フィギュアスケート男子シングルスケーターを引退後、博士号を取得し、大学の准教授になってもなお新しいことに挑戦し続ける町田樹のインタビューをまとめてお届け! ※2025年4月掲載記事を再編。

1.「引退を決めたのは当日」フィギュア・町田樹はなぜ、大学准教授になったのか

町田樹、35歳。ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル日本代表であり、國學院大學 人間開発学部 健康体育学科の准教授だ。この若さで准教授となることは容易ではないが、町田は「実のところ大学学部生時代は長いこと留年をしていて、大学7年生まで過ごしているんです(笑)。ですから、もう時間を無駄にできないと思い、修士と博士の課程は最速のストレートで突っ走りました。博士号を取得直後、ありがたいことに國學院大學が助教として受け入れてくださったんです」と謙虚に微笑む。
町田が研究するのはアーティスティックスポーツにおける著作権問題や、フィギュアスケート業界におけるプログラム(作品)のアーカイブ、マネジメント問題など多岐にわたる。
フィギュアスケート選手としては異色のキャリアを歩む町田は、研究とそれに伴う実践の活動、フィギュアスケート中継の解説やスポーツ教養番組の制作、関連イベントのゲスト出演など多忙な日々を過ごしているが、大学では学生たちと触れ合う教育者でもある。2020年からゼミを受け持ち、これまでに40人強を社会に送り出してきた。
「彼らの成長過程は見ていてうれしいですし、自分も安住してはいけないなと刺激を受けます。このインタビューのテーマにかけるわけではないですが、成長するために挑戦を続けることは大事だなと思います」
研究室の本棚の一角には、卒業生たちの卒論が並べられている。一段の左半分は学生の卒論、右半分は町田の個人の業績だという。
2.フィギュアスケート町田樹、“ソチ第6の男”が代表を勝ち取れた理由を分析

現役時代に感じたさまざまな問題を、研究者の立場から考えていきたい。そう語った町田樹。町田の現役時代はまさに、フィギュアスケート男子シングルの最初の黄金期。高橋大輔、織田信成、小塚崇彦、無良崇人、町田樹、そして若き羽生結弦が代表の座をかけてしのぎを削っていた。その中でもオリンピック代表をかけた戦いは壮絶なものだった。
「スケーターとしてのキャリアのなかで最大のチャレンジは、やはりソチ五輪だったと思います。当時は高橋、織田、小塚、羽生、無良、そこに私も入れていただいての6強。私はメディアでは“ソチ第6の男”と言われ、一番オッズが低かったわけです。ソチ五輪代表を誰が勝ち取るかというレースは、本当に人生伸るか反るかの大勝負でした」
代表を獲得するため、町田は自分を冷静に分析することから始めた。
「自分に何が足りないのかと考えたとき、4回転ジャンプや持っている技のクオリティが他の選手に比べて足りないと思いました。やはり能力主義の世界なので、自分に足りないものは毎日地道にコツコツと努力をして習得できるように頑張っていましたね。最終的には駅の階段が登れませんでした(笑)。追い込みすぎて、途中でゼーハーしちゃって。それくらい日々ストイックに取り組んでいましたね」
この計画を始めたのは、バンクーバー五輪代表選考が終わってすぐのことだったという。
3.フィギュア町田樹が大学准教授に。メディアが作り上げた異名 “氷上の哲学者”を努力で現実に

フィギュアスケーターとしてのキャリアを終え、研究者の道を進み始めた2015年。ここで現役時代の“あること”が町田を悩ませた。
「これは自慢ではないのですが、オリンピアンとして少しだけ有名になって “氷上の哲学者”というレッテルを貼られてしまいまして(笑)。当時はまだ学士号も取っていない分際が、良くも悪くもメディアでそういった人物だというイメージが出来上がってしまった。研究の世界はそんな生易しいものではなく、本当の『哲学』なんですね。今となっては私もそうなんですけど、博士号(Ph.D)は英語で言うとDoctor of Philosophy、哲学の博士ということです。哲学者のみならず、文学者であれ、社会学者であれ、「真理を発見する」学術の博士は、Doctor of Philosophyです。
それなのに、学士号もまだ取っていない自分に、“氷上の哲学者”のオリンピアンというイメージがついてしまった。これから進もうと思っている学術界の先人たちにそれでは全く申し訳が立たないと思い、自分のアスリートとしてのイメージ、“氷上の哲学者”としてのイメージを殺すことから入りました」
その言葉通り、引退後2年間はアイスショーへの出演があってもメディアの取材を一切受けず、粛々と大学院生として勉強と研究に明け暮れ、修士論文を書き上げた。
4.フィギュア町田樹、人生初ダイエットで挑むバレエの舞台

学術の道に飛び込んだ町田は、フィギュアスケートを中心にアーティスティックスポーツ、舞踊に関連するさまざまな研究に取り組んできた。その研究を記した著書をいくつか紹介してもらった。
「博士論文を単行本化した『アーティスティックスポーツ研究序説:フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社、2020年)は、競技者の時に感じていたフィギュアスケート界の諸問題、例えばリンク不足をはじめとする不安定な産業構造や著作権の問題について書いています。
競技者の時から言っていましたが、『フィギュアスケートはスポーツであるけれどアートでもある』『プログラムは芸術作品』です。舞踊作品が著作物であるように、フィギュアスケートのプログラムにも著作物として著作権が認められるべきではないか。従来ジャンプなどの技術についてはたくさん語られてきましたが、アートとしてフィギュアスケートをどう語るか、作品批評の面ではまだまだ発展途上です。
プログラム、作品のアーカイブについてもそう。例えば、全日本選手権などのメジャーな競技会での映像を我々は手に入れることができません。オンエアを録画すれば手に入りますが、テレビ局の著作物なので二次利用はできません。でも、その著作物を生みだしている源泉は振付師であり、選手です。その映像は大事な資料なのに、放送されては消えていく。YouTubeにあるフィギュアスケートの演技はいわば違法アップロードですから、いつ削除されるかわからない。最近は、競技連盟が公式で演技映像を公開するようになり、ほんの少しずつ改善はされてきてはいますが、まだまだ脆弱なアーカイブ体制なのです。」
5.准教授になったフィギュア町田樹。新たな挑戦のためのモットーは「雑食」

アスリートとして、研究者として、常にチャレンジを続けてきた町田樹。新たなフィールドに挑戦すること、その面白さをどう感じているのだろうか。
「自分自身のセオリー、ルーティン、はたまた経験則が全部効かないということですね。やはり、一つの環境や立場、キャリアや取り組みを続けていると、やがて自分なりのセオリーが構築される。こうすればうまくいくよね、こうすれば無難に収まるよねということがわかってくる。もちろんそれはいいことであって、それ自体を批判しているわけではないんです。そうでないと毎日不安定ですし、一流の仕事を着実に、正確にしていくためにはセオリーや経験則は必要ですから。
ただ、それが時にはマンネリ化してくるわけです。あるいは、自分に新しさを感じない、イノベーティブなマインドにならないということが起こってくる。そうしたことを全部ぶち壊してくれるのが新しいチャレンジです。右も左もわからない、白地のキャンバスを前に出されて『さあ、どうする?』というところから自分なりに失敗を重ねながら経験則を作っていく。
あるいは新しい人間関係から刺激的なことを見聞きして、これまでの自分にはなかったものの見方や考え方に気づいたりすることができるかもしれない。今までやってきたことに新しい知識・経験が加わることで化学反応が起きて、新しい活動展望や自分の新たな一面みたいなものが開けていくんだと思います。」