現在、サッカー日本代表を率いる森保一監督と井原正巳は、1993年の「ドーハの悲劇」を同じピッチで経験した戦友である。かつてワールドカップへの出場すら「異世界の出来事」だった時代を知る井原は、今の代表が掲げる「ワールドカップ優勝」という目標をどう見ているのか。3回目。【特集 2026FIFAワールドカップ】

日本の目標設定に対する、井原正巳の見解
森保一監督が「優勝」を公言するたび、海外メディアからは「ベスト8にも入ったことがないのに」と冷ややかな視線が送られることもある。しかし、井原正巳はその目標設定の妥当性を冷静に説く。
「ベスト8を目指してベスト8に行ったらそこで満足してしまう。もっと上を目指さなければ、ベスト8の上は狙えないと思っているのでしょう。前回大会で優勝候補を破っているのだから、今はそれだけの力があるという思います」
井原がフランスW杯で体感した意識の差(インタビュー2回目参照)と共通する部分があるのだろう。
「決して傲慢な目標設定ではなくて、謙虚に物事は考えているけれども、上を目指してやろうということです。それだけの力がついてきた。それに監督も実際に狙えると思っているから言うし、選手もそう思っていますよね」

1967年9月18日滋賀県生まれ。守山高校から筑波大学に進み、大学在学中の1988年に日本代表デビュー。1990年に日産自動車(現・横浜F・マリノス)に加入。1990年代、日本代表不動のセンターバックとして君臨し、「アジアの壁」と称された。2000年にジュビロ磐田、2001年に浦和レッズへ移籍し、2002年に現役引退。引退後は指導者に転身し、柏レイソルヘッドコーチ、アビスパ福岡監督、柏レイソルの監督を歴任した。日本代表では長年主将を務め、国際Aマッチ通算122試合5得点。身長1m82cm、体重72kg。
最初は誰も知らなかった「水を運ぶ黒子」が「最強のマネージャー」へ
現役時代の森保監督は、決してエリート街道を歩んできた選手ではなかった。長崎日大高校からマツダの関連子会社を経て這い上がってきた苦労人である。井原も当時の印象を「最初はどういう選手なのか知らなかった」と振り返る。
「(森保監督は)汗かき役でした。水を運ぶような、影の黒子のような、そういうタイプの選手でしたね。ひたむきに、何も文句も言わず、自分の仕事をやり通す。あのドーハ時代の強烈なキャラの人たちにも本当に信頼されていました」
その「誠実さ」と「ひたむきさ」は、監督となった今、強力なマネジメント能力として昇華されている。
「サッカーは指導法がどんどん変わってきています。データ的な要素も指導の中に組み込まれるようになりましたし、マネジメントの要素も増えてきている。森保監督はそういう部分も柔軟に取り入れつつ、しっかり筋を通すところは筋を通して、人によって指導を変えない。いいことはいいし、ダメなものはダメっていうところもはっきりしています」
這い上がってきた経験があるからこそ、末端まで目が届き、かつ公平で厳格な規律を維持できる。森保監督の強みは、その卓越した「人間力」に基づいたガバナンスにあるのかもしれない。

高校時代から垣間見えた、教え子・冨安健洋の能力
森保監督が信頼を寄せる守備の要、冨安健洋は、井原がアビスパ福岡の監督時代にトップチームへ引き上げた「教え子」である。井原は、高校生時代の冨安をこう評する。
「トミ(冨安)に関しては、高校生の時に練習参加した時からもうすでに完成されていました。技術的なところもそうですし、何よりメンタリティが素晴らしかった。アーセナルでもトップチームでやれていたのは必然と言えます」
かつて井原がフランス大会で痛感した「日常のレベルの差」を、今の選手たちはヨーロッパのトップクラブに身を置くことで日々克服しつつある。冨安も、度重なる怪我に苦しみながらも、常に高い基準を見据えているという。
「本人もワールドカップに向けて、やれることをやっていきますとメッセージをくれました。今悔しい状況が続いていますけど、実際にメンバーに選ばれて試合に出たら苦労した分いい思いをするんじゃないかと思っています」
ドーハの悲劇から30余年。日本サッカーは「出場」をゴールにするフェーズから、「世界を打ち破る」フェーズへと完全に移行した。
「前回大会の悔しさもあると思いますし、その経験値は必ず生きます。過去最強の日本代表だと監督も話してましたけど、僕も本当にそういうメンバーが揃っていると思うので、まずはベスト8という1つ目の壁を破り、さらに高みを目指していってほしいですね」
戦友が率い、教え子が守る。その日本代表が世界の頂に手をかける瞬間を、「アジアの壁」は確信を持って見守っている。

