放送作家、NSC(吉本総合芸能学院)10年連続人気1位であり、「令和ロマン」「エバース」「ヨネダ2000」をはじめ、多くの教え子を輩出した桝本壮志のコラム。

「先日のコラムで、桝本さんの授業に全裸で出ていた生徒や、亀甲縛りで出ていた女生徒がいたというエピソードが衝撃的でした。その後、彼らは売れたのでしょうか? また、桝本さんとの関係はどうなりましたか?」という質問をいただきました。
ここ10年、生成AIなどのテクノロジーの進化で、私たちの生活がすっかり変化したように、お笑いの学校(吉本NSC)も、僕が赴任した17年前とは様変わりしています。
コロナ禍、闇営業問題、コンプライアンス課題など、さまざまな社会変容や取組み以前のエピソードなので、今回は「あくまで昔のはなし」として笑っていただけると幸いです。
また、約1万人の教え子と膝を突き合わせていくなかで分かってきた、「部下との正しい別れかた」もシェアしますので、最後までお付き合いください。
NSC講師だけが目撃する、世に出なかった芸人たち
講師を拝命した17年前、まず僕がやったことは「生徒にナメられる」ことでした。
そもそもお笑いの先生なんて偉くないし、芸人さんをサポートするには、「ネタ」という一側面でなく、性格やバックグラウンドなどを多面的に見せてほしかったからです。
うまく「ナメられる」がハマっていくと、生徒たちのアピール合戦が自然発生しました。
講義をしていると、なぜか大根やセクシーDVDを手にしている生徒が見える。声をかけてみると「野菜の知識なら誰にも負けないので」、「姉が有名なセクシー女優なので」などと、次々にアピールしてくるのです。
そんなある日、教室に全裸の生徒が入ってきました。別に全裸はおもしろいことではないので、何もふれずに1時間ほど授業を進めていくと、彼のネタ順になりました。
「ショートコント、電車!」
全裸とは無関係のネタをして去っていく後ろ姿(全裸)を眺めながら、こいつは天才かも――と思いました。
また、ある年の最後の授業を終えたとき、一人の女生徒がやって来て、やにわにシャツをはだけると、なぜか縄で拘束されていました。
「最後まで気づきませんでしたね。わたし、桝本さんの授業はずっと亀甲縛りで出ていたんですよ」
咄嗟に「いや、夏場はムリやろ?」とツッコミましたが、一瞥もくれずヒール音だけを残して去っていきました。奇妙な謎もふくめ、彼女も能力者であったと思います。
1万人のなかには危ない天才もいました。忘れられないのは、コンビニ強盗のネタを披露したコンビです。
ネタ中、なぜか前列の生徒らがざわざわし始め、やがて最後列で鑑賞している僕の耳にも届きました。
「強盗の包丁、本物じゃない?」
血の気が引きました。強盗役が、相方に迫真の演技をさせるために本物の包丁を使っていたのです。
僕はすぐに屈強な生徒らに声をかけ、ネタ中に強盗役を取り押さえましたが、後にも先にもコントに本物の包丁を出したのは彼だけ。ネタは良かっただけに残念でした。
今回あげた3人は、その強烈な個性とともに強く印象に残っていますが、卒業後、メディアで見かけたことはありません。
売れるのは全生徒の約2%という厳しい世界なので、講師だけが目撃する世に出なかった芸人もいるのです。
部下との正しい別れかた
全裸、亀甲縛り、包丁と、強烈な生徒は山ほどいましたが、僕に一つだけ誇れることがあるとしたら、「別れかたを均等にしてきた」ことです。例えば――
・どんな相手でも、最後はプラスの言葉をかけて別れる
・どんな相手でも、美点を1つ言える間柄になって別れる
・どんな相手でも、今後もつながる態度を見せて別れる
まず、会話は「算数」と同じなので最後にマイナスな言葉をかけると関係もマイナスになるだけ。
どんなに苦手な部下であれ上司であっても、「最後はプラスな言葉をかけて別れる」を基本にする。
そのためには、日ごろから欠点だけでなく美点にも気づく目を養っておく。
そして、売れっ子(出世頭)になりそうな人にだけ丁寧にお別れするのではなく、誰とでも「今後もつながりましょう、いい仕事をしましょう」という態度をデフォルトにする。この3つが大切なのです。
ちなみに僕は、分け隔てなく教え子1万人にLINEのIDを公開してきたので、先述の全裸くんや亀甲縛りさんとも、今でもゆるやかにつながっています。

1975年広島県生まれ。放送作家として多数の番組を担当。タレント養成所・吉本総合芸能学院(NSC)講師。「令和ロマン」をはじめ、教え子は1万人以上。新著『時間と自信を奪う人とは距離を置く』が絶賛発売中! 桝本壮志へのお悩み相談はコチラまで。
こうした「別れかた」を実践してきたのは、僕がNSC生だったときの恩師のおかげ。かつての僕が「講師に手を焼かせる側の生徒」であったにもかかわらず、その後もゆるやかにつながってくださった。
そして、僕が名の通る作家になったとき、「講師にならないか?」と声をかけてくださった恩師がいたからなのです。
では、また来週、別のテーマでお逢いしましょう。

