約5年ぶりに再開した、エイベックス会長松浦勝人による連載。現代を生きる数寄者が語る、社会のこと、仕事のこと、遊びのこととは。【その他の記事はこちら】

僕の一日の過ごし方
夏休みはイビサ島に行く予定を立てていた。スペインにあるリゾート島で、この季節は世界中からトップDJが集まり、毎日フェスをやっている。でも、やめた。夏休みの予定は何もなくなった。
周りには「疲れてしまうからやめた」と言い訳したけど、本当の理由は“筋トレ”ができなくなるから。今は筋トレにハマっていて、日課になっている。信頼しているトレーナーがいて、彼がいないとトレーニングができなくなる。
今回、イビサに行こうと思って予定を組んだら、そのトレーナーがどうしても日程が合わないという。トレーナーが同行してくれないんだったら、やめようということになった。
トレーニングくらいひとりでもできるでしょ? と言われると思うけど、まあ、僕は甘ったれなので、ひとりではできないし、やらなくなってしまう。筋トレをしているとフォームが微妙に崩れてくることがある。トレーナーがいればすぐに指摘してくれるけど、いないと自分のフォームがどうなっているのかがわからない。それが嫌でたまらない。やるなら完璧にやりたい。筋トレが今の僕の生活の中心になっていて、夏のバカンスより優先すべきものになっている。
以前は筋トレが好きではなかった。ただ、お腹がぽっこり出てきたのが気になって、1年半ほど前に医師に相談したら、医学療法でのダイエットを勧められた。それで体重は落ちたものの、脂肪と一緒に筋肉も落ちてしまった。
ある時YouTubeチャンネルの映像をチェックするために自分の姿を見たら、ものすごく痩せていて貧相に見えた。これはまずい。筋肉をつけようと思って、しかたなく筋トレを始めた。
筋トレは普通、筋肉量を増やすと同時に有酸素運動をやって体脂肪も減らす。でも僕の場合、体脂肪は減っていたので、有酸素運動なしに筋トレだけをすればよかった。筋トレが嫌いだった理由のひとつに“有酸素運動がきつい”というのがあったから、ものすごく楽に感じた。
で、実際に筋トレを始めてみたら、やればやるだけ筋肉がついていく。これが面白くなってしまった。トレーナーにプランをつくってもらい、それをこなすとちゃんと筋肉がついていく。モテたいとか自慢したいとかではなく、ただただ自己満足の世界。もう趣味を超えて、いつも筋トレのことを考えるようになってしまった。
朝起きると、まず考えることは筋トレ。ジムに直行して、1時間ほどトレーニングして、それから出社する。仕事が終わったら家に帰る。家に帰っても特別なことはしない。SNSを見たり、AIをさわったり。そんなことをしていると、なんだかんだ時間はつぶれる。すぐに11時、12時になって、あとは寝るだけ。それが今の僕の生活になっている。
以前の僕は毎日がイベントだった。仕事が終わっても家にまっすぐ帰るのはつまらないからご飯を食べに行く、お酒を飲みに行く。僕としては普通なんだけど、一緒に行く人には非日常のイベントに映っていたらしい。「松浦さんといると、毎日がイベントです」とよく言われた。
家に帰っても、必ず誰かがいた。まれに誰もいないことがあると寂しいから、電話で誰かを呼びだすほどだった。いつも人が出入りしていたから、家のドアに鍵をかけたことがないし、それどころか、ほんとうにドアを開けっぱなしにしていた。家に帰ると知らない女性が出てきて、「どちら様?」とたずねられたこともある。友人の知り合いで、誰の家かも分からずに遊びにきていたらしい。
その生活がこの数年でがらりと変わった。家に帰ると誰もいなくてひとりになる。筋肉をつけるにはステーキがいいとトレーナーに言われているので、食事はステーキをウーバーイーツで注文して食べる。
夜はAIで楽曲をつくることも多いけど、目的もなく、自由に実験している感じ。本格的な曲づくりをするには、やはり歌手が決まって、プロジェクトが決まって、ということが必要になる。タイミングも必要。
ただ、実験とはいえ、作曲する時は集中したいし、音声プロンプトを使うので、周りに人がいないほうがやりやすい。だから、玄関の鍵も閉めるようになった。玄関に鍵をかけるとすごく安心感があるということを、この歳になって初めて知った。シャワーのあと、素っ裸で下着を取りに歩いていても、誰も文句を言わない。ひとりだとすごく解放感があることを初めて知った。今では、別の人が家にいると落ち着かない。
もう、社長業はやらない。社長というのはいじめられるのが仕事だから。株主や銀行は社長にさまざまな要求をしてくる。それは当然のことなんだけど、僕はうまい受け答えをして、そつなく対応することができない。すべて受け止めてしまい、夜、眠れなくなる。
社長業を譲って、今は自分の時間を好きに使えるという贅沢な生活を送らせてもらっている。僕の人生のなかで、こういう過ごし方をするのは初めてのことかもしれない。少し前までは、この生活が人生の消化試合のようになってしまったら嫌だなとも思っていた。このままでは終われない、という焦りもあった。
でも、何ごとでもそうだけど、きっかけというのは突然向こうからやってきて、そこからすべてが猛スピードで動きだす。そのきっかけがいつ来るかはわからないし、自分ではどうすることもできない。だから待つしかないと思えるようになり、この生活を楽しめるようになった。不安のようなものは乗り越えられた。その“きっかけ”がやってくるのを静かに待ちながら、今を楽しんでいる。
松浦勝人/Masato Matsuura
1964年生まれ。エイベックス会長、音楽プロデューサー。24歳でエイベックス創業、ユーロビートブームの発信源となる。浜崎あゆみ、TRFなどのプロデュースを手がけた。
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