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2026.03.09

ファルカン就任、加茂更迭、W杯初出場、惨敗…その時何が起きていたのか。井原正巳が振り返る②

1993年の「ドーハの悲劇」を経て、日本サッカー界にはかつてないほどの期待と、それと同等の苛烈なプレッシャーが押し寄せていた。2002年ワールドカップ自国開催が決定し、1998年フランス大会は「絶対に失敗できない」ミッションとなったのである。この激動の4年間、ディフェンスラインの要として、そして主将としてチームを率いた井原正巳は、いかにして組織をまとめ上げ、そして初めて辿り着いた世界の舞台で何を突きつけられたのか。2回目。【特集 2026FIFAワールドカップ】

ファルカン監督就任、加茂監督更迭、W杯初出場、惨敗…その時何が起きていたのか。井原正巳が振り返る②

ファルカンの「理想」と日本代表の「現実」

「ドーハの悲劇」の翌年、日本代表監督に就任したのはブラジルの至宝、ロベルト・ファルカンだった。世界的なスーパースターの招聘に沸いたが、現場には理想と現実のギャップが横たわっていた。

「ファルカン監督は選手としてもスーパースターだった方で、ボールを使った練習をしたら、めちゃくちゃ上手いんです。ブラジル人と日本人の選手の質の違いを目の当たりにしました。監督から当たり前だと思って要求されたことが、日本人選手にはできない。そこまでのレベルに達してないし、まだ力の差があるという戸惑いはありました」と井原正巳は当時を振り返る。

リーダーが掲げる高い理想にメンバーのスキルやリテラシーが追いつかず、組織が機能不全に陥る――。

その後、加茂周監督へとバトンが渡り、日本代表は徐々に「世界基準のAマッチ」を戦うスタンダードを身につけていく。そして世間からは「勝てばいい」という段階から「内容も伴わなければならない」という、より高度な要求をされるようになった。

井原正巳
井原正巳/Masami Ihara
1967年9月18日滋賀県生まれ。守山高校から筑波大学に進み、大学在学中の1988年に日本代表デビュー。1990年に日産自動車(現・横浜F・マリノス)に加入。1990年代、日本代表不動のセンターバックとして君臨し、「アジアの壁」と称された。2000年にジュビロ磐田、2001年に浦和レッズへ移籍し、2002年に現役引退。引退後は指導者に転身し、柏レイソルヘッドコーチ、アビスパ福岡監督、柏レイソルの監督を歴任した。日本代表では長年主将を務め、国際Aマッチ通算122試合5得点。身長1m82cm、体重72kg。

サポーター激昂、加茂監督更迭時の雰囲気とは

フランス大会に向けた最終予選は、混迷を極めた。途中で加茂監督が更迭され、岡田武史が監督に就任するという日本サッカー界初めての異常事態に陥ったのだ。ホームでの敗戦にサポーターは激昂し、国立競技場はパイプ椅子が投げ込まれるなど殺伐とした空気が支配していた。しかし井原ら選手たちのメンタリティは、驚くほどタフだった。

「最終目標はワールドカップに出場することだったので、結果に一喜一憂するよりも、『最終的に行けばいい』という思いでした。叩かれたことも逆にパワーに変えられていましたね。『本大会に行けば文句言われないだろう』と、批判を1つにまとまるパワーに変換していました」

この強気の背景にあったのは、皮肉にも「ドーハの経験」だった。

「あのアディショナルタイムの数秒で追いつかれて本大会に行けなくなったってことは、逆の形(土壇場での逆転)もあると思っていました。最後まで何があるかわからないという思いは、みんなが共通して持っていましたね」

絶体絶命のプレッシャーや周囲からの批判を、チームを破壊するストレスではなく、内部を結束させる「共通の敵」として利用する。まさにドーハという痛みを共有していたからこそ、彼らは「最後には自分たちが勝つ」という確信めいたタフネスを維持できたのである。

井原正巳

「W杯で勝つ」と「W杯にまず出る」という意識の差だった

ジョホールバルの歓喜(日本がW杯初出場を決めた1997年アジア第3代表決定戦)を経て、ついに辿り着いたフランスの地。しかし、そこには残酷なまでの「個」の質の差が待っていた。アルゼンチンのガブリエル・バティストゥータ、大会得点王となるクロアチアのダヴォール・シューケル。世界最高のストライカーたちと対峙した井原は、その凄みを肌で感じることになる。

「アルゼンチンにしてもクロアチアにしても、やっぱり個人の能力はそれまで経験したことがないレベルでした。ジャマイカにしても、メンバーの半分はイングランドでプレーしている選手。レベルの差をすごく感じました」

結果は3連敗。惨敗の要因を、井原は自戒を込めてこう分析する。

「やっぱり本大会に出たことで満足していたのではないかと思います。僕自身、そういう甘さのようなものを感じました。ワールドカップで勝つためにやってきたというよりも、まず『出るために』やってきたところの差があったんです。ワールドカップで勝つための準備ができていなかったんです」

「目標達成」はゴールではない。目標を達成した瞬間に、次の高い基準での「日常」が始まる。日本代表にとって、フランス大会は「出場」という悲願を達成した瞬間、組織としてのハングリー精神を維持できなくなっていた。

「出るだけで満足」という意識が、一瞬の隙や質の差となって現れる。この苦い教訓こそが、その後の日本サッカー界に「ベスト8の壁」という新たな高い目標を植え付けることとなったのである。

※3回目に続く

TEXT=森 雅史

PHOTOGRAPH=今 祥雄

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