがその後も続き50周年を迎えるイメージはありませんでした。ソングライターとして、ミディアムテンポとロックとバラード、3曲はヒットを作れると考えていて、それは20代でやってしまった。『裏切りの街角』と『HERO』と『安奈』です。この後はどうしようと方向性に迷ってもいました」

しかし甲斐バンドは復活する。甲斐は、バンドの3つ目の節目に結成時のギタリスト、大森信和が2004年にこの世を去ったことを挙げた。

インタビューを受ける甲斐氏

大森信和の泣きのギターをラストに収録

「1986年の解散の後は別のプロジェクトやソロの活動を続けていました。でも心臓の病気で大森さんが亡くなった時、残っているメンバーで甲斐バンドを本気でやらなくてはいけないと強烈に感じたんです」

甲斐バンドはもともと、大森が甲斐を誘い誕生した。

「デビュー前、福岡の『照和』というライヴ喫茶で、僕はソロシンガーとして歌っていました。ギターとハーモニカでね。店のスケジュールが空いた夜には、ふたつ年上の大森さんとカントリーテイストのバンドもやっていた。一緒にバンドを組もうと何度もささやかれて、甲斐バンドが生まれました」

ベースの長岡和弘とドラムスの松藤英男も「照和」の仲間。

「長岡は大森さんと同じ下宿の隣の部屋で暮らしていました。松藤は大森さんが連れてきた。音感がよくて性格もいいから、と。そんな大森さんがいなくなったことでもう一度甲斐バンドに本腰を入れました。16年ぶりのアルバム『ノワール・ミッドナイト』も、その延長線上にあります」

アルバムのラストナンバー、インスト曲の「RINGS」は大森が生前に録音していたテイク。ギターが泣きまくっている。

「メンバーの松藤がその音源を持ってたんですよ。音を聴いたら、すごくいい演奏でね。新作のエンディングに収録すると決めました。

この6月、甲斐バンドは50周年記念ツアーをスタートした。

「日本武道館で記念コンサートも開催します。50年のキャリアから代表曲をやれるだけやります。甲斐バンドの熱量と湿度を感じてほしいですね」

結成50年の軌跡をたどるHISTORY

大森信和、長岡和弘、松藤英男、田中一郎、同郷の4人とともに歩んできた甲斐バンド。その軌跡を時系列に振りかえる。1970年代後半~1980年代前半は名曲を量産。

1974年

福岡の名門ライヴ喫茶「照和」で出会った大森信和、長岡和弘、松藤英男とともに甲斐バンドを結成。シングル「バス通り」でデビュー。

「照和」は、甲斐バンドをはじめ、ARB、チューリップ、海援隊、鮎川誠、長渕剛など多数のアーティストを輩出。

1975年

2ndシングル「裏切りの街角」が年間75万枚のヒット。

「裏切りの街角」

最初のヒット曲「裏切りの街角」。夜のプラットホームでの別れを歌い75万枚のセールスを上げた初期の代表曲。作詞・作曲は甲斐。編曲は甲斐とサディスティック・ミカ・バンドのキーボード奏者の今井裕。

1978年

「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がチャート1位になる。

「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

「HERO(ヒーローになる時、それは今)」は服部時計店(現セイコーグループ)のCM曲でバンドの代表曲のひとつ。作詞・作曲は甲斐。この年はNHK-FMの「サウンドストリート」でDJでも人気に。

1979年

「感触(タッチ)」「安奈」が連続ヒット。ベーシストの長岡が脱退。

1981年

大阪の花園ラグビー場で野外ライヴを行い、2万2000人を動員。

1982年

エンジニアにボブ・クリアマウンテンを起用し『虜-TORIKO-』をリリース。『GOLD/黄金』(’83年)、『ラブ・マイナス・ゼロ』(’85年)のアルバム3枚はニューヨーク3部作と後に呼ばれる。

『虜-TORIKO-』『GOLD/黄金』『ラブ・マイナス・ゼロ』
ボブ・クリアマウンテンを起用したNY3部作。写真左から『虜-TORIKO-』『GOLD/黄金』『ラブ・マイナス・ゼロ』。ニューヨークの名門スタジオ、パワー・ステーション(現アヴァター・スタジオ)でミックス。抜群の響き。
1984年

元ARBのギタリスト、田中一郎が甲斐バンドに加入。

1986年

日本武道館で5日間の公演を行い甲斐バンド解散。

1996年

期間限定で、甲斐バンドを再結成。

1999年

甲斐バンドの活動を再開。

2004年

ギタリストの大森が死去。

バンドのオリジナルメンバーでギタリストの大森は、心臓の病気で亡くなった。彼の死を機に、甲斐は甲斐バンドに本腰を入れる決意を固める。翌2005年には10枚組の甲斐バンドのライヴBOXをリリースした。

2009年

甲斐バンドの活動を再々開。

2025年

デビュー50周年記念アルバム『ノワール・ミッドナイト』をリリース。
記念ツアー、日本武道館公演を開催。

2025年11月8日、デビュー50周年記念ライヴを日本武道館で開催

現在、全国をまわっている50周年記念ツアーのスペシャルコンサートとして、2009年以来16年ぶりの日本武道館でのライヴ開催を決定。

TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=倭田宏樹(TRON)

PICK UP

STORY 連載

MAGAZINE 最新号

2025年8月号

100年後も受け継ぎたいLUXURY WATCH

ゲーテ2025年8月号

最新号を見る

定期購読はこちら

バックナンバー一覧

MAGAZINE 最新号

2025年8月号

100年後も受け継ぎたいLUXURY WATCH

仕事に遊びに一切妥協できない男たちが、人生を謳歌するためのライフスタイル誌『ゲーテ8月号』が2025年6月25日に発売となる。今回の特集は、“100年後も受け継ぎたいLUXURY WATCH”。表紙はNumber_iの神宮寺勇太さん。あくなき探究心が見つけた語り継ぐべき名品とは。

最新号を購入する

電子版も発売中!

バックナンバー一覧

GOETHE LOUNGE ゲーテラウンジ

忙しい日々の中で、心を満たす特別な体験を。GOETHE LOUNGEは、上質な時間を求めるあなたのための登録無料の会員制サービス。限定イベント、優待特典、そして選りすぐりの情報を通じて、GOETHEだからこそできる特別なひとときをお届けします。

詳しくみる