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2025.06.28

賭博、交通事故…バドミントン桃田賢斗、“金メダル最有力”東京五輪も「勝てないことは自分が一番わかっていた」

圧倒的な実力と甘いマスクで若い頃から注目のアスリートだったバドミントンの桃田賢斗。長期にわたって世界ランキング1位の座を維持し、日本バドミントン界の“顔”ともいえる活躍をしてきた彼だが、違法賭博や交通事故など、選手生命にもかかわるトラブルも経験してきた。代表を退き選手としての第一線から一歩下がった今、改めて当時を振り返り感じることとは。【その他の記事はこちら】

桃田賢斗

震災、賭博、交通事故…波乱万丈のバドミントン人生

桃田賢斗は、バドミントン界の“生きる伝説”だ。2012年、高校生のときに日本人で初めてジュニア世界一に輝くと、2015年にはやはり日本人男子シングルスで初めて世界的なトーナメントで優勝。国際大会で無類の強さを見せ、2018年9月に世界ランキング1位になると、2021年11月まで121週にわたり、その“王の座”を誰にも譲ることがなかった。2019年に記録した主要国際大会11勝はギネス記録にも認定されている。

「子供たちを集めたバドミントン教室とかに行くと、司会の方が僕のこれまでの成績を紹介してくれるじゃないですか。それを聞いていると、『オレ、けっこうすごいじゃん』って他人事みたいに思ってしまいます(笑)」

金字塔ともいえる数々の輝かしい伝説を残してきた。

だが、多くの人が知るように桃田賢斗のバドミントン人生は、多くのトラブルとともにあったのも事実だ。

香川県に生まれ、小学生時代から注目の選手だった桃田は、中学からは親元を離れて福島県富岡町立富岡第一中学校にバドミントン留学。全日本中学校バドミントン大会で優勝するなど順調に成長を遂げ、福島県立富岡高校進学後は日本バドミントン協会からの推薦で海外での練習にも参加するようになる。そんな2011年3月、インドネシアにいた桃田に届いたのは、東日本大震災の報せだった。彼が通っていた富岡高校は警戒区域内にあり、以後、高校時代は各地を転々としながら練習を続けることになる。

2016年、活躍が期待されたリオデジャネイロ五輪の3ヵ月前には、過去に違法賭博行為をしていたことが報じられ、五輪代表の座を剥奪、無期限の競技会出場停止処分が下された。処分解除後、上記のような快進撃を続けた桃田だったが、東京五輪開催予定だった2020年1月、マレーシアで交通事故にあう。死亡者も出たこの事故で桃田も大怪我を負い、特に右眼窩底骨折はシャトルが二重に見えるという選手としては致命的ともいえるダメージだった。新型コロナウイルスの影響で五輪開催は1年のびたが、地元金メダルを期待された桃田はまさかの予選敗退となった。

桃田賢斗は運が悪かったのか?

スポーツの世界、とりわけ世界のトップレベルで活躍するためには、心技体の充実に加え、運も必要だといわれている。はた目には天国と地獄を行ったり来たりしているように見える桃田のバドミントン人生を彼自身はどう考えているのだろうか? 

「僕自身は運がいい人間だと思っています。中学のころから仲間、先生、コーチには本当に恵まれてきました。僕がというよりも、環境、すばらしい人たちに出会える運を持っているんです」

思いのほかあっけらかんと「自分は運がいい」と断言する彼に、恐る恐る「でもこれまでいろいろなことがありましたよね」と訊いてみた。

「違法賭博に関しては、自分の甘さが招いた結果。それがどれだけの大事なのかも理解できていなかった。バドミントンができなくなったとしても仕方がない状況でした。

でもそのタイミングで所属チーム(NTT東日本)の監督になられた須賀隆弘監督と出会い、バドミントン選手として生きる姿勢について教えていただき、自分自身も大きく変わることができました。交通事故に関しては、生きていたことが幸運だと思っています。一歩間違っていたら人生が終わっていたかもしれなかったんです。もちろん怪我はしましたが、生きて、しかも選手として復帰もできている。幸運としかいいようがないです」

桃田賢斗
桃田賢斗/Kento Momota
1994年香川県生まれ。小学校6年生のときに全国小学生選手権シングルスで優勝。中学からは福島にバドミントン留学し、富岡町立富岡第一中学校、福島県立富岡高校で全国制覇を経験。2013年からNTT東日本に所属。以後、日本代表として国際大会でも活躍。2015年に日本人男子シングルスで初めて世界的なトーナメント、シンガポールオープンで優勝。2016年に過去の賭博行為が発覚し出場停止となるが、復帰後の2018年9月に世界ランキング1位となり、2021年11月まで121週にわたり1位の座を守った。2019年に記録した主要国際大会11勝はギネス記録にも認定。2020年1月に交通事故で大怪我を負うものの、翌年の東京五輪に出場。2024年に代表引退を発表。今シーズンからはNTT東日本でコーチ兼任として活動。

モヤモヤを抱えながらの東京五輪

そこまで語った桃田は、ひと息ついてこう続けた。

「ただオリンピック運はなかったかもしれません。人生を変える大会だとは思っていたし、金メダルを取った方の喜ぶ様子を見て、その価値も感じていました。金メダルを取って、表彰台の上で『君が代』を聴きたいという気持ちは、もちろんありました。ただ東京五輪に関しては、大会前のインタビューでは『金メダル取ります!』と言っていたんですが、勝てないだろうなというのは自分で感じていました。事故の後はずっとモヤモヤした気持ちで戦っていましたから……」

事故の1ヵ月後には練習に戻った彼は、1年間の延期期間に調子を取り戻しているように見えていた。試合でも結果を残し、万全の状態で地元大会を迎えたと思っていたのだが。

「事故の影響もあって、全身いろいろなところに痛みを抱えていましたし、自分の思っている動きができないというモヤモヤを抱えていました。イメージと実際の動きのズレがすごかった。そういうフラストレーションを抱えて、いつプツンと切れて逃げ出しても不思議じゃないくらいの精神状態だったんです。

練習もじゅうぶんやっていたし、痛みやモヤモヤから抜け出すためのさまざまなトレーニングにもチャレンジしました。でも万全には戻らなかったし、この状態で勝てるわけではないというのは自分でわかっていました。だから正直、プレッシャーも感じてなかったんです。期待に応えたいという思いはありましたが、バドミントンがそんなに甘くないことも理解していますから。

それにしても、東京五輪では負けるのが早かったですけどね(笑)。もう少し頑張れなかったかなと。だた、もしあの状態で金メダルを取ったとしても自分では納得できなかったと思います。自分の理想のバドミントンとはほど遠い状態でしたから」

昨年2024年、日本代表からの引退を発表し、今シーズンからはNTT東日本でコーチ兼任として活動している。

「気持ちは選手のままです。でも勝敗の最前線からは一歩引いて、バドミントンを俯瞰して見られるような感じになっています」

桃田にとっての「理想のバドミントン」とは? 次回、桃田が彼の突き進む“バドミントン道”について語った(6/29公開)。

衣装クレジット
ブルゾン¥438,900、シャツ¥114,400、Tシャツ¥129,800、パンツ¥148,500、シューズ¥381,700(すべてベルルッティ/ベルルッティ・インフォメーション・デスク︎ TEL:0120-961-859)

TEXT=川上康介

PHOTOGRAPH=SHIN ISHIKAWA(Sketch)

STYLING=鈴木肇

HAIR&MAKE-UP=長橋雪恵

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