PERSON

2026.08.20

戦後81年の夏に想う、本木雅弘が迷いながらもどうしても伝えたかったこと

2026年8月21日公開の映画『八月の声を運ぶ男』で、被爆者の体験談を集める記者を演じた本木雅弘氏。1981年のドラマデビューから45年、俳優として積み上げてきたキャリアを振り返りながら、役作りために向かった長崎で見たもの、そこで感じたことを語る。インタビュー第1回は、モデルとなった人物と制作陣へ寄せた熱い想いを訊いた。

本木雅弘氏
本木雅弘/Masahiro Motoki
1965年埼玉県生まれ。1988年より俳優として本格始動。映画『シコふんじゃった。』『日本のいちばん長い日』『永い言い訳』などに出演。自ら企画・主演した映画『おくりびと』は第81回米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。2026年には映画『黒牢城』に続き『八月の声を運ぶ男』で主演をつとめる。還暦を記念したフォトブック『awai 刹那と永遠のまにまに』が発売中。

拾った石と枯れ枝をお守りに、役に近づく

「どうしても、こんがらがってしまって、うまく伝えられない……」

俳優・本木雅弘氏は取材中、そう言って何度も頭を抱える。手元には、びっしりと書き込まれた手書きのメモがあり、そこに何度も目を落としながら、伝えたいと準備してきた言葉を必死で探している。

映画『八月の声を運ぶ男』で本木氏が演じたのは、生涯をかけて1000人を超える被爆者の証言を録音したジャーナリストだ。役のモデルとなったのは、私費を投じ日本全国を巡って被爆者の体験談を録音収集した元長崎放送記者、故・伊藤明彦氏である。

「そんなことを成し得た方がいたのだと、伊藤明彦さんという方の存在を知れたことがやはり僕のなかでは大きかったのです。 高度経済成長期の当時(1972年)は、『戦争のことは忘れて前を向きたい』という人が多かった時代です。そんななかを逆行するように、私財を削り8年という時間をかけて、被爆者に寄り添い、時に拒絶もされ、被爆の実相を伝え得る肉声にこだわった。その信念と向き合い、葛藤し、家庭も持たず、たったひとりで取材を進めていくという生き方。それは並大抵のことではないでしょう」

映画『八月の声を運ぶ男』
被爆者の体験談を残すため、録音機を片手に日本全国を巡っていた。

この元長崎放送記者の伊藤明彦氏は子供の頃に長崎に移り住み、原爆が落ちた1945年8月9日には疎開していたため被害を免れた。しかし直後に長崎に戻り残留放射線によって被爆している。

本木氏は本作の撮影に入る前、戦後に伊藤氏が家族と暮らした長崎の家を訪れたり、長崎放送時代の上司や同僚にも話を聞いて回ったりしたという。そのエピソードを話す前に、本木氏は自身の用意したメモに目を落とした。

「『死者たちの白骨のうえで、彼らが想像もつかないような、便利な、安穏な、経済生活を送りながら、彼らがおちいった運命について、たいして関心もいだかないとすれば、私はどこかしら、人間らしくありません』(『未来からの遺言 – ある被爆者体験の伝記』より)。伊藤さんは、長崎で生きていくことを著書でこう語られています」

書き留めた伊藤氏のその言葉を読んでから、また本木氏はこちらを見据える。

「この感覚で生きていたんですよね…、伊藤さんが実際に暮らしていた長崎のご自宅は、もうどなたも住んでいないのですが、建物は残っているんです。

僕が訪れた時、門が風でふわりと開いて、なんだか誘われるように、玄関先まで入ってしまいました。そして、小さな敷石の一つを拾って、お守りのようにポケットに入れたんです。でもそれだけでは足らず、後日ひとりで山口県にある伊藤さんのお墓にもお参りさせてもらいました。その際、墓石の近くに落ちていた枯れ枝を1本拾って持ち帰りました。撮影の間、自分が滞在していたホテルの部屋に供えるように飾っていたんです。毎朝それに手を合わせて撮影に行く。伊藤さんが死者の声を聴いたように、自分も心で伊藤さんに語りかけてみる…、真似事ですが、そんなことをしていましたね」

伊藤明彦氏という人間と、もう直接語り合うことはできない。それでも本木氏は生と死の境目さえ越えて語らおうと必死だった。それほどまでに本木氏を突き動かしたのは、伊藤氏の「野望」に心を動かされたからだと本木氏は語る。

「詠み人知らずの歌とか、作り手がわからない説話ってありますよね。それと同じで集めた被爆体験が結晶化し、一つの説話として後世に残り、民話のように語り継がれていったらと、伊藤さんは、そんな密かな野望を思い描くそうです。その声を集めたご自身の名前は忘れ去られてもいい、むしろそれが理想だと。灯火というよりメラメラと訴える炎を絶やさずにという思いです。自分も、その一端を担うというか、伊藤さんのやってきたことを少しでも形にするのが、この映画なんだなと」

映画『八月の声を運ぶ男』
主人公の自宅の棚には、これまで録音してきた人々の資料が整然と並ぶ。

『坂の上の雲』から15年。その間に失ったものもあった

冒頭に伝えた本木氏が「うまく伝えられない」と語っていたのは、この伊藤氏への尊敬の念と、さらに制作陣への想いが交差して、本木氏を本作へ強く向かわせたということだ。

本作の監督を務めた柴田岳志氏は、本木氏が主演を務めたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』(2009~2011年)を手がけた人物。脚本の池端俊策氏は、本木氏が聖徳太子を演じたドラマ『聖徳太子』(2001年)、斎藤道三を演じた大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)でも仕事をともにしている。

どの作品も自身の俳優人生において多大な影響を与えた作品であり、そこでともに闘ってきた偉大な先輩たちとの再びの仕事に本木氏は心を震わせた。互いに長い歳月を経て失ったもの、得たものを確認しながらも、今ともに同じものを作るということに、背筋を正すような気分になったという。

本木雅弘氏

「『坂の上の雲』から15年、その間に僕も柴田さんも家族を亡くす経験をしました。時代が少しずつ進んで、前に立っていたと思っていた人がひとり、またひとりと去っていく。そういう別れもあるなかで、再会してまたドラマを創れる機会も巡ってくるいうのがなんとも……。

池端さんの脚本には、共感し合うはずの人間同士を、あえて対立させる瞬間があるんです。ふたりの関係が深くなっていきながら、最後には破綻していく。それでも、その余韻のなかには共感が残る。そういうドラマの創り方が独特で、今回もそれが本当に意義深くて。こうした縁ある方々と再び仕事ができることの悦びを含め、こういう作品に出会えたことの感動を、うまく言葉で伝えられないんですよ……」

劇中で、本木氏演じる記者は、「真実を伝える」ことの難しさに直面する。被爆者から辛い経験を聞き出すことは難しく、逆に饒舌に語られるほどに見えなくなった真実もあった。

取材中、「何を言っているんだろう」「これじゃ、伝わらないですよね」と、自らの言葉を何度も打ち消した本木氏もまた、簡単な言葉にまとめることで、こぼれ落ちてしまうものがあると知っているのだろう。

迷い、立ち止まり、言葉を探し続ける本木氏の姿はまさに、真実に必死に向き合おうとしてきた伊藤氏と、そのマイクの先にいた数々の語り手たちそのもののようにも見えた。

TEXT=安井桃子

PHOTOGRAPH=太田隆生

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