PERSON

2023.08.30

【五木ひろし】同世代のライバルたちより、気にしていたこと

歌手・五木ひろしが通算175枚目のシングル「時は流れて…」を2023年9月にリリース。2024年で歌手生活60周年を迎えるレジェンド五木ひろしの半生に迫る。連載9回目。過去記事はコチラ

ライバルの存在より視聴率、観客動員、ヒット曲数を意識

1948年生まれの五木ひろしは、約806万人も誕生した団塊の世代(1947~1949年生まれ)のピーク。子どものころも、大人になってからも常に競争させられてきた。

「小学校時代も、中学校時代も、同学年がたくさんいて、常に戦わなくてはならなかった世代です。勉強も競争。体育も競争。食べるのも競争。歌謡界に入ってからも、もちろん競争です。そういう世代だから仕方がないんです」

自分が意識していない相手とも比べられる。

「自分では10歳上、20歳上の先輩を目標にやっているつもりでも、周囲は同世代と比べたがります」

歌謡界には、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が“御三家”と言われた時代があった。郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎が“新御三家”と言われた時代もあった。五木は、沢田研二、布施明、森進一とともに“四天王”と言われた。

「ほぼ同世代ですから。お察しいただけると思いますが、音楽性や歌手としての方向性は違います。でも年齢が近いと、本人たちが望まなくても競わされました。年齢が近くて人気者同士というだけで争わされます。さまざまな音楽番組で、いろいろなことをやらされましたよ。今ふり返ると、常に闘いでした」

同世代は、いくつ歳を重ねても、ずっと同世代であり続ける。

「20代で激しく火花を散らしても、30代、40代になると関係性は変わっていきます。それぞれがそれぞれの道を歩み始めます」

同世代で戦わされながらも、とくに誰かを意識することはなかったという五木だが、それでも数字は強く意識した。

「歌手は人気商売です。でも、人気にはかたちがないでしょ。なんの保証もありません。だから、人気のものさしともいえる視聴率はとても強く意識しました。インターネットのなかった時代は、テレビが娯楽の象徴でした。国民全体の評価の指標でした」

そんな時代に、五木は“視聴率男”と言われていた。

「僕が出演する番組はいつも高視聴率でした。視聴率、観客動員、ヒット曲の数は誰にも負けないと自負しています。加えて言うと、歌謡番組の最多出演数も意識していました。TBSの人気番組『ザ・ベストテン』は12年続きましたが、12年間の1位は『長良川艶歌』です。フジテレビで22年続いた人気番組『夜のヒットスタジオ』も僕が最多出演です。こうした数字には誇りを感じています」

かつて、テレビ各局ではそれぞれの音楽祭や賞を設けていた。古賀政男記念音楽大賞(NHK)、日本テレビ音楽祭、日本レコード大賞(TBS)、FNS歌謡祭(フジテレビ)、全日本歌謡音楽祭(テレビ朝日)、メガロポリス歌謡祭(テレビ東京)。日本レコード大賞に対抗してTBS以外の民放が協力して開催していた日本歌謡大賞もあった。そのすべての大賞を五木は受賞している。チャンネル1から12まですべての局で大賞を獲得したのは五木だけ。

「それぞれの賞で一番を目指して歌い、闘ってきました。そこに大賞がある限り、本気で獲りに行きました。今思うと僕はね、大衆的なんです。大きな事務所に所属していたわけではないので、賞レースではハンディがあります。1970年代の初めに所属していた野口プロモーションの母体はボクシングジムでした。その後、独立してからの五木プロモーションは僕の個人事務所です。何百人もの歌手やタレントが所属する大手に所属してはいません。だから、大衆の皆さんに支持していただいてこその歌手であり続けています。その証しとして、賞を獲ることはとても重要でした」

坂本冬美、氷川きよしのチャレンジ精神

各局に賞レースがあったころ、それぞれの賞に存在価値があった。どの賞も基本的にジャンルの壁を設けていなかったからだ。

「沢田研二さんと僕は、まったく違うタイプの歌手ですよね。でも、同じフィールドで賞を争いました。その闘いのなかには山口百恵ちゃんや田原俊彦君もいた。世代の違うアイドルたちもいました。演歌であろうが、ロックであろうが、歌は歌、音楽は音楽です。ジャンル分けなどせずに闘っていたからこそ、賞に価値があったと思っています」

毎週放送される音楽番組も同様だ。

「『夜のヒットスタジオ』には、サザンオールスターズも出演すれば、百恵ちゃんや松田聖子ちゃんや中森明菜ちゃんも出演していました。ポップも演歌もロックもぜんぶが歌謡曲でした。だから、おじいちゃんやおばあちゃんから子どもまで、みんなで同じテレビ番組を楽しめました。ヒット曲は世代を問わず聴かれていました。そういう時代が過去になってしまったことは残念です。ジャンルを明確にしてしまったことで、地上波ではなかなか演歌が聴けなくなってしまいました」

それでも、ときどき希望の光を見る。

「2019年に坂本冬美ちゃんが『俺でいいのか』という曲を歌いました。この曲はイントロから素晴らしい」

『俺でいいのか』は、王道の演歌だ。

「僕は気に入りましてね。『演歌っていいね』というアルバムでカバーした。このアルバムはロングセラーになっています。ところが、冬美ちゃんは『俺でいいのか』の次にタイプの異なる曲をレコーディングしたんですよ。『ブッダのように私は死んだ』という曲です。作詞・作曲は桑田佳祐君でした」

「ブッダのように私は死んだ」は、サスペンス歌謡テイストの曲だった。

「あのとき、冬美ちゃんは大胆にチャレンジした。桑田君に曲を依頼したことに、僕は拍手を送りたい。それによって、演歌のワクから歌謡曲へと広がっていったわけですから。挑戦し、でも自分のフィールドも大切にする。素晴らしい姿勢です」

ジャンルのワクを突破する勇気を持ち続けたい

活動休止中の氷川きよしにも注目した。

「氷川きよし君は2017年、アニメ『ドラゴンボール超』のテーマ曲で、ロックナンバー『限界突破×サバイバー』を歌ったでしょ。彼はあのときまさしく限界を突破したわけです。演歌のワクというか、壁を叩き壊しました。それによって、演歌を排除している地上波の音楽番組にも出られるようになっています。この曲は彼の大きな転換期になりました。これからの展開にも期待しています」

音楽のジャンルの壁を超えるということについては、五木自身忸怩たる思いもある。

「年齢的にも、キャリアを考えても、僕にはやり遂げたという思いはあります。それでも、冬美ちゃんや氷川君のチャレンジを見ると、なぜ僕がもっと思い切って、先頭を切ってジャンルのワクを超えなかったのだろう、という悔いはあります」

五木は、ずっとジャンルのワクを突破する勇気を持ち続けていたいという。

「人気にはかたちがなく、保証もない。だから、ひたすら歌い続けるしかありません。目の前に道がなくても、光が見えなくても、歌うしかない。歌うことでしか歌手の人生は開かれていかないのです」

(※第10回に続く)

TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=片桐史郎

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