「ゴン」の愛称で知られ国民的英雄となった男・中山雅史のインタビュー記事をまとめてお届け! ※2026年5月掲載記事を再編。

1.中山雅史、今振り返るドーハの悲劇。J開幕時、JFLでプレーせざるを得なかった理由①

中山雅史のキャリアは、端からストライカーとして約束されていたわけではない。己の存在を認めさせるまで、長い試練の季節があった。藤枝東高校時代にストライカーとして名を馳せたものの、静岡県選抜で国体優勝を飾った際のポジションはストッパー。ユース日本代表選出の契機も守備の評価によるものであり、FWとして脚光を浴びる日はまだ先にあった。
筑波大学へ進学後、1年生の時は守備職人としての研鑽に明け暮れていた。実際、夢であった日本代表に入るためにはそちらのほうが賢明であるとも考えていた。しかし、2年生への進級を前に、思いもよらぬ転機が訪れる。
「2年になった時、最上級生にキャプテンの平岡和徳さんと副キャプテンの長谷川健太さんとがいました。センターフォワードには1年間のブラジル留学から帰ってきた田口禎則さんが入る予定だったんです。
しかし、田口さんが『DFをやりたい』と希望し、他にめぼしい選手がいなくなりました。適任者を探すうち、高校時代にFWをやっていた経験から『ゴンにやらせよう』と平岡さんや健太さんが監督に進言してくれたらしいです。それがFWに戻ったきっかけです」
2.中山雅史「クロアチア戦であのゴールを決めていたら、サッカー人生を終えていた」②

1994年、中山雅史は心身ともに摩耗していた。「ドーハの悲劇」によるワールドカップ出場権喪失。その悔恨が、かつてのライバル・韓国が本大会で躍動する姿を前に、鮮明に蘇る。当時の中山は、鼠径ヘルニアや恥骨炎のリハビリのためプールでの歩行訓練を繰り返す日々。サッカーから遠く隔てられた現実に、底知れぬ無力感を抱いていた。「サッカーから程遠い場所にいる状況が、途方に暮れるほど悔しかった」と振り返る。
その後、ドイツに渡って手術を受けて回復したものの、1995年以降日本代表に招集されることはなかった。そして迎えた1997年、フランスワールドカップ・アジア最終予選。ホームに韓国を迎えた一戦に、中山はテレビ局の仕事という、ストライカーという本分とは対極にある役割で国立競技場のピッチ脇のトラックに立っていた。目の前で逆転負けを喫する代表の姿を見ながら、複雑な感情に包まれていた。
「チケットもなかったため、ゲスト解説なら一番良い席で見られるという思いもありました。しかし現場に行くと、いきなりピッチに降りてレポートをしてくださいと言われ、何をやらされるのか分からないまま盛り上げ役に徹しました。試合は山口素弘の見事なループシュートがありましたが、最後はシンプルなやられ方で逆転を許してしまいました」
3.中山雅史「サブ組が盛り上がっているチームは強い」③

1998年6月26日、日本のワールドカップ敗退はすでに決まってしまっていた。それでも歴史的な初勝利を挙げようとジャマイカとの最終戦に挑んだものの、メンバーの半数がイングランドでプレーしていたジャマイカとは経験値の差があった。39分、54分とゴールを許し、絶望的な展開となる。そんな中、74分、左サイドの相馬直樹からのクロスを呂比須ワグナーがヘディングでゴール前に落とす——。
「呂比須からのボールに対して『どこで流し込むべきか』を瞬時に判断できました。それは前年のアジア最終予選ホーム・カザフスタン戦での中田英寿からのパスを決めることができなかったという反省があったから。ボールはヘディングには低く、足では高い位置だったため、あの泥臭い腿という選択肢が生まれたのです」
ゴール前に生じた刹那の空白。そこに反応したのは中山雅史ただ一人であった。浮き球に対し、身体を投げ出すようにして右大腿部で合わせる。これが日本のワールドカップにおける歴史的一歩となった。
「見た目には『誰にでも決められる』ように見えると思います。しかし、シュートに対して常に詰める動きをやり続けてきたからこそ、あの場所にいられたんじゃないかと思っています。それを偶然ではなく必然にするためにやり続けられるかどうか。僕は、技術の高い選手たちの中で生き残るために、人がやらないこと、足を出さないところに常に体を投げ出す必要があったのです」
試合後、中山は骨折していたことが報じられた。「骨を犠牲にしながら日本のために1点を取った」という美談の裏側を中山は笑いながら教えてくれた。
4.中山雅史、カズがいるから、”現役を退く”という二文字は言わない④

中山雅史にとって、森保一監督は気心の知れた仲間である。1993年の代表において、中盤の底でひたすら汗をかき、ラモス瑠偉や三浦知良といった個性派を支え続けた森保の姿は、今の監督としての采配にも重なって見えるという。派手さはないが、誠実に、着実に仕事をこなす。その「水を運ぶ人」としての精神が、今の代表チームの基盤となっている。
「森保監督は、現役時代から本当に真面目で、チームのために自分を犠牲にできる選手でした。その『誠実さ』が今の代表チームの強固な結束力に繋がっているのではないでしょうか。ドイツやスペインといった優勝経験国を倒す姿を見て、私たちが夢見ていた『世界との差』が確実に縮まっていることを実感します。
彼は選手の声をよく聞き、それでいて締めるところは締める。そのバランスが、今の多種多様な海外組を一つにまとめているのでしょう。ドーハで共に悔しい思いをした彼が、今、監督として新しい歴史を作っていることに、深い感慨を覚えます」
今の代表は、かつての「守ってカウンター」一辺倒ではなく、主体的にボールを保持し、相手を崩す力も備えている。森保監督は、日本の伝統的な粘り強さと、現代サッカーの戦術を高いレベルで融合させている。中山は、そのプロセスに森保監督らしい、周囲への細やかな配慮と、揺るぎない信念を感じ取っている。

