2023年も、第一線で活躍する人々をインタビューしてきたゲーテ編集部。年末特別編として、数ある記事の中から2023年に特に読まれた人気記事を厳選した。今回は「女性」編。
1.森香澄「20代の自分を写真に残したかった」。遺伝子検査から始まった美ボディ作りとは
彼女は、満足気な笑顔を浮かべて言った。
「自分にできることは、やりきれたかなと思います。今の私のすべてが詰まっています。」
2024年2月28日発売の森香澄による初の写真集『すのかすみ。(仮)』を見れば、その言葉に嘘がないことがわかる。全編サンフランシスコで撮影されたその写真集には、これまで見たことのない、ありのままの森香澄が写し出されている。
「写真集はいつかやってみたい仕事のひとつでした。自分でもアイドルの写真集が好きで、何冊も買って見ていたんです。会社員時代も白石麻衣さんの『パスポート』とかを見て、きれいだなあ、私ももっと綺麗になりたいなと美意識を高めていました。私にもいつかそういうチャンスがあればいいなと思っていたんですが、思っていたより早くお話をいただいて嬉しかったです。30歳になる前の今の自分を写真に残せてよかったと思っています」
写真集のオファーがあり、それを受ける決意をしたのは2023年の春。撮影に向けた準備がそこからスタートした。
2.大泉洋の言葉で変わった、遅咲きのブレイク女優・松本若菜流“成功の秘訣”とは
2022年、出演したドラマや映画は15本を超え、その抜群の演技力と存在感が評価され、東京ドラマアウォード2022では助演女優賞に輝いた松本若菜さん。錚々たる顔ぶれが並ぶ授賞式に登壇した彼女は「一流」への夢にまた一歩、近づいた。
鳥取・米子から上京し、デビューしたのは22歳の時。それから10年を経た2017年に公開された映画『愚行録』は、彼女の輝ける未来を静かに暗示していた。そして5年後、今の活躍ぶりは多くの人の知るところとなったが、多忙を極めるなかでも彼女を包むのは、ふんわりと優しく、周りを明るい気持ちにさせるオーラだ。
「遅咲きの女優と言っていただけるのはとても嬉しいけれど、本人にはまだ咲いた自覚がないんです(笑)。街を歩いていて声をかけられることも増えたんじゃない、と友人に聞かれることもあるけれど、全然そんなことなくて(笑)。わりと最近までアルバイトもしていて、二足のわらじ生活でした。お鮨屋さんで働かせていただいていたこともありますよ。私もお鮨が大好きなので、今日の撮影はご褒美みたいで嬉しいです」
3.「実は、ブルース好きの父の手ほどきを受けた」ホラン千秋、世界初のフェンダー旗艦店へ
ジミヘン、クラプトン、布袋寅泰など、名ギタリストに憧れて音楽を始めたという方は多いはず。実は私も、ブルース好きの父の手ほどきを受けて、ギターが少しだけ弾けるように。
そんなギタリストたちが愛するブランド、フェンダーが、世界初の旗艦店「FENDER FLAGSHIP TOKYO」を原宿にオープンしました。
最新モデルが並ぶ1階から、海外の方にも人気の日本製モデルやアンプが揃うフロアや、最高峰の作品を取り揃え、さらにオリジナルオーダーもできるカスタムショップ、そしてアコースティックフロアと、全4フロアにフェンダーの世界がすべて詰まった空間に。
4.原田知世「ニール・ヤングを聴くと、10歳上の兄を思い出す」
アルバム『恋愛小説4~音楽飛行』は、天気に恵まれた週末の朝、窓を全開にして聴きたい。1曲目の「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、ギターの弦を指で押さえる音が鳥のさえずりのように聴こえる。
「アルバム制作がスタートしたとき、最初に決めた曲が『ヒア・カムズ・ザ・サン』でした。プロデューサーの伊藤ゴローさん、レーベルの斉藤嘉久さん、私、3人とも同意見でした」
ビートルズのこの曲は、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンがお互いの家を親しく行き来している時期に生まれた。
そのときのことをクラプトンは自伝でふり返っている。
よく晴れた春の朝、私たちはギターを持って庭の外れの大きな野原に座っていた。ジョージが“ディ・ダ・ディ・ディ・イッツ・ビーン・ア・ロング・コールド・ロンリー・ウィンター”と歌い始めたのに合わせて、私たちはそれぞれ自分のギターを鳴らしていた
エリック・クラプトン著『エリック・クラプトン自伝』
この後クラプトンはジョージの妻、パティに恋をして結果的に奪うことになるが、「ヒア・カムズ・ザ・サン」は三人が穏やかな関係だったころを象徴する幸せに満ちた曲
ビートルズの楽曲からは、もう1曲、「イン・マイ・ライフ」を原田はこのアルバムで歌っている。
5.53年の歴史に幕を閉じた、新宿二丁目の深夜食堂「クイン」の名物ママ・りっちゃんとは
日本を代表する“ゲイタウン”として、海外の観光客も多く訪れる新宿二丁目。かつては同性愛者が集う隠れた遊び場だったが、今では性別や性的指向に関係なく、さまざまな人がお酒やトークを楽しむ場として広く愛されている。
そんな夜の街の中心地である仲通り交差点から徒歩数十秒。古めかしい茶色いレンガ造りのビルの2階から蛍光灯の青白い光を放つのが、昭和の雰囲気が漂う食堂「クイン」だ。
お店の“顔”は、なんといってもママの加地律子さん(通称・りっちゃん)。自らのことを「オレ」と名乗り、酔っ払った男性客にも毅然とした態度で堂々と接客する二丁目の名物ママである。
ビール瓶を栓抜きでリズミカルに叩いて、「チンチーン」という音を奏でながらお客のもとに運び、お客のグラスにビールを注ぐ。すると、今度は「オレももらうよ」と言いながら、自分のグラスに注いでグビグビと飲みはじめる。
その二丁目きっての“男まさり”な性格が、多くの人に愛される所以なのだろう。御年78歳でありながら、冷えたビールを美味しそうに飲むりっちゃんの姿は、二丁目に訪れる多くの人々に安らぎと活力を与えてきた。
2023年9月30日、そんな新宿二丁目を見守る“灯台”のような存在感であった、深夜食堂「クイン」が53年の歴史に幕を閉じた。それは突然の出来事だった。