幻冬舎 代表取締役社長の見城徹と、NEXT ONE 代表取締役社長の斉藤徹氏。“同じ細胞質を持つ経営者”というふたりを紹介する。

常に熱狂して、前に進む
斉藤 7年前、勇気を振り絞ってお声がけしました。
見城 ジムが入るビルのエレベーターの中でしたね。
斉藤 僕も同じジムに通っていて、お見かけをしていたんですが、ものすごいオーラもあって逡巡(しゅんじゅん)してしまって。
見城 それからジムで顔を合わせるうちに、ああ、この人は僕のことを大切に思ってくれているんだな、とわかりました。
斉藤 『読書という荒野』をはじめ、ご著書をたくさん読ませていただいていて、大きな影響を受けていましたから。
見城 それはやっぱり嬉しかった。
斉藤 実はまだ20代の頃、あるパーティーでお見かけして、名刺交換を求める長い行列に並んで、写真も一緒に撮ってもらったことがあったんです。この時のスピーチにも痺れてしまって。毛沢東の革命3原則でした。
見城 若いこと、貧しいこと、無名であること。僕の場合は、これに無知であることを加えて4原則として話をしました。常識にとらわれるな、と。
斉藤 感銘と言ったら恐縮すぎるんですが、魂を擦り切る言葉を磨いていた方なので、それを直接聞いた時には、いつかまた絶対にお会いしたいと思って。
見城 それから、食事に行きましょうとお誘いしたんですよね。
斉藤 なんて幸運なんだと思いました。その機会をいい時間にするべく、聞きたいことリストを作って持って行きました。
見城 無口で丁寧に言葉を絞りだす。軽々しいことは言わない。真心がある人だと思いました。
斉藤 以来、どれだけ自分を支える言葉をいただけたか。見城さんの存在なしには、今の私は存在していないです。
見城 そんなことはないです。忍耐強い人ですから。それは、鍛え上げられたバキバキのボディからもわかる。僕も40年、ウエイトトレーニングしているから、その苦しさを知っているんですよ。どれだけ耐えられたか。でも、苦しめば苦しむほど、無理をすればするほど結果が出る。
斉藤 そんな見城さんだからこそ見える世界から、驚くようなアドバイスもくださって。
見城 心から信頼しているからです。この人は裏切らない、噓つかない人だ、と。同じ細胞質のようなものを持っているんだと思っているんです。
斉藤 なんとなくで生きてはいけない、と学びました。常に熱狂して、前に進まねば、と。もっともっと教えていただきたいことがあります。

幻冬舎 代表取締役社長。1950年静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、1975年角川書店入社。取締役編集部長を最後に1993年退社、幻冬舎設立。『大河の一滴』をはじめ、29冊のミリオンセラーを世に送りだした。
見城 調子のいいことは一切言わない。真実や事実、本質は、いずれわかるだろうという構えが大きい。実は会社が窮地に陥っていた時も、何も言わずに僕に大切な人を紹介してくれたりしましたね。
斉藤 自分が困っている時だけ、助けを求めてくる人もいます。でも、僕は違うと思っていました。とりわけ誰かのことをいつも思っている見城さんにお伝えしたらいけない、と。
見城 本当に忍耐強いんですよね。でも、僕も忍耐強いんですよ。比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した酒井雄哉さんが、こんな言葉を残しているんです。「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」。耐えて耐えて耐えるしかない修行をした、この大阿闍梨(だいあじゃり)の言葉が、僕には生きるよすがになっているんです。
斉藤 やっぱり言葉で生きてこられた方だと感じています。だから、今はちゃんとした言葉でご報告させていただくようになりました。自分が間違えそうなとき、それは危ないんじゃないかと教えていただいて。
見城 自分の経験と体験から得た勘が働くんですよ。これはダメだ、こうしたほうがいいんじゃないか、と。適当に付き合っていないですからね。命を削りあって付き合っているんで。それはもう命がけで止めますよ。
斉藤 ビジネスについてもそうですし、人付き合いについても教えていただいて。
見城 僕が斉藤に学ぶのは、口数が少なくとも、人をちゃんと信用させられるんだ、ということです。LINEは長いけど(笑)。
斉藤 見城さんは僕にとっては師匠であり、親父であり、特別な存在です。これからもたくさん時間を共有していただきたいと思っています。

NEXT ONE 代表取締役社長。1982年千葉県生まれ。2003年通信関連サービス会社に入社し、トップ営業マンに。2006年に独立。2007年より現職。コンシューマープラットフォーム事業、障害者雇用支援事業を手がける。

