サッカーへの情熱をたぎらせ続け、エリート街道からサッカービジネスの世界に飛び込んだ人物がいる。オランダを拠点に、世界に通用するサッカー人材育成を目指す出島フットボール代表取締役の利重孝夫氏だ。彼はなぜ、これほどまでもサッカーに魅せられ、何を目指し、挑戦し続けるのか。その半生を追う第1回。

超進学校で学びつつ、読売サッカークラブでプレー
2024年、選手だけでなくビジネスやテクニカルスタッフまで、世界と伍するサッカー人材育成を目的とした出島フットボールが、オランダで設立された。仕掛け人は、楽天でFCバルセロナとの提携やヴィッセル神戸経営権取得に尽力し、2014年から2023年末までシティ・フットボール・グループ日本法人代表を務めるなど、国内外のサッカービジネスに精通する利重孝夫氏である。
もっとも彼自身は、プロとしてプレーした経験はない。東大進学率全国トップクラスの中高一貫校から現役で東京大学に進み、日本興業銀行(現みずほ銀行)でキャリアをスタートさせるなど、絵に描いたようなエリート街道を歩んできた。そんな彼が、まだ発展途上と言わざるを得ない日本サッカービジネス界になぜ身を投じたのか。その原点は、小学校3年の時にサッカーと出会ったことにある。
「自分が小学生だった1970年代は、野球人気が圧倒的でした。でも、隣のクラスの先生が大のサッカー好きで、その影響で始めたところ、すぐに夢中になってしまって。当然、中学でもサッカー部に入部しましたが、残念ながら、あまり強くなかった。もっと高いレベルでプレーしたいと思い、(ヴェルディの前身である)読売サッカークラブユースの門を叩きました」
サッカーに限らず、「スポーツは部活でやるもの」という時代だ。クラブユースの存在自体がさほど認知されておらず、入部の登竜門となる“セレクション”もなし。クラブの練習に随時参加し、その後もそのレベルの高さと独特なクラブの雰囲気に馴染めた者のみがいつのまにかメンバーの一員に加わる流れだったという。
「初めて参加した時から、度肝を抜かれました。皆スキルがきわめて高いのは当然として、予定調和な感じが全くない。トレーニングでも、お互い何食わぬ顔で肘打ちやわざと足を踏みに来るし、股抜きを成功させることが最高で、逆にされることは最大の恥とされ、コーチも選手たちを平気で削ってくるようなありさまで。
部活のような教育の一環ではないから、先生が絶対的存在の有力校とは違って自己主張の塊みたいな連中とのサッカーは本当に楽しかったですね。ときどき当時日本代表だった都並(敏史)さんやラモス(瑠偉)さんなど、隣のピッチで練習しているトップチームの選手がミニゲームに混じることもありましたが、彼らは子ども相手でも絶対に手を抜かない。
勝負に対するこだわりが半端ないんです。私は、温厚な性格と称されますし、自分でもそう思いますが、サッカーをしている時だけは別人格になるようで、読売で体験したプレースタイルが刷り込まれているんでしょうね(笑)」

1965年東京都生まれ。東京大学卒業後、日本興業銀行などを経て、2000年に楽天入社。東京ヴェルディメインスポンサー、ヴィッセル神戸経営権取得、FCバルセロナとの提携案件を主導する。2014年から10年に渡り、シティ・フットボール・グループ日本法人代表を務め、2016年には横浜F・マリノスで取締役とチーム統括部長を兼任。2024年、出島フットボールを設立。サッカーメディアfootballistaを発行するソル・メディア代表取締役、東京大学ア式蹴球部総監督、FC今治エグゼクティブアドバイザーなども務める。
ライツビジネスを知るために興銀を退職
サッカーに対する凄まじい熱量を持った者たちが、スタイリッシュなプレーにこだわりつつ、真剣勝負を繰り広げる。部活とは違う自由でヒリヒリとする環境は、利重氏にとって心地良かった。とはいえ、上のカテゴリーへの昇格は叶わず、進学先の東京大学ア式蹴球部に入部。就職した日本興業銀行(現みずほ銀行)でも、行内のチームに所属し、銀行リーグなどでプレーし続けた。
そんな利重氏がピッチから遠ざかったのは、1992年~94年、MBA取得のためにコロンビア大学に留学した頃だ。人生初めての海外生活でもあり、「勉強中心の生活を送りつつ、刺激にあふれたマンハッタン・ライフを満喫していました」と、利重氏。しかし、この留学が、後のサッカービジネスにつながる契機となる。
「大学の授業でライツビジネスを知り、大いに興味を持ちました。映画を例にたとえるなら、ハリウッドは、作品の製作だけでなく、知的財産権をベースにさまざまなビジネスが成り立つ、巨大マーケットになっています。その可能性の多様さやスケール感に、『キャリアを賭ける価値がある世界かも』とピンときたことを覚えています」
帰国から2年後、利重氏は興銀を退職。ライツビジネスの仕組みを学ぶべく、映画配給会社やゲーム関連会社に4年間勤務する。
「正直、給料はかなり下がりましたし、周囲からは『興銀を辞めるなんてもったいない』という声もありました。でも、部活ではなく読売クラブでサッカーをするなど、自分はメインストリームではない方を選ぶタイプのようで(笑)。先達者がいない世界に惹かれるというか、誰かが通った道をなぞりたくないという想いが強かったのかもしれません」
ライツビジネスの知見を得たところで、利重氏は、かねてから誘われていた楽天に転職。興銀時代の同期である三木谷浩史氏のもとで、2002年、東京ヴェルディ1969(現東京ヴェルディ)のメインスポンサー案件を主導する。そしてこれが、利重氏がサッカービジネスの道に進む第一歩となる。
※2回目に続く

