ライツビジネスの知見を得たところで、利重孝夫氏は、事業拡大に乗り出していた楽天に入社。東京ヴェルディ1969の胸スポンサーやヴィッセル神戸経営権取得など、本格的にサッカービジネスの道を歩み始める。そこで待ち受けていた新たな出会いとは。第2回。

楽天でスポーツ案件を主導
2000年9月、利重孝夫氏は、興銀同期の三木谷浩史氏が創業した楽天に入社した。同年4月に店頭市場(現JASDAQ)に上場を果たし、積極的にM&Aを仕掛けるなど、同社が事業拡大を進めていた時期だ。自らが目指すライツビジネス展開のチャンスを楽天に感じ、三木谷氏からの招聘に応じたという。
「その頃の楽天は、社員数100人ほどと小規模でしたが、インターネットでできることはすべてやろうという熱量にあふれていました。ただ、一般的な知名度はいまひとつだったので、楽天の名を知らしめる方法としてスポーツマーケティングという手があると、ことあるごとに社長の耳元に囁き続けていましたね」
チャンスが到来したのは、入社から1年あまりが過ぎた2002年。読売サッカークラブ時代の知人から、東京ヴェルディ1969がメインスポンサーを探しているという情報を入手した利重氏は、すぐに三木谷氏に話をもちかける。
「三木谷さんは、初めはさほど乗り気ではないようでしたが、思うところがあったのでしょう。ある日の夜、『あの話ってまだ生きている?』と、電話がかかって来たんです。この機会を絶対に逃すまいと、翌朝、社長室を訪ねて了承を取りつけ、契約の締結に向けて早速行動を開始しました。それからは、怒涛の日々でしたね。リーグ開幕まで時間がなかったので、胸に楽天ロゴを入れたユニフォームが初戦に間に合ったときは大いに安堵しました」
利重氏の読みは当たり、まずはJリーグのサポーターの間で楽天の名が浸透。三木谷氏も手ごたえを感じたのだろう、楽天はその後、次々とスポーツビジネスに参入していくこととなる。2004年には、三木谷氏の個人会社がヴィッセル神戸の経営権を取得(2014年、楽天が株式を100%取得)することとなった。
「楽天がヴェルディのスポンサーになったことで学んだのは、スポンサーはあくまでもクラブにとってはお客様であり、経営には直接携われないということ。もともと三木谷さんは大学体育会出身で、スポーツへの思い入れが強いので、関わるなら本格的にという考えに至ったようです。海外ではプロスポーツクラブ、とくにプロサッカークラブのオーナーは一目置かれますし、それまではかなわなかったような政財文化界の大物にも会えたりするので、その辺りも引き込まれる要因になったのではないでしょうか。
今でこそ、サイバーエージェントはFC町田ゼルビア、メルカリは鹿島アントラーズ、ミクシィはFC東京と、プロサッカーチームの経営権を取得しているIT企業は多いですが、先駆けになったのは楽天。サッカーへの関心が高まり、資金を投入してくれる企業が増えているのは、嬉しいし、とてもありがたい。日本のプロスポーツ業界規模拡大の一つのきっかけになれて、正直『してやったり』という感もあります(笑)」

1965年東京都生まれ。東京大学卒業後、日本興業銀行などを経て、2000年に楽天入社。東京ヴェルディメインスポンサー、ヴィッセル神戸経営権取得、FCバルセロナとの提携案件を主導する。2014年から10年に渡り、シティ・フットボール・グループ日本法人代表を務め、2016年には横浜F・マリノスで取締役とチーム統括部長を兼任。2024年、出島フットボールを設立。サッカーメディアfootballistaを発行するソル・メディア代表取締役、東京大学ア式蹴球部総監督、FC今治エグゼクティブアドバイザーなども務める。
サッカーの本場・バルセロナに移住
利重氏が海外のサッカー界と接点を持つきっかけになったのが、FCバルセロナ公式楽天カードの発行事業である。2005年に、楽天が九州をベースに展開していた国内信販を買収。全国展開と発行枚数の増加を目指し、プロスポーツチームやアーティストなどとの提携カードを積極的に打ち出す中、利重氏は日本での欧州サッカー人気に着目。ビッグクラブと呼ばれる複数のチームにアプローチし、契約締結に至ったのが、FCバルセロナだったという。
「当時バルサの副会長だったフェラン・ソリアーノは、僕と同世代で、ネット分野に明るかったこともあり、とんとん拍子に話が進みました。もっとも、バルサカードは期待したほど入会数が伸びず、いったんなくなってしまった。なので、2017シーズンから楽天がバルサのメインスポンサーになり、バルサカードが復活した時は、感慨深かったですね。できれば、僕が楽天にいるうちにスポンサーになってほしかったですが(笑)」
2012年、利重氏は「自分が考えていたことはある程度やり尽くした」という想いから、10年超務めた楽天を“卒業”した。そして、サッカーの聖地、バルセロナと日本を行き来する生活を約2年に渡って送ることになる。
「向こうでは、バルサ案件時代に得たツテなどを頼りに、コンサルティング業務を行っていました。フェランも2008年にバルサからは離れましたが、彼との交流も続いていました。バルセロナといえば観光地として有名ですが、観光バスのほとんどが(FCバルセロナのホームスタジオ)カンプ・ノウのバルサショップに立ち寄るくらいサッカーに熱い街。当時はその空気を、ビジターとしてではなく、住人として感じていました。バルセロナは、サッカーをやっている人間からすれば憧れの街ですから」
同じ時期、フェラン・ソリアーノ氏がマンチェスター・シティFCを有するシティ・フットボール・グループのCEOに就任し、その後、ニューヨーク・シティFC、メルボルン・シティFCの経営にも参画。2014年、日産自動車とグローバルパートナーシップを締結したことから横浜F・マリノスの経営に携わることが決まり、プロジェクト当初から関わっていた利重氏が、そのままシティ・フットボール・グループ日本法人の代表職に就くことになった。
「フェランは以前からマルチクラブオーナーシップの構想を持っていて、その話は聞いていました。海外資本がJリーグに本格参入するのは初めてなので、タフな仕事になるなとは思いましたが、同時に、この試みはサッカー界全体にとって必ずプラスになるという確信がありました。将来この形式が当たり前の世の中になるとも感じていたので、であれば、それを他の人に任せるのではなく、自分が手がけたい。そんな想いが湧いて、引き受けることにしました」
※3回目に続く

