山三酒造 蔵元の荻原慎司氏と、鳥嵩 店主の土屋慶典氏。“地元の同い年”というふたりを紹介する。

シンジくんと、ヨシノリくん
荻原 どこかできっと会っていて顔は知ってた同郷の同い年が、料理人としてカウンターの向こうに立ってる。その姿は、やっぱり驚いたかな。
土屋 お鮨屋さんに在籍していた頃だよね。シンジくんが地元でも活躍していたのはみんな知ってたけど、まだ20代でカウンターでシャンパン飲んでる姿はさすがに衝撃だった。
荻原 それから連絡を取り合うようになって、お店にも行ったり、一緒に飲んだり。
土屋 「鳥嵩(とりたか)」を開業する時は、僕から食事に誘ったよね。いろいろ相談もさせてもらって。
荻原 いつかは自分でやるんだろうなとは思ってたけど、またたく間に予約の取れない店になっていって、すごいな、と。
土屋 かなり振り切ったのがよかったんだと思う。僕が焼鳥をやるとしたらどうやるか。それだけを考えてきたので。
荻原 料理に対する姿勢はもちろんだけど、雰囲気のよさが素晴らしい。これはヨシノリくんやメンバーの皆さんの人柄のよさもとても大きいと思う。
土屋 そんななかで、シンジくんが古い酒蔵を引き継ぐと聞いて。まったく知らない世界にゼロから入るなんてすごいな、と。
荻原 後継者がいないと僕の友達から聞いて。100年以上続いてきたものが途絶えてしまうのは、とても残念に思った。
土屋 でも、大変だった。
荻原 想像以上に。引き継ぐ前の自分には、よせ、と言いたい(笑)。でも、これなら一生かけてやる仕事にできると思った。
土屋 まだお酒ができていない時に、買わせてよ、と言ったよね。
荻原 まずは2年、酒蔵で修業させてもらって、それから杜氏を見つけて設備を整えて。3年以上かかったね。
土屋 でも、これがおいしかった。僕は日本酒を追いかけていて結構厳しい目を持ってきたけど、いずれこれは手に入らなくなるぞ、とすぐに思った。
荻原 初めてお酒ができた時は、やっぱり本当に感動したよね。そして焼鳥と一緒に初めて食べさせてもらった時、これは旨いと思った。
土屋 僕はお酒も意識して料理を考えるけど、山三酒造の日本酒はスパッとキレがあるから、焼鳥ととても合うんです。
荻原 ありがたい。
土屋 今では、お客さんから「お、山三が置いてあるね」なんて言われるくらいになってるよ。
荻原 もっともっと知られるように、頑張るね。

山三酒造 蔵元。1979年長野県生まれ。地元の会社を経て23歳でパチンコ・パチスロ機の商社を起業。事実上の休眠状態になっていた1867年創業の山三酒造の再建に名乗りを上げ、2023年から再始動させた。
土屋 お客さまは別荘に来ている全国の方々。本当に広く知られるようになっていると思う。
荻原 ブランドがしっかり立っているようなお酒をまずは作りたかった。ただ、やっぱり広めてもらうには、飲食店だと思ったんだよね。それで食事と合う日本酒をテーマにして、飲食店に置いてもらったり、飲んでもらえる機会を多くするよう取り組んできた。
土屋 僕は料理に合わせて日本酒もお店が一緒に提案するスタイルだけど、山三のお酒は確実に入ってくるね。
荻原 おいしい食事とおいしいお酒と楽しい仲間。それが最高の時間を作ってくれると思っていて。だから、飲食店にお声がけして、山三酒造のお酒を飲んでいただく会をやっている。東京を含め、全国を僕が回るんだけど、やっぱり輪がどんどん広がっている印象があって。
土屋 シンジくんには繊細なところがある。それが人を惹きつけるんだと思う。20代、カウンターでシャンパンを飲んだときも、お会計のとき「良かった」と思わず声を出していて。「値段見ずに注文したから、予想外に高かったらどうしようと思ってた」と(笑)。それが言える人はカッコいいな、と僕は思ったんだよね。
荻原 ヨシノリくんもお客さんに招かれた別荘で飲んで寝ちゃったりするしね。まっすぐだ。
土屋 そうそう、休みの日に、今日予定ないな、とよく電話しちゃうんだよね。シンジくん、今夜、空いてる? って。
荻原 それが空いてたりするから(笑)。そろそろまた飲みに行こう。

鳥嵩 店主。1979年長野県生まれ。軽井沢のホテルのフレンチで料理を学び始め、和食に転向。居酒屋、鮨店、焼鳥店の店長などを務め、2020年に「鳥嵩」を開業。軽井沢の名店のひとつに。

