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2022.12.28

中島翔哉、W杯とサッカーへの想い、これから。【まとめ】

日本代表の躍動により盛り上がった2022年のサッカー界。密かに活躍を期待されながらもW杯メンバーに選ばれることもなかった元日本代表10番・中島翔哉に独占インタビュー。※GOETHE2022年9月掲載記事を再編

ポルトガルのFCポルトに所属する中島翔哉。

1.日本代表復帰とカタールW杯への想い

2018年夏のロシアワールドカップ終了後に立ち上げられた新生・日本代表において、中島翔哉は紛れもなく中心選手だった。

中盤の2列目を形成した南野拓実、堂安律とともに“三銃士”と呼ばれ、森保一監督率いる代表チームのアイコンとなった。

だが、’19年11月のベネズエラ戦を最後に中島は”サムライ・ブルー”のユニフォームをまとっていない。

2020-21シーズン、ポルトガルのFCポルトでポジションを失い、期限付き移籍をしたUAEのアル・アインFCで腓骨骨折および靭帯断裂の重傷を負ってしまったからだ。期限付き移籍で復帰したポルティモネンセSCで迎えた21-22シーズンは、中島にとって復活を模索するシーズンだった。

そんな中島に、今年に入って日本代表復帰の可能性が囁かれた。カタールワールドカップ・アジア最終予選の真っ只中だった1月半ばに、森保監督が「翔哉は候補として考えている」と話したからだ。

2月下旬に行われたCDサンタ・クララとのアウェイゲームを森保監督が視察したことで、代表復帰への期待は俄然高まった。

しかし、3月の最終予選にも、6月の親善試合にも、中島の姿はなかった。

「あのときは対戦相手に(日本代表の)守田(英正)や(東京五輪代表候補の)田川(亨介)がいたし、うちにも(元日本代表の中村)航輔がいるので、見に来てくれたのかなと。そのとき、少し話しました。でも、『選ぶかもしれないよ』みたいなことは言われてないです。『調子はどう?』といった話です」

10代の頃は「ワールドカップで優勝する」「ワールドカップで得点王になる」といった壮大な目標を公言していた中島だが、数年前に「サッカーを楽しむ」「少しでもうまくなる」ことを目標に据えてからというもの、日本代表に向ける視線は極めて冷静だ。

「昔は『絶対に選ばれてやる』と思ってましたけど、今は選ばれなくても気にならないというか。選ぶのは森保さんやスタッフの人たちで、自分のプレーがチームの役に立つと思われたら選ばれるし、そうじゃなければ選ばれないだけ。日本代表に入っていた頃も、選ばれたら光栄でしたけど、『選ばれるために頑張ろう』というのはなかったです。サッカー選手として引退するまで、毎日うまくなりたいと思っていて。本当にそれだけで」

自身が招集されていない間も、日本代表の試合はなるべくチェックするようにしていたが、その理由と仕方がいかにも中島らしかった。

「試合自体は見ました。日本がワールドカップに出られなかったら、日本サッカー界にとって痛手じゃないですか。ただ、90分フルでは見ないです。ハイライトとか、途中までとか。ヨーロッパのサッカーであっても90分見ることがあまりないので」

もっとも、6月6日に国立競技場で行われたブラジル代表との親善試合は、比較的長い時間見たという。

中島にとってブラジルは、10代の頃に3度も遠征したことのある思い出の地。もともとロナウジーニョに憧れ、現在のブラジル代表の10番、ネイマールのドリブルを参考にした時期もあったほどだから、やはり特別な試合なのだろうか。

「いや、ちょうどプレートを取る手術のために入院中だったので(笑)。そのときは部分麻酔がかかった状態で、みんなが必死にプレーしているとき、僕の足は動かせなかった。ネイマールのプレーに刺激を受けるとかもなかったですね。麻酔が切れたらどれくらい痛いんだろう、っていうことのほうが気になっちゃって」

またしても、いたずらっ子のような笑みを浮かべた中島が、どれくらい本音を話しているのかは掴みかねたが、それでもキッパリと言ったことがある。

ひとつは、「森保監督と再び一緒にやりたい想いはあるのか」という問いに対してで、中島は「もちろん、あります」と答えた。

「森保さんはよく言われているように、すごく優しい人。僕がコロナ禍でポルトの練習に参加してないときも『大丈夫か? 』と気にしてくれて。それに、選手の意見にすごく耳を傾けてくれる。チームコンセプトや約束事はミーティングで毎回確認するんですけど、その上に選手の個性をどう乗せるかをすごく考えてくれていて。僕自身、個性を出さないなら自分が選ばれている意味がない、と思っているので、共感できるというか。『ここは規律を守ってほしいけど、ここでは翔哉の良さを存分に発揮してほしい』と言ってくれる。すごくいい監督だと思います」続きはこちら→

2.「勘ぐりすぎです(笑)」炎のアイコンの意味と、肉体改造

2022年6月17日、滅多に更新されない中島翔哉のインスタグラムに、意味ありげな投稿がなされた。

なんの文字も添えられず、燃える薪の写真に炎と薪の絵文字だけ。おりしも日本代表がブラジル代表やチュニジア代表などと4試合を戦った6月シリーズが終了したばかり。

だから、想像せずにはいられなかった。しばらく遠ざかっている日本代表復帰に向けた熱い想いを、その投稿に込めたのではないか――。

「いや、全然。それは勘ぐりすぎです(笑)」

こちらの深読みに対してケラケラと笑いながら、中島は意図を明かした。

「家族とキャンプに行って、バーベキューやキャンプファイヤーをしたんです。しばらくインスタを更新してなかったから、その記念に投稿しただけで。でも、コメント欄にも同じように勘ぐる人がいました。『火=日=日本』とか『魂燃やせ バモ!』とか(笑)」

ほかにも中島の投稿に反応し、コメントを書き込んだファンがたくさんいた。たとえば……。

代表の10番はショウヤしか似合わない
火は消えていない どこのクラブでも応援します‼︎
日本のファンタジスタ! 代表復帰、ワールドカップ期待しています

「期待されるのは嬉しいですけど、やる気がみなぎっているわけじゃない……って言うとまた誤解を招くかもしれないですね(笑)。やる気はあるんですけど、『魂燃やせ』みたいなのとは違います。燃やしたら灰になっちゃいますから」

中島の感性は相変わらず独特だった。

「文章を書くのが嫌でブログをやめてインスタにしたのに、そこで長い文章を書くならブログに戻せよと自分で思っちゃう。だから、インスタはなるべく写真だけ。それで誤解を招いてしまったなら、キャンプファイヤー以外の写真も載せれば良かったかな(笑)」

そう言って悪びれず、いたずらっ子のような笑みを浮かべる様子が、いかにも中島らしかった。続きはこちら→

日本代表復帰とカタールW 杯への想いを語るFCポルト・中島翔哉。

3.強気な発言からの変化の理由

「サッカーを楽しむことが大事」と笑顔で繰り返す現在の姿からは想像できない人もいるかもしれないが、10代の頃の中島翔哉は尖りまくっていた。ギラギラとした野心を隠そうともしない、という表現がぴったりなほどに――。

2011年にメキシコで開催されたU-17ワールドカップに16歳で出場し、高校3年で東京ヴェルディとプロ契約を結んだ中島は、19歳のときにU-21日本代表の一員として’14年1月のU-23アジア選手権に参加した。

この大会で4試合に出場して3ゴールをマークするのだが、そのプレーだけでなく、強気な発言でも取材陣を驚かせた。

「今年ワールドカップがある。選手なので、当然そこは意識しています」
「バロンドールも通過点だと思っています」
「この大会で人生を変えるつもりでやっている」

だが、’14年9月、仁川で行われたアジア大会でのことだ。思ったことを口にする奔放なスタンスが、ちょっとした騒動に発展してしまう。

1-3で敗れたイラク戦の翌日、決定的なチャンスに恵まれない現状に対する中島の苦言が、チームメイト批判としてネットニュースに取り上げられ、大きな反響を呼んだのだ。その直後から、中島は口を閉ざしてしまった。

幸運にも独占インタビューをする機会に恵まれたのは、大会が終わってしばらくした頃だった。そこで聞いた彼の話は、今もはっきりと覚えている。

「僕は、ただうまくなりたい、もっと上に行きたいっていう気持ちを言葉にしていただけで……。でも、ちょうどあのあと、信頼している人から連絡があって。『運や他人ありきで目標を立てるのは、それこそブレてるよ』って言われて、たしかにそうだなって。目標設定の仕方が間違っていたことに気付きました。今までは、それありきで目標を立てていたんですけど、自分個人として考えた時に、自分の思い描いたプレーをする、どんなときも楽しんでサッカーをする、それを可能にするための実力を付けることが何よりもまず大事なことだって気付いたんです」

20歳になった中島は、誤解を招かないように言葉を探しながら、そう告白した。そして、それ以降、「サッカーを楽しむことが大事」と繰り返すようになっていった――。

あれから8年が経つ。「当時話していた“信頼している人”というのは、当時の彼女、今の奥さんですか」と訊ねると、中島は「そうですね」とうなずいた。

とはいえ、長年かけて築いた価値観や考え方は、すぐに変えられるものではないだろう。やはり、中島も時間を要したようだ。

「徐々に、かなり徐々にですね。もともと『これは違う』と言われると、全部反発するタイプなので。人の言うことを、全然聞かないんですよ(苦笑)。だから、最初はそんな感じでした。でも、身近な人のほうが自分のことを分かっている場合ってあるじゃないですか。背中にゴミが付いていて、自分では気付かないけど相手は気付く、みたいな」

実際に、「楽しむこと」「少しでもうまくなること」を目標に掲げてプレーするようになってから、状況が好転していく感覚があったという。逆に言えば、高い目標を掲げていたときは、自分で自分にプレッシャーをかけて、力が入りすぎていたのかもしれない。

「いろいろ試してみたんです。険しい表情で試合に臨んでみたり。でも、うまくいかなかった。公園でサッカーをするような感じでスタジアムでプレーするほうが、結果的にチームが勝ったり、周りも何かを感じ取ってくれることが多いんです、僕の場合は。試合中にヘラヘラしてるんじゃない、と思う人もいるかもしれないし、タイプによると思うんですけど、ただ、遊び心、子ども心って大事だと思います。若い頃はもっと遊び心を持っていたし、子ども心や遊び心を持ってプレーできると、気持ちに余裕が生まれるというか」

そこで中島は突然、お気に入りだというドラマの話を始めた。コミックが原作で、女優の杉咲花が主演し、King & Princeの平野紫耀と俳優の中川大志が脇を固めた『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』である。

「『花晴れ』っていうドラマ、知ってます? 神楽木っていうのがいて、『好きな女の言ってること信じなくてどーすんだよ!』って言うシーンがあって、そこが僕、好きなんです。『そんなの一択だろ!』って。僕と妻の関係もそうだなって。信じてよかったなって思います」続きはこちら→

4.2022-23シーズン、中島はどこでプレーするのか

小学生ながらスタッフ同士のミニゲームやボール回しに混ぜてもらい、大人が相手であろうとボールを奪えなければ涙を流して悔しがる。ボールを持てば股抜きを狙い、成功すればニコッと白い歯を覗かせる。

学校では授業中も足元にボールを置いて転がし、家ではボールを抱えて寝ることもあった――。

小学生時代から東京ヴェルディで育ってきた中島翔哉は、いかにもサッカー小僧というエピソードで溢れている。

そんな中島が今、サッカー選手であること以上に大切にしているのは、家族全員が幸せであることだ。

「自分にとって家族は一番大切で、すべてというか、何よりも一番優先します」

2017年8月、FC東京からポルトガルのポルティモネンセSCへの期限付き移籍が決まる直前に、学生時代に出会った女性と結婚した。’19年8月には第1子となる長女を授かった。

「妻と出会ってから相当変わったと思います。出会う前はもっとわがままで、学校でもいたずらばかり、文句ばかり言ってました(苦笑)。そんな僕に妻はアドバイスというか、届くように言ってくれて。少しずつ大人になってきた、のかな?」

中島はそう言ってとびきりの笑顔を見せる。

「妻と娘と一緒にいる時間が何よりの幸せですね。人間の体って、好きな人のことを思い浮かべると、状態が良くなるそうです。それに、私生活の状態って、プレーに出るんですよ。だから、妻と娘が日本に帰国している時期のプレーは、だいたいダメでした(苦笑)」

家族全員が幸せであることが、何よりも大事――。それが中島にとって最優先すべき価値観だから、未知なる病原体が蔓延した時期に迫られた決断の答えは、一択だった。

‘20年3月、世界は新型コロナウイルスの猛威に晒された。ヨーロッパの2019-20シーズンの各国リーグは開催の継続を断念し、ポルトガルリーグも6月3日に再開されるまで約3ヵ月間、中断した。

中島が当時所属していたFCポルトの再開初戦はアウェイのFCファマリカン戦。しかし、ピッチに中島の姿はなかった。当時の報道によると、5月中旬に体調を崩した夫人を看病するために、中島はチームの練習から離脱。自宅でトレーニングを積みながら、夫人に付き添っている、ということだった。果たして、実際には何があったのか。

「あの頃、コロナウイルス自体がどんなものか分からなかったし、罹った場合の特効薬もなかった。妻は喘息を持っているし、昔、肺炎で命が危険になったこともあって。コロナ禍の初期は肺炎になって亡くなる方もいたし、娘もまだ小さかったので。ただ、チームの活動が再開して1週間くらいは練習に行ったんですよ」

中島は「あまり悪い感じに書いてほしくないんですけど」と断ったうえで、話を続けた。

「ポルトも最初のうちはグループ分けをして練習していたんですけど、他のチームがまだ少人数でやっている時期に、ポルトはもう全員で練習するようになって。ロッカールームも一応、2部屋に分けていたけれど、ソーシャルディスタンスが取れているようには思えなかった。ちょうど妻が体調を崩していたので、もし僕がコロナに感染してしまったら、家族を危険に晒してしまう。妻や娘が苦しむ姿は見たくないですし、それなら大丈夫だと思えるようになってから行こうと思って」

中島がチームの全体練習を休み始めた頃、代理人を交えて強化部長やドクターとオンラインで話し合う場が持たれたが、納得のいく説明は得られなかった。

「ドクターは『99.9%大丈夫だ』と言ったんですけど、『自分の家族がコロナに罹ったとき、同じことが言えますか』と聞いたら黙ってしまったので、ちょっと信用できないなと思って。そうしたら実際、その後ポルトでクラスターが発生した。僕は練習場でひとりトレーニングを続けていたんですけど、フィジカルコーチが付き添ってくれて、彼にはすごく感謝しています。練習に参加しなかったことでチーム内での立場は下がってしまいましたけど、後悔はないです。そこから日本代表も外れるようになりましたけど、自分に実力があって、代表チームに必要とされれば、呼ばれるはずなので」続きはこちら→

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中島翔哉/Shoya Nakajima
1994年東京都生まれ。東京ヴェルディ、FC東京などを経て、2017年、海外に移籍。ポルトガル、カタール、UAEなどでプレー。2022年8月現在、ポルトガルのFCポルトに所属。U17をはじめ、各年代で代表に選ばれ、2018年A代表デビュー。森保一監督体制の初陣では、10番を託される。

TEXT=飯尾篤史

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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