三好康児、武藤嘉紀、中島翔哉、柴崎岳……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。3人目は、その動向が気になるポルトガルのFCポルトに所属する中島翔哉。2回目。
森保監督と再び一緒にやりたいか?
2018年夏のロシアワールドカップ終了後に立ち上げられた新生・日本代表において、中島翔哉は紛れもなく中心選手だった。
中盤の2列目を形成した南野拓実、堂安律とともに“三銃士”と呼ばれ、森保一監督率いる代表チームのアイコンとなった。
だが、’19年11月のベネズエラ戦を最後に中島は”サムライ・ブルー”のユニフォームをまとっていない。
2020-21シーズン、ポルトガルのFCポルトでポジションを失い、期限付き移籍をしたUAEのアル・アインFCで腓骨骨折および靭帯断裂の重傷を負ってしまったからだ。期限付き移籍で復帰したポルティモネンセSCで迎えた21-22シーズンは、中島にとって復活を模索するシーズンだった。
そんな中島に、今年に入って日本代表復帰の可能性が囁かれた。カタールワールドカップ・アジア最終予選の真っ只中だった1月半ばに、森保監督が「翔哉は候補として考えている」と話したからだ。
2月下旬に行われたCDサンタ・クララとのアウェイゲームを森保監督が視察したことで、代表復帰への期待は俄然高まった。
しかし、3月の最終予選にも、6月の親善試合にも、中島の姿はなかった。
「あのときは対戦相手に(日本代表の)守田(英正)や(東京五輪代表候補の)田川(亨介)がいたし、うちにも(元日本代表の中村)航輔がいるので、見に来てくれたのかなと。そのとき、少し話しました。でも、『選ぶかもしれないよ』みたいなことは言われてないです。『調子はどう?』といった話です」
10代の頃は「ワールドカップで優勝する」「ワールドカップで得点王になる」といった壮大な目標を公言していた中島だが、数年前に「サッカーを楽しむ」「少しでもうまくなる」ことを目標に据えてからというもの、日本代表に向ける視線は極めて冷静だ。
「昔は『絶対に選ばれてやる』と思ってましたけど、今は選ばれなくても気にならないというか。選ぶのは森保さんやスタッフの人たちで、自分のプレーがチームの役に立つと思われたら選ばれるし、そうじゃなければ選ばれないだけ。日本代表に入っていた頃も、選ばれたら光栄でしたけど、『選ばれるために頑張ろう』というのはなかったです。サッカー選手として引退するまで、毎日うまくなりたいと思っていて。本当にそれだけで」
自身が招集されていない間も、日本代表の試合はなるべくチェックするようにしていたが、その理由と仕方がいかにも中島らしかった。
「試合自体は見ました。日本がワールドカップに出られなかったら、日本サッカー界にとって痛手じゃないですか。ただ、90分フルでは見ないです。ハイライトとか、途中までとか。ヨーロッパのサッカーであっても90分見ることがあまりないので」
もっとも、6月6日に国立競技場で行われたブラジル代表との親善試合は、比較的長い時間見たという。
中島にとってブラジルは、10代の頃に3度も遠征したことのある思い出の地。もともとロナウジーニョに憧れ、現在のブラジル代表の10番、ネイマールのドリブルを参考にした時期もあったほどだから、やはり特別な試合なのだろうか。
「いや、ちょうどプレートを取る手術のために入院中だったので(笑)。そのときは部分麻酔がかかった状態で、みんなが必死にプレーしているとき、僕の足は動かせなかった。ネイマールのプレーに刺激を受けるとかもなかったですね。麻酔が切れたらどれくらい痛いんだろう、っていうことのほうが気になっちゃって」
またしても、いたずらっ子のような笑みを浮かべた中島が、どれくらい本音を話しているのかは掴みかねたが、それでもキッパリと言ったことがある。
ひとつは、「森保監督と再び一緒にやりたい想いはあるのか」という問いに対してで、中島は「もちろん、あります」と答えた。
「森保さんはよく言われているように、すごく優しい人。僕がコロナ禍でポルトの練習に参加してないときも『大丈夫か? 』と気にしてくれて。それに、選手の意見にすごく耳を傾けてくれる。チームコンセプトや約束事はミーティングで毎回確認するんですけど、その上に選手の個性をどう乗せるかをすごく考えてくれていて。僕自身、個性を出さないなら自分が選ばれている意味がない、と思っているので、共感できるというか。『ここは規律を守ってほしいけど、ここでは翔哉の良さを存分に発揮してほしい』と言ってくれる。すごくいい監督だと思います」
カタールで開催されるワールドカップへの想い
もうひとつは、ワールドカップという大会そのものより、カタールで開催されるワールドカップへの想いだ。
‘17年8月に加入したポルティモネンセで活躍した中島には、次なるステップとしてヨーロッパのビッグクラブへ羽ばたくことが期待されていた。しかし、周囲の予想に反して本人が選んだのは、カタールのアル・ドゥハイルSCだった。
‘19年1月のアジアカップを負傷欠場した中島は、その間にドーハにあるスタジアムやクラブ施設を訪れ、「ここならサッカーが楽しめる」と感じて決断したのだった。’19年7月にポルトへ移籍したため、アル・ドゥハイルでプレーしたのは半年だけとなったが、本拠地であるドーハの街は今でもお気に入りの場所だ。
「いい思い出がたくさんあります。ちょうど娘がお腹の中にいる時期で、妻はあまり外を出歩くことができなかったんですけど、ドーハの街は住みやすく、優しくフレンドリーな人ばかりでした。アラブ料理も美味しいし、世界各国のレストランもある。近代的なビルもあれば、郊外に出ると砂漠もあるし、海もある。パールカタール(人工島)はすごく綺麗だし、ディズニーシーのアラビアンコーストにいるような感じなんですよ(笑)」
そう話す中島は、サッカーを語るよりもよっぽど楽しそうに見えた。
「ドーハの街をすっかり気に入ったこともあって、ワールドカップに出てみたいというより、開催地がカタールなので、出られたらいいな、とは思います。ただ、あくまでも自分がサッカーを楽しんで、少しでもうまくなることが大事。ワールドカップ前の活動は9月の1回しかないから、可能性はかなり低いですけど、森保さんも見てくれているみたいなので。そのために頑張るわけじゃないですけど、所属チームで毎試合、自分のベストのプレーを出したいと思っているので、その結果として行けたら、いいですね」
何がなんでもワールドカップに出たい、とギラギラしているわけではない。出られるかどうかは森保監督の考え次第、つまり他力本願であるから、自分の力が及ばないことに執着するつもりはない。
目標設定にブレはないが、「出られたらいいな」という言葉に、中島の本音がちらりと覗いた気がした。
3回目に続く。
Shoya Nakajima
1994年東京都生まれ。東京ヴェルディ、FC東京などを経て、2017年、海外に移籍。ポルトガル、カタール、UAEなどでプレー。2022年8月現在、ポルトガルのFCポルトに所属。U17をはじめ、各年代で代表に選ばれ、2018年A代表デビュー。森保一監督体制の初陣では、10番を託される。