PERSON

2026.01.16

教員、落語家、そして俳優・中島歩が語る“不遇の時代”と30歳の迷い──売れ続けなかったからこそ摑んだ現在地

映画、ドラマ、舞台と出演作が途切れることのない俳優・中島歩。その現在地の裏側には、華々しいデビューの後に訪れた長い停滞と、「俳優を辞める」選択肢が頭をよぎった時期があった。不安と迷いのなかで何を考え、どう踏みとどまったのか。中島歩という俳優の原点を、本人の言葉で紐解く。インタビュー後編。 #前編

俳優・中島歩が語る“不遇の時代”と30歳の迷い──売れ続けなかったからこそ摑んだ現在地

冒険するような人生を送りたかった

中島歩が俳優を志すようになったのは、日本大学芸術学部、通称、“日芸”在学中のこと。もっとも、在籍していたのは文芸学科。国語教師を目指し、教員免許を取得できる大学として受験した結果、「そこしか受からなかった」という理由で進学したという。

教員志望だった中島が、俳優という道へと大きく舵を切るきっかけは、大学時代の環境にあった。

「ご存じのとおり、日芸って、俳優をやっているとか、ミュージシャンとして活動している学生がたくさんいるんですよ。もともと人と同じことをするのが嫌いで、冒険するような人生を送りたいという気持ちはあったんですけど、それを実行しているヤツらに出会って、『こういう生き方をしていいんだ』と思ったんです」

そう語る中島は、もともと表現すること自体が身近にある学生だった。

「子どもの頃からおちょけ(関西弁でおどける、ふざける)者で、人を笑わせるのが好きだったから、落語研究会に所属していました。なので、落語家という道も考えましたが、性格的に、ひとりでやる仕事だと怠けてしまう気がしたのと、下積みが長いのはイヤだなと(笑)」

俳優・中島歩
中島歩/Ayumu Nakajima
1988年宮城県生まれ。日大芸術学部在学中にモデルとして活動をスタートし、2013年舞台『黒蜥蜴』で俳優デビュー。映画『偶然と想像』『ルノワール』など出演作多数。現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に浅井長政役で出演する。

文芸学科で文章を書く経験も重ねるなかで、自分の適性も徐々に見えてきたという。

「小説を書いたりもしていましたけど、自分で何かをつくるより、身体をつかってパフォーマンスするほうが向いていると思いました。落研(落語研究会)でも、落語を創作するより、もともとある噺を自分なりにアレンジして表現するほうが好きだったし、楽しかった。で、『それなら俳優だ!』って、急に思っちゃったんですよ」

教員、落語家、そして俳優。思い切った進路変更に加え、「駆け出しの俳優はモデルをやっているイメージがあったから」と、まずモデル業を始めたというのも中島らしい選択だ。

「モデルをやって一番良かったのは、カメラマンさんや編集者、スタイリストさん、メイクさんなど、好きなことを仕事にして、生き生きと働いている大人たちに出会えたこと。やりたいことをやるのは、やっぱりカッコいい。自分の道を貫こうと、背中を押されました」

俳優・中島歩

30歳の時、俳優を辞めることも頭をよぎった

モデルを辞め、本格的に俳優の道を歩み始めたのは、大学卒業後の2013年、24歳の時だった。美輪明宏が演出・主演を務める舞台『黒蜥蜴』のオーディションで、約200名の中から、黒蜥蜴の美しき愛人役に抜擢される。

「翌年にはNHKの朝ドラ(『花子とアン』)に出させていただき、その次の年には映画初主演(『グッド・ストライプス』)もあったので、我ながら華々しいデビューだったと思います。モデル時代もメジャーなメンズファッション誌に出してもらっていたので、『このままイケる!』と変に自信を持っちゃったんですけど、そんなに簡単じゃなかった。それはそうですよね、芝居が下手だったんだから」

そして仕事は徐々に減り、生活は荒れていった。

「芝居は自分なりに学んでいたつもりでしたが、頭が固いからか、なかなかモノにできなくて。だんだんと仕事がこなくなり、朝10時に起きて、昼から夜まで飲み続けるなんて生活を送っていたこともありました。『オレがこうしている間も、現場に立っている他の俳優たちはメキメキ力をつけているんだろうな』と、鬱々と考えたりして。完全に病んでいますよね(苦笑)」

それでも俳優を辞めなかった理由を、「いつかは必ず成功するという、謎の自信があったから」と中島は笑う。

有り余る時間を、映画や舞台を手あたり次第に観ることに費やし、「口を開けて待っているだけでは仕事はこない」と、さまざまな小劇場に顔を出し、自らを売り込み、小さいながらも役を得る。

俳優・中島歩

「素晴らしい演出家さんたちと出会い、たくさんのことを指導していただきました。毎日ボロクソに言われて、お客さんの前で大恥かいているような状況でしたが、20代後半のあの時期に、(演技に関する)技術的なことは学べたと思います」

そうして必死に食らいついた日々は、確かな糧となった。一方で、年齢という現実が、否応なく視界に入り始めたのもその頃だった。

「30歳になった時に、俳優をこのまま続けていくかどうか、ちょっと考えました。30歳から先も人生は続くんだということを実感し、将来に思いを馳せるようになったというか。全然仕事がなかったので、『こんなに危なっかしいことをいつまで続けるんだろう』『ちゃんと就職した方がいいんじゃないか』と、すごく迷いましたね」

中島は、「30歳って、そういう年齢なのかもしれない」と続ける。

「他の仕事に就いている友達のなかにも、転職を考えているヤツが結構いました。これだと決めて、コツコツ積み重ねてきた人との差が、大きく開くのが30歳なんだろうなって気がします」

俳優・中島歩

挫折なく売れ続けていたら、不安を感じていた

迷いの時期はあったものの、自ら動き、細々とでも役を摑み、演技の手応えを重ねることで、中島は俳優という職業にしがみつき続けた。

転機が訪れたのは2021年。出演した映画『偶然と想像』が第71回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞し、俳優・中島歩の名が業界で広く知られるようになる。以降、オファーが急増し、その後の活躍は周知のとおりだ。

30歳前後、不安と迷いの渦中にいた中島が、今の自分の活躍を見たらどう思うだろうか。そう問いかけると、中島は逡巡した後、こう答えた。

「『よくやってんじゃん』と思うでしょうね。でも同時に、『わかっていたでしょ』という気持ちもあると思います」

俳優・中島歩

言葉を選びながら、静かに続ける。

「あの頃も、必ず成功するという謎の自信に支えられてはいましたが、そんなに簡単じゃないことはわかっていたし、『デビュー後、順調にいったらいったで、あなたは不安だったでしょ』って。やるべきことをやった延長線上の“今”だからこそ、仕事を楽しめているんだと思うんです」

そう語る中島にとって、苦しかった20代後半は、決して空白の時間ではなかった。

「20代後半に、自分より観ているヤツはいないだろうというくらい、たくさん映画や舞台を観たおかげで、ますます芝居の世界が好きになったし、引き出しも増えた。現場でも、『あの映画の、あの感じ』と、イメージが共有できるようになりました。今振り返ると、悩んだり、辛かったりした時期は、自分にとって必要な時間だったんだと思います」

押しも押されもせぬ人気俳優の地位を確立した今、新たな目標も生まれた。

「主演させていただける機会も増やしていきたいし、もっと多くの方々に中島歩という俳優を知っていただきたい。何より、『コイツが出ているなら観てみたい』と思ってもらえるような俳優になりたいですね」

俳優・中島歩

TEXT=村上早苗

PHOTOGRAPH=倭田宏樹

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