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2023.09.20

五木ひろし、今だから語れる60年の歌手人生【まとめ】

2024年で歌手生活60周年を迎えるレジェンド五木ひろしの半生に迫る。連載の第7回〜10回をまとめてお届け! ※2023年7月掲載記事を再編

五木ひろしまとめ②

1. 五木ひろし「2回声を変えて、今がある!」

「僕のライバルは、僕」

五木ひろしはきっぱりと言う。

「僕は1948年生まれ。団塊の世代です。人口が多いので、同世代でいつも競争してきました。歌手になりヒットが出るようになっても、同世代の歌手たちと比較されてきました。でも、特定の誰かをライバル視したことはありません。僕のライバルは、いつも僕でした。5年前の自分と比べて、今のほうがいい歌手になっているのか? 昨年の同じ時期よりもレベルアップしているか? 常に意識してきました」

今もコンサートやテレビ収録のときの歌を録音。自分の声のチェックを怠らない。五木のiPodには延べ8000曲分以上の自分の歌が収められている。

「正直なところを打ち明けると、歌手としての僕のピークは30~40代です。あのころ、一番声が出ていました。『おまえとふたり』をはじめ、作曲家でもあるギタリスト木村好夫さんと、どこまで音が出るか音域を競ったことがあります。僕の音域は3オクターブ半で、木村さんのギターに勝ってしまったくらいでした」

30~40代の自分にどれだけ近づけるか――。それを自分のテーマのひとつにして、今も五木は歌い続ける。

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2. 五木ひろし、歌手が売れなくなる3つの理由

「ヨロレイヒー」

五木ひろしのコンサート開場前、まだお客さんの入っていないホールには、ヨーデルが響いている。

ヨーデルとは、ヨーロッパのアルプスの山岳地帯で牧童が仲間と呼び交わすために行った発声。胸で鳴らす低音とファルセット(裏声)を交互に使い分けて音色を変化させる。

なぜ五木ひろしがヨーデルを? にわかには理解しがたい。しかし五木にとって、ヨーデルはコンサートの本番前に行う大切なルーティンだ。

レコード大賞受賞2回、レコード大賞最優秀歌唱賞3回(歴代単独第1位)、NHK紅白歌合戦連続50回出場、紫綬褒章受章、旭日小綬章受賞……。五木ひろしは数々の栄誉に輝いてきた。そして、1971年の「よこはま・たそがれ」以降50年以上、芸能界のメインストリームで歌い続けている。

半世紀以上芸能界で活躍を続けている五木によると、歌手が売れなくなるのには3つの理由があるという。

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3. 【五木ひろし】同世代のライバルたちより、気にしていたこと

1948年生まれの五木ひろしは、約806万人も誕生した団塊の世代(1947~1949年生まれ)のピーク。子どものころも、大人になってからも常に競争させられてきた。

「小学校時代も、中学校時代も、同学年がたくさんいて、常に戦わなくてはならなかった世代です。勉強も競争。体育も競争。食べるのも競争。歌謡界に入ってからも、もちろん競争です。そういう世代だから仕方がないんです」

自分が意識していない相手とも比べられる。

「自分では10歳上、20歳上の先輩を目標にやっているつもりでも、周囲は同世代と比べたがります」

歌謡界には、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が“御三家”と言われた時代があった。郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎が“新御三家”と言われた時代もあった。五木は、沢田研二、布施明、森進一とともに“四天王”と言われた。

「ほぼ同世代ですから。お察しいただけると思いますが、音楽性や歌手としての方向性は違います。でも年齢が近いと、本人たちが望まなくても競わされました。年齢が近くて人気者同士というだけで争わされます。さまざまな音楽番組で、いろいろなことをやらされましたよ。今ふり返ると、常に闘いでした」

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4. 【五木ひろし】50年以上のキャリアで、もっとも悔しかった、1987年のレコード大賞のこと

倖せを
求めるならば
耐えよ
喜びを
求めるならば
辛抱せよ
生きてゆくなら
努力せよ

五木ひろし

これは五木ひろしの個人事務所、五木プロモーションに掲げられている社訓だ。

「あるとき、これだ! と思って書きました。僕はいつも、松下幸之助さんや稲森和夫さんの本を読み、自分の支えになる言葉を探しています。そして、自分自身の生き方に役立つ言葉を見つけると、積極的に取り入れるようにしています。ふり返ると、人間に必要なのは、忍耐と辛抱と努力だと思ったのです。人間には、努力はもちろん大切で、そして忍耐、辛抱の連続ですよ」

1971年の「よこはま・たそがれ」の大ヒットから日本の歌謡界の一線で歌い続けている五木だが、それでもいく度となく悔しい思いをし、その状況に耐えてきた。

「孤軍奮闘。僕はずっと多勢に無勢の状況で闘ってきました」

五木は悔し気に、でもかすかに誇らしげに話す。

「最初に所属していた事務所は野口プロモーションでした。芸能プロダクションではなく、ボクシングジムです。1979年に独立してからは五木プロモーション。個人事務所です。資本力のある芸能界の大手事務所に所属することなく50年以上歌ってきました。とくに賞レースでは、厳しい戦いを強いられてきました」

もっとも悔しかったのは「追憶」を歌った1987年の日本レコード大賞受賞式。

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5. 五木ひろしは、なぜ20代の頃から体重が変わらないのか

『ゲーテWeb』のフォトセッションやインタビューに、五木ひろしはいつも自前の服で現れる。この日は、イタリアのラグジュアリーブランド、ブリオーニのスーツだった。

「気に入っているブランドの一つです」

そう五木が言うブリオーニは、第二次世界大戦が終結した1945年のローマで、仕立て職人のナザレノ・フォンティコーリとデザイナーのカエターノ・サヴィーニによって創業された。2人はロンドンのメイフェアにある通り、サヴィル・ロウで修行を積んでいる。

「ブリオーニとの出合いはまさしく縁でした。40歳のころ、よく買い付けていたお店で見つけて気に入り、銀座6丁目のショップに通うようになりました」

五木の年齢とキャリアがあってこそ、自然に着こなすことができた。

「ヨーロッパ各国のプレジデントたちがとくに好んでいるブランドです。若いころではなく、40代で出合えて幸運でした」

2010年代以降、とくに服への意識が強くなった。

「社会では4Kテレビが普及して、質感も光沢もかなりリアルに映し出されるようになりました。いいものを着ていることが画面を通してはっきりとわかります。ごまかしはききません」

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6. 口笛を極め、ウグイスと会話! 五木ひろし、プロフェッショナルの掟

「プロはプロに徹するべき」

五木は肝に銘じている。

「あえて言うまでもないことですが、ステージには喉も身体も常にベストコンディションで臨みます。お客さんは僕を観に来てくれています。僕の歌を聴きに来てくれています。だから開演から終演まで、可能な限り僕はステージにいる。袖に消える時間は最小限にしています」

開演時間は厳守。

「ときどきエンタテインメントの興業が、開演時間には始まらないことがありますよね。僕のコンサートは、お客さん側になにかの事情がない限りはオンタイム開演です。本編の最後の曲が終ってからアンコールまでの時間も最小限に抑えます」

MCは極力少なくする。

「ステージによりますが、MCは1回か、せいぜい2回です。あとは歌い続ける。MCをはさまずに、曲間を開けずに、40分ぶっ通しで歌うこともよくあります。歌い手が苦しい状況になればなるほど、お客さんは楽しめる。歌い手が楽をしていると、お客さんは楽しめません。水も飲まず、汗だくで歌い続けるから、お客さんは感動します。アメリカのレジェンドでトム・ジョーンズというシンガーがいます。彼は開演前に大量に水を飲む。開演すると水をひかえて、でも40分くらいから飲んだ水が玉のような汗になって、顔から身体から噴き出す。とても魅力的です」

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7. 美空ひばり、長嶋茂雄、高倉健…本物のレジェンドはけっして威張らない【五木ひろし】

芸能界で50年を超えるキャリアのある五木ひろしの交友関係は広く深い。美空ひばり、石原裕次郎、高倉健、長嶋茂雄……。レジェンドのなかのレジェンドの名前がずらり並ぶ。後輩世代との交流も豊富だ。五木が司会を務めるBS朝日で『人生、歌がある』では歌謡界の後進たちにもチャンスを設けている。

そんななかでも長い間家族ぐるみで深く交流しているのが、プロ野球で3度三冠王を獲得した落合博満だ。

「落合さんとのお付き合いは1980年代から。彼がロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の若手選手だったころに出会いました。それ以前から、僕は西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の元大エースで1980年代のロッテの監督、稲尾和久さんと親しくさせていただいていました。その食事の席に、稲尾さんが村田兆治さんと落合さんを連れてきた。それが最初です」

当時のロッテは強かった。しかし、その時は西武の黄金時代。優勝から遠ざかっていた。ホームグラウンドの川崎球場は閑古鳥が鳴いていた。

「そんななか落合さんは孤軍奮闘で、三冠王を3回も獲りました。彼はよく夫婦で僕のコンサートを観に来てくれましてね。自分も満員のスタジアムでプレイしたいと話していたものです」

五木は落合のホームランにご祝儀も用意した。

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TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=片桐史郎

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