戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後4年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」35回目。
時代と年齢に人間は勝てない
「人間が絶対勝てないものは時代と年齢だ」
野村克也が1977年のオフ、南海(現・ソフトバンク)のプレーイング・マネージャーを解任されたのは42歳の時だった。
“生涯一捕手”というテーマを掲げていた野村は、ロッテ、西武に移籍して現役を継続することになる。
そんな野村が引退を決意した瞬間がある。
1980年9月28日、西武球場(現・西武ドーム)での阪急(現・オリックス)戦。走者を三塁において、野村は打席を迎えた。
野村はそれまでに通算犠牲フライを113もマークしており(今も破られていないプロ野球歴代1位の記録)、「犠牲フライなんて、いつでも打てる」と思っていた。
しかし、当時の根本陸夫監督はそれを知ってか知らずか、野村に代打を出したのである。その代打選手は、結果的に犠牲フライを打てなかった。
「いい気味だ」
野村はそう思った瞬間、自らを恥じた。
「チームスポーツにおいて、チームの勝利を思わなくなったら、身を引くべきだ」
確かに体力、肩は衰えてきていた。内角の球に腰がうまく回らなくなっていたのである。
この年の11月15日、野村は引退会見を行った。
しかし、それでも野村にはこんな考えがあった。
「若い頃に流さなかった汗は、年をとった時に涙に変わる。テスト生としてプロ入りし、まったく期待されていなかった自分がなんとか現役を27年間続けられたのは、満足せず必死に努力を続けたからだ」
20代前半はとにかくバットを振って“貯金”をつくったし、相手投手に対する情報収集も欠かさなかった。
「落合・中日」時代を経て屈強に
落合博満は中日の監督時代、8年間でリーグ制覇を4度果たし、日本一も経験した。
落合自身、45歳のシーズンまで現役を続けたが、山本昌(現役1984~2015年)や谷繁元信(現役1989~2015年)、和田一浩(現役1997~2015年)、岩瀬仁紀(現役1999~2018年)、荒木雅博(現役1996~2018年)など、「落合・中日」時代に活躍した選手は、40歳を越えても現役を続ける選手が多かった。
選手たちが落合の「練習漬けの春季キャンプ」で“貯金”をつくり、それがベテランになってから活きたことも大きいだろう。
2024年シーズンの40歳以上は10人。円熟味を帯びる“不惑”の選手たち
以下、今季40歳以上の選手を紹介する。
・石川雅規(ヤクルト)
44歳。通算185勝。石川が尊敬する“50歳投手”山本昌(中日)は、43歳終了時点で193勝だった。
・和田毅(ソフトバンク)
43歳。最後の“松坂世代”。2023年シーズン、自己最速を149キロに更新。松坂の通算170勝まで残り7勝。
・青木宣親(ヤクルト)
42歳。王貞治の通算2703安打まで、残り83安打。
・中島宏之(中日)
42歳。通算1928安打。もうひと花咲かせるべく、中日に移籍。
・比嘉幹貴(オリックス)
42歳。2021年から3年連続で30試合登板。緩急を巧みに使うサイドスロー。
・中村剛也(西武)
41歳。2023年はチーム最多の17本塁打。通算500本塁打の大台まで残り29本。
・栗山巧(西武)
41歳。中村と同期で2008年の優勝メンバー。通算2120安打。
・長野久義(巨人)
40歳。丸佳浩の人的補償で広島に5年間在籍し、2023年巨人に戻った。通算1500安打まで残り14本。
・平野佳寿(オリックス)
40歳。2023年、史上4人目となるパ・リーグ初の日米通算250セーブ達成。
・岸孝之(楽天)
40歳。2023年シーズンはチームトップの9勝。田中将大、則本昴大とともに投手陣を支える。
まとめ
若い時に流した汗が糧となり、花を咲かせ、結実する。“不惑”の選手の活躍は、若い時に努力した証であり、その活躍は周囲を元気づけ、存在自体が手本となる。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。