PERSON

2025.04.19

「引退を決めたのは当日」フィギュア・町田樹はなぜ、大学准教授になったのか

2014年に開催されたソチ五輪。その日本代表だったフィギュアスケート男子シングルスケーターの町田樹は今、学術の世界で活躍している。博士号を取得し、大学の准教授になってもなお新しいことに挑戦し続ける町田の現在、過去、未来を5回に渡ってお届けする。「挑戦」をテーマとした連載の1回目は現在の仕事と、この道を目指したきっかけについて。【特集 RE:チャレンジャー】

町田樹

フィギュアスケーターから研究者への転身

町田樹、35歳。ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル日本代表であり、國學院大學 人間開発学部 健康体育学科の准教授だ。この若さで准教授となることは容易ではないが、町田は「実のところ大学学部生時代は長いこと留年をしていて、大学7年生まで過ごしているんです(笑)。ですから、もう時間を無駄にできないと思い、修士と博士の課程は最速のストレートで突っ走りました。博士号を取得直後、ありがたいことに國學院大學が助教として受け入れてくださったんです」と謙虚に微笑む。

町田が研究するのはアーティスティックスポーツにおける著作権問題や、フィギュアスケート業界におけるプログラム(作品)のアーカイブ、マネジメント問題など多岐にわたる。

フィギュアスケート選手としては異色のキャリアを歩む町田は、研究とそれに伴う実践の活動、フィギュアスケート中継の解説やスポーツ教養番組の制作、関連イベントのゲスト出演など多忙な日々を過ごしているが、大学では学生たちと触れ合う教育者でもある。2020年からゼミを受け持ち、これまでに40人強を社会に送り出してきた。

「彼らの成長過程は見ていてうれしいですし、自分も安住してはいけないなと刺激を受けます。このインタビューのテーマにかけるわけではないですが、成長するために挑戦を続けることは大事だなと思います」

研究室の本棚の一角には、卒業生たちの卒論が並べられている。一段の左半分は学生の卒論、右半分は町田の個人の業績だという。

町田樹

「本棚のスペースをどちらが増やせるか、勝負しようと思って。卒論は10冊単位でポンポン増えていくので、今は拮抗しているんですけど負けられないなって思って研究に取り組んでいます。常に人生は勝負。スポーツはもちろん、研究でもそう。新しい理論は1分でも早く出した人が勝ちですからね。二番煎じはもう敗者というくらいシビアな世界です。今研究と並行して実践をしているバレエの世界でも、生半可な気持ちでやって失敗すれば悪い評価をされてしまう」

町田は今、大きなプロジェクトに取り組んでいる。2024年に初演を果たした「上野の森バレエホリデイ」での、「Pas de Trois Encore 2025 上野水香×町田樹×高岸直樹 《バレエとフィギュアに捧げる舞踊組曲2》」だ。現役引退後、プロスケーターとしてフィギュアスケートとバレエのフュージョン作品を作りたいと思った町田は、2015年からバレエダンサー高岸直樹に師事した。

「プログラムを作るためには圧倒的にバレエの能力が足りない。だったら世界トップレベルのダンサーに師事して一流の指導を受けようと思ったんです。プロスケーターを引退後も研究にも関わりますし、純粋にバレエが好きなこともあり、ライフワークとして続けてきました。

そんなある時、師匠の高岸先生から『町田くん、舞台に立ったら?』と背中を押していただいたんです。ちょうど舞踊に関する研究の成果も出始めていたので『だったら勝負しよう』と。研究成果をもとに、日本を代表する一流のバレエダンサーとコラボレーションをすることにより、みんなで新しい舞台を作っていこうということになりました」

突然の現役引退宣言

常に新しいことに挑み続ける町田がこの世界に足を踏み入れることを公表した時、つまり現役アスリートとしての引退を表明した時はスケートファンや関係者に衝撃を与えた。その舞台は、2014年の全日本選手権後の、世界選手権代表発表の場。代表が決定し、試合に向けての意気込みを一人ずつ発表していく場面での突然の引退宣言だった。

「もともと2014-15シーズンで引退しようと思って計画はしていました。なぜならば2015年の4月には早稲田大学の大学院に進むことが決まっていたからです。ただ、あのタイミングで引退するのを決めたのは、まさに当日でした。世界選手権の代表には決まりましたが、全日本選手権では4位だったんです。あそこでメダルを取っていたら、もしかしたら世界選手権まで続けていたかもしれないですね」

あまりにも大きな決断だったが、町田に迷いはなかった。

「いずれにせよ4月から新たなキャリアを始めなければいけない。ならばいっそ覚悟を決めてここで終止符を打ち、年明けから新たな気持ちでその準備をしようと思った。もともとは優柔不断な人間で、グジグジと迷っているうちに機を逃してしまったり、悩んで選んだけどうまくいかなかったりという経験を数多くしてきました。 だから“早く決断して行動を起こした方が成功確率が高い”ということを身をもって知っていたんです」

そう考えた町田は年始から新たな道、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科に進む準備を開始。関西大学では文学部だった町田がスポーツ科学研究科の道に進んだのは、現役時代に感じてきたことがきっかけだった。

「フィギュアスケーターとしてたくさんの表舞台に立たせていただきましたし、裏舞台も見てきました。その中で、私は練習環境の問題に何度も直面したんです。広島に住んでいた頃は学校が終わってからコーチに運転してもらって、スケートリンクのある岡山や山口、島根などへ片道2時間くらいかけて練習に行き、夜遅くに帰るという生活でした。

それではトップを目指すのは苦しいということで(スケートリンクのある)関西大学に進学を決めましたし、大阪の臨海スポーツセンターやロサンゼルスのアイスキャッスルにも行ってやっと通年練習できるホームができたと思っていたんですけど、両方閉鎖の危機に陥りました。臨海は高橋大輔さんをはじめいろんな方の支援活動のおかげでなんとか存続しましたが、アイスキャッスルはなくなった。日本には、そういう選手がごまんといるんです。

スケートリンクは試合やアイスショー、イベントをやるビジネスの場でもありますが、未来を担う選手が練習をしたり、プログラムを創造する「工場」でもある。生産と流通、両方を兼ね備えている大事な場。それにもかかわらず、存続の危機が常につきまとう危機感を感じたこともあり、スポーツマネジメントの専門家になろうと、スポーツ経済学や社会学、法学、政策学を中心に学びました。

その他にも女性アスリートの三主徴問題(過度なダイエットからくる無月経、そこから派生する骨粗鬆症)などの深刻な問題を、研究者の立場から研究し、その成果をコーチや連盟、関係者をはじめとする現場の方々に還元していきたいと思ったのも、学術界を目指すきっかけとなりました」

町田樹/Tatsuki Machida
1990年神奈川県生まれ。2014年ソチ五輪で5位入賞。24歳で競技者を引退後は研究者への道を進み、現在は國學院大學人間開発学部准教授を務める。2025年4月26・27日に東京・東京文化会館 小ホールにて「上野の森バレエホリデイ2025特別企画 Pas de Trois Encore 2025 上野水香×町田樹×高岸直樹《バレエとフィギュアに捧げる舞踊組曲2》」が上演される。

TEXT=山本夢子

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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