三好康児、武藤嘉紀、中島翔哉、柴崎岳……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。3人目は、その動向が気になるポルトガルのFCポルトに所属する中島翔哉。1回目。
多くのサッカーファンが興奮した、インスタの焚き火写真の意図とは
2022年6月17日、滅多に更新されない中島翔哉のインスタグラムに、意味ありげな投稿がなされた。
なんの文字も添えられず、燃える薪の写真に炎と薪の絵文字だけ。おりしも日本代表がブラジル代表やチュニジア代表などと4試合を戦った6月シリーズが終了したばかり。
だから、想像せずにはいられなかった。しばらく遠ざかっている日本代表復帰に向けた熱い想いを、その投稿に込めたのではないか――。
「いや、全然。それは勘ぐりすぎです(笑)」
こちらの深読みに対してケラケラと笑いながら、中島は意図を明かした。
「家族とキャンプに行って、バーベキューやキャンプファイヤーをしたんです。しばらくインスタを更新してなかったから、その記念に投稿しただけで。でも、コメント欄にも同じように勘ぐる人がいました。『火=日=日本』とか『魂燃やせ バモ!』とか(笑)」
ほかにも中島の投稿に反応し、コメントを書き込んだファンがたくさんいた。たとえば……。
代表の10番はショウヤしか似合わない
火は消えていない どこのクラブでも応援します‼︎
日本のファンタジスタ! 代表復帰、ワールドカップ期待しています
「期待されるのは嬉しいですけど、やる気がみなぎっているわけじゃない……って言うとまた誤解を招くかもしれないですね(笑)。やる気はあるんですけど、『魂燃やせ』みたいなのとは違います。燃やしたら灰になっちゃいますから」
中島の感性は相変わらず独特だった。
「文章を書くのが嫌でブログをやめてインスタにしたのに、そこで長い文章を書くならブログに戻せよと自分で思っちゃう。だから、インスタはなるべく写真だけ。それで誤解を招いてしまったなら、キャンプファイヤー以外の写真も載せれば良かったかな(笑)」
そう言って悪びれず、いたずらっ子のような笑みを浮かべる様子が、いかにも中島らしかった。
私生活が幸せじゃないと、サッカーもうまくいかない!?
ロシアワールドカップ終了後の2018年9月、森保一監督率いる新生・日本代表発足時に背番号10を託された中島は、’19年11月のベネズエラ戦を最後に日本代表から遠ざかっている。
その間、中島の身にはさまざまな出来事が降りかかった。
‘20年に入って日本代表はコロナ禍のために約1年間、活動が休止となった。一方その頃、ポルトガルの名門FCポルトに所属していた中島は、新型コロナウイルス感染拡大によるリーグ中断中に、チームへの合流をめぐってクラブと齟齬が生じてしまう。その後、再開されたリーグ戦では出場機会を失った。
‘21年1月にはUAEの強豪アル・アインFCに期限付き移籍を果たしたものの、2月の練習中に危険なタックルを浴び、腓骨骨折および靭帯断裂の重傷を負った。約半年のリハビリを経て、’21年10月、期限付き移籍をしたポルトガルのポルティモネンセSCで実戦に復帰し、2021-22シーズンは22試合1得点の成績を残した。
「ポルティモネンセの目標が1部残留だったので、それを達成できたのは良かったですけど、個人的にはゴール、アシストの数をもっと増やさないといけないと思っています」
残留争いを余儀なくされるチームにおいて、指揮官が割り切って守備的な戦いを選択したことも確かだ。得点数が振るわなかったのはトップ下の中島だけではない。元浦和レッズのFWファブリシオは1得点、元湘南ベルマーレのFWウェリントン・ジュニオールは5得点と、チーム全体のゴール数が少なかった。
「まずは守備から、という監督なので。でも、中位・下位のチームはどこもそう。その中でもしっかり活躍することが大事だと思っています。ひとりでなんとかしないといけない状況に自然となってしまうので、それでもゴールを奪えるように、プレーをもっと磨いていきたい」
もっとも、中島にしてみれば、初めての大怪我から復帰したシーズンだったのだ。復調までに時間を要したのも無理はない。負傷してから2ヵ月間は松葉杖生活だった。ドバイの施設では、安全ベルトで吊るされながら歩行訓練をすることからリハビリがスタートした。
「復帰するまでに、いろいろな方々にトレーニングを見てもらいました。ポルティモネンセには日本人のトレーナーや通訳がいて、そういう人たちに手伝ってもらいながら、少しずつ状態が良くなってきて。シーズンの終わりが近づくにつれて、体がどんどん動くようになっていったので、本当に感謝しています」
中島にとって大怪我が初めてなら、手術も初めてだったから、これだけの期間、サッカーから離れたのも初めてのことだった。さぞ苦しい期間だったと思いきや、中島は意外な感想を口にした。
「サッカー選手にとってケガをするのは良くないですけど、日本で手術したので、しばらく家族と日本で過ごせたのは良かったです。娘はまだ2歳なので、一緒に過ごす時間をたくさん作れたのは良かった。私生活が幸せじゃないと、サッカーもうまくいかないんで(笑)」
ピッチに立てなかった時間は、自身のプレーや体を見直す機会にもなった。
「今回のケガも、タックルを避けきれなかった自分の責任なので、これを機に自分の体をうまく使えるようにする取り組みを始めました。理想は子どもみたいに伸び伸びとした体。体の使い方って子供のほうがうまいんです。転び方もうまいですし。あと、これまでは力任せにシュートを打つことがあったんですけど、体に無理をさせているので、そこも変えていこうと。詳しくは説明しにくいんですけど、普通の人がやらないようなトレーニングもやってました」
昨シーズンは、こうした新たな取り組みによって微妙に変わった感覚に、自らをアジャストさせる期間でもあったのだ。
21-22シーズンを終えて日本に帰国した中島は、ちょうど日本代表が6月シリーズを戦っていた頃に再手術を受けていた。
「プレートが入った状態で1年間プレーしていて、それを取る手術をしたんです。取っただけなので、もう普通に走れます。傷のところはちょっと違和感があるんですけど、プレーに影響はないし、すっきりしたので、新シーズンもサッカーを楽しめたら、という感じです」
インタビューを行った7月の時点では、新シーズンを所属元のポルトで迎えるのか、新チームで迎えるのか決まっていなかった。
だが、どのチームでプレーするにせよ、体の使い方を進化させた中島が、ドリブル突破からゴールやアシストの山を築けたなら――。11月のカタールワールドカップのメンバー入りへの期待も膨らむというものだ。
日本代表への関心は持ち続けているのだろうか。すると、中島は「そういえば、ブラジル戦は見ましたよ」と言った。
2回目に続く。
Shoya Nakajima
1994年東京都生まれ。東京ヴェルディ、FC東京などを経て、2017年、海外に移籍。ポルトガル、カタール、UAEなどでプレー。2022年8月現在、ポルトガルのFCポルトに所属。U17をはじめ、各年代で代表に選ばれ、2018年A代表デビュー。森保一監督体制の初陣では、10番を託される。