1981年のドラマデビューから45年、俳優として積み上げてきた本木雅弘のキャリアを振り返りながら、役作りために向かった長崎で見たもの、そこで感じたことを語ったインタビュー記事をまとめてお届け! ※2026年8月掲載記事を再編。

1.戦後81年の夏に想う、本木雅弘が迷いながらもどうしても伝えたかったこと

「どうしても、こんがらがってしまって、うまく伝えられない……」
俳優・本木雅弘氏は取材中、そう言って何度も頭を抱える。手元には、びっしりと書き込まれた手書きのメモがあり、そこに何度も目を落としながら、伝えたいと準備してきた言葉を必死で探している。
映画『八月の声を運ぶ男』で本木氏が演じたのは、生涯をかけて1000人を超える被爆者の証言を録音したジャーナリストだ。役のモデルとなったのは、私費を投じ日本全国を巡って被爆者の体験談を録音収集した元長崎放送記者、故・伊藤明彦氏である。
「そんなことを成し得た方がいたのだと、伊藤明彦さんという方の存在を知れたことがやはり僕のなかでは大きかったのです。 高度経済成長期の当時(1972年)は、『戦争のことは忘れて前を向きたい』という人が多かった時代です。そんななかを逆行するように、私財を削り8年という時間をかけて、被爆者に寄り添い、時に拒絶もされ、被爆の実相を伝え得る肉声にこだわった。その信念と向き合い、葛藤し、家庭も持たず、たったひとりで取材を進めていくという生き方。それは並大抵のことではないでしょう」
2.還暦・本木雅弘が31年ぶりに驚愕した、阿部サダヲの怪物ぶり

「振り返ってみると、自分のリアクションは少し硬かったとか、大きすぎたとか、足りなかったかなとか、いろいろと後悔することも、いまだあるんです。さじ加減が難しかったですね」
映画『八月の声を運ぶ男』で本木氏が演じたのは、2000人を超える被爆者のもとを訪ね、半数は拒まれながらも、その証言を録音し続けるジャーナリスト。ゆえに本木氏は、本作の主人公でありながら静かに頷き人の話を聞く、いわゆる「受けの芝居」を徹底した。人の話を聞く時の、かすかな頷き、リアクションなど、相手に語らせるための姿勢づくりに、難しさを感じたのだという。
「今、僕のこの話を聞いてくれている記者さんも、距離感が近く、ほぼ頷いて『僕の拙い説明でも受け入れてくれてる?』と思うんだけど、考えてみればわざわざみなさんは、取材をするためにいらしているんだから、それはもちろん頷きますよね。こちらも話すつもりで来ていますし、互いに利害が一致している。
だけど本作の『聞く』作業は、ちょっと違いますよね。傷ついた方々から、他人には伝え難い話を引き出していくことですから。一気に相手に踏み込んではいけない、そしてただ寄り添うだけでは真実が見えてこない。その距離感を推し量りながら、さらにどこかでその状況を俯瞰して冷静に分析していかなければいけない。そんな意識も漂わせるのがとても難しかった」
本作のモデルとなった元長崎放送の記者で故・伊藤明彦氏について調べていくなかで、本木氏は伊藤氏の元同僚にも取材した。
「伊藤さんご自身は、ドキュメンタリーの映像などで観る限り、とても可愛らしいお顔をされた方なんですよ。強い言葉を発してもニコニコして見えるというか。一方で、生で接した同僚のみなさんからすると近づきがたい雰囲気もあったそうです。真実が知りたいという熱意と同時に強靭な精神力の圧を持っていたんでしょうね。そして、自身の志が正しいのかと葛藤して折れそうになるという人間らしさも見せていたそうです。そんな揺らぎも大事にしながら、起伏の少ない受けの芝居のなかで、伊藤さんらしさを込められるようにと悩みつつ演じていました」
3.還暦を迎えた本木雅弘が感じる心の変化、残したいもの

『GOETHE』に本木氏が出演するのは、まさに15年ぶりのことである。当時、自ら発案し主演した映画『おくりびと』が米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。また3年がかりの主演作、NHKドラマ『坂の上の雲』に出演し、同作は国際エミー賞連続ドラマ部門の最終候補にも選ばれていた。俳優として国際的に評価されるなかで、さらに第三子も誕生、自身の在り方を考えている時だった。 当時のインタビューで本木氏はこう語っている。
「私は今、家族や人生、仕事のすべてにおいて、新たなアンカー、錘を下ろした感じです。これからは腰を据えて自分らしい生き方を味わっていこう、と」(「GOETHE」 2011年2月号より)
それから15年。「自分らしい生き方」はできたのかと聞いてみると、本木氏は静かに微笑みながら答えた。
「そうとも言えない……かもしれません。家族が増えて、正直、自由は減りました(笑)。でも『人間はひとりで生きているわけではない』。他者がいて初めて、自分が存在しているということを日常のなかでも再認識したというか、そこを含めた『自分らしさ』を感じていった歳月だったと思います」
2025年12月、本木氏は60歳を迎えた。50代半ば頃から漠然と感じていた変化が、還暦を境に、身体感覚としてはっきりしてきたという。
「物理的な肉体の衰えも含めて、初めて地球の引力と自分がちょうどよく合ってきた感じがするんです。若い頃はどこか引力に逆らってジャンプすることが、表現のバネになっていた。生きるうえでも抗う力って必要だと思っていました。
でも今は、もう少し落ち着いたところから物事を見てみようと思うようになってきたのかもしれません。歳を重ねて余裕が出てきた、というのとも少し違って『あえて静観するのも面白そうだな』って」

