「もう私は必要とされていない」。佐津川愛美は、20代の頃、2ヵ月仕事がなかったことでそう思い、心が折れた経験がある。14歳で俳優デビューして以来、映画やドラマに出演し続けてきた彼女が、初のエッセイ本『今日も、自分を生きる練習』で綴った、仕事との向き合い方とは。インタビュー前編。

「私、頑張ったな」。初のエッセイ本で気づいた、これまで歩いてきた道
毎年、数えきれないほどの“俳優の卵”が芸能界に足を踏み入れる。国民的俳優になる者はほんのわずかで、長く第一線で活躍し続けることは決して容易ではない。
そんななか、佐津川愛美は14歳でキャリアをスタートさせ、30代後半を迎えた今も、映画やドラマにコンスタントに出演し続けている。
佐津川が文章を仕事として書き始めたのは、10代の頃のブログだった。
「日常のあれこれを綴るエッセイ的な文章を書いていると、同じような悩みを抱える人から感想のメッセージをいただくこともあって。自分にとって文章を書くということが、とても大事なことになっていきました」
2017年、女優の酒井若菜が編集長として立ち上げた有料メールマガジン『marble』に誘われ、3年間、毎月2本のエッセイを執筆。2021年からは幻冬舎plusに場を移し、月に2本の連載を続けて4年になる。連載100回を迎えたことを機に、担当編集者がエッセイ31本を厳選し、『今日も、自分を生きる練習』というタイトルで書籍化された。
「選んでくださったものを改めて読むと、私が今まで書いてきたものが『あ、こういうふうに見てもらえるんだ』としっくりきたと同時に、自分をすごく肯定してもらえるような気持ちになりました。自分としては本の出版を目指して書いていたわけではなくて、その時々の日常で思ったことを、毎回締め切りに向かって書いていて。そこにタイトルをつけて1個の作品にしてもらったことで、自分についての新しい発見がありました」
初めて出演した映画『蝉しぐれ』の黒土三男監督への感謝と尊敬の念、年1回実行すると自身に課している海外旅行のエピソード、日常生活のなかでの気づき、通り過ぎたからこそ文章にできるその時々の悩みや葛藤などが綴られた本書は、彼女のキャリアと人生を俯瞰するような言葉が詰まっている。
「『私、頑張ったな』って(笑)。ずっと悩みながら生きてきたつもりだったんですけど、それを一つのものにしてもらえたことで、私の通ってきた道が無駄ではなかったと思うことができました。捉え方次第なのですが、どんなに辛いことも誰かの何かになるかもしれない、頑張ってきたから今があるんだなと思います」

「もう、この仕事に向いてないかもしれない」。主演作をめぐる苦悩
2022年には、主演映画が公開目前でお蔵入りになってしまった。その時の心境も、自分の心の奥や裏側を探るように綴られている。
その苦境を乗り越えた翌年に、初めて「仕事をやめよう」と思ってしまったことについても触れている。引き金は、主演作での人間関係だった。
「お芝居と現場が好きというのはずっと変わらないのですが、私は必要以上に完璧主義すぎて、あの時は『いい現場にしたい』という思いが強くなりすぎてしまったんです。より良い作品を作ろうという気持ちと同じくらい、関わったみんなが『楽しかった』と言ってもらえる現場にしたいなという思いがあって。自分ができる範囲で、毎回全力でやるんですけど、その作品では自分がコントロールできない部分にまで悩んでしまったんです。
理想の現場みたいなものをうまくつくることができなかったのは、自分の力不足のせいだと思ってしまって。今思えば、自分のせいではなかったのですが、もう悩んでも解決しないし、答えもなかったんですけど、当時はショックを受けてしまいました。それとは別に、傷つくようなDMも届いたり。もともと表に出ること自体はさほど好きじゃないし、やっぱり私はこの仕事に向いてないかもしれないという気持ちになってしまって……」
それをどう乗り越えたのか。
「仕事をちょっとお休みさせていただきました。やる気が出なくなっちゃったんだと思います。なんか、無になっちゃったんです」

俳優。1988年静岡県生まれ。2005年に『蝉しぐれ』で映画デビュー。日本の映画やドラマを支える実力派。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007年)、『ヒメアノ〜ル』(2016年)、『毒娘』(2024年)などの映画、NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』、ドラマ『最後から二番目の恋』など数多くの作品に出演。2024年には「映画と仲間 filty」を立ち上げ、トークイベントや子ども向け映画撮影ワークショップなどを企画・プロデュースしている。2026年6月10日、初のエッセイ本『今日も、自分を生きる練習』が発売。
半年間、東京を離れて気づいた「仕事が好き」という原点
時間はできたが、とくにしたいこともなかったので、静岡の実家や、名古屋、京都で暮らした。別になにをするでもなく、ただ住む場所が変わっただけだった。
完全に休業はせず、負担の少ない単発の仕事を月に2、3回だけ続けさせてもらった。京都から仕事のために東京へ通った時期もある。
「仕事をするために東京に行くんだ、とワクワクしてきて、すごくいい効果がありました。社会と全く関わらない休み方ではなくて、社会ともつながっているという安心感もあるなかで、無理をしすぎないというのは、ちょうどよかったのかなと思います。だんだんと、『いい現場にしたい』なんていうのは、自分のエゴでしかないと思えるようになりました」
半年間ペースを落として過ごしたことで、たどり着いたのは、自分の根っこにある「映画の現場が好き」という原点だった。
「ドラマの現場も含め、みんなで一つの作品を作る現場が大好きです」
俳優の仕事は、「俳優をやりたい」と願い、「俳優の仕事が好きだ」と愛情を注いだとしても、誰かが「佐津川愛美にこの役をやらせてみよう」と思わなければ、仕事は発生しない。仕事がない状態に耐えることも、この職業に必要な資質の一つなのだろう。

「もう私は必要とされていない」。20代で初めて味わった“仕事がない”恐怖
「若い時は、耐えられなかったです。20歳過ぎた頃、若い時から途切れることなくお仕事をさせていただけていたので、初めて2ヵ月くらい仕事がなかったときに、『あ、もう私は必要とされていないんだ』という気持ちになって。病んで、起き上がれなくなったことがあります」
そう振り返る佐津川の表情は明るい。なぜなら今の彼女は、「2ヵ月も仕事がないなら、旅行に行けばよかったと思います(笑)」と笑い飛ばせるからだ。
とはいえ、「その時の私には、それはできないことでした」。
2ヵ月後に仕事が入っているならまだしも、先々の仕事のスケジュールがない=「必要とされていない」と思ってしまうのは当然だろう。いくら周りが「大丈夫!」と安心させようとしたとしても。
「結局、私は他者に何かを求めていたんですよね。自分の存在意義みたいなものを、作品に呼んでもらうことで感じて、安心している部分があったんだと思います。もっと自発的に、自分の好きなことや楽しいことがあればよかったのですが、まったくそういうものがなく、10代〜20代はお仕事のことだけを考えて突っ走ってしまった。自分の生きている意味みたいなものは、自分で見つけていかなければダメだなと思います」
悩み抜いたことで変化した部分がある一方で、ずっと変わらないことは何か。そう尋ねると、「ちゃんと役に向き合うというところは、やっていきたいと思っています」と真顔になった。
「若い時はとくに、『こういう感じかなー』でできちゃうところもあると思うのですが、それは絶対しないようにしています。ちゃんと自分なりに納得してやる。わからないときは監督とコミュニケーションを取る。役割を理解して演じる。それは14歳の頃からずっと変わらずにやっているかもしれないです」

