戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」6回目。
矢野燿大監督は、2022年キャンプ初日に退任を口にした
思えば2021年のペナントレース。開幕ダッシュを果たした阪神は、6月18日の時点では61試合40勝19敗2引き分けの貯金21で、2位に7ゲーム差をつけていた。誰もが優勝を予想した。最終的に143試合77勝56敗10引き分け、貯金21、勝率.579。
優勝したヤクルトは73勝52敗18分け、貯金21、勝率.584。決して阪神が失速したわけではない。ヤクルトが阪神を上回った。コロナ禍で9回打ち切りのため引き分けが増えたことも影響した。
翌2022年春季キャンプ初日の2月1日、「2022年限りの退任」を口にした矢野燿大監督に周囲は驚愕した。
「退路を断って」と本人は理由を語っている。賛否両論だった。
「監督を男にして、花道を飾ろう」という選手たちも多かっただろうが、開幕戦でヤクルトに7点差を引っくり返され、結果は開幕9連敗と裏目に出た。
その少し前2021年11月、新庄剛志は日本ハム監督就任会見で破天荒な発言をした。
「優勝なんか一切、目指しません。高い目標を持ちすぎると、選手はうまくいかないと僕は思っている。地味な練習を積み重ねて、9月あたりに優勝争いをしていたら、さあ、優勝を目指そう!」
3年連続5位だった日本ハムは、翌年の2022年、ついに最下位に沈んだ。
遡ること2006年4月、日本ハム選手時代の新庄は、「シーズン限りでの現役引退」を公表している。
「ヒルマン・日本ハム」は5位から優勝を果たし、新庄は有終の美を飾った。そのことが矢野の頭にあったのだろうか。
個人スポーツでも、後援スポンサーや観戦ファンのことを考慮して、そのシーズン限りでの現役引退を早めに公表する選手がいる。しかし、個人の現役引退と、組織を率いる長の退任は事情が違う。
戦う前、第2戦と第4戦は「捨て試合」にしよう
矢野の「今季限りの退任」発言を聞いたとき、古いプロ野球記者は、1973年パ・リーグのプレーオフでの野村克也の発言を思い出したのではないだろうか。矢野の「今季限りの退任」と、後述の野村の「負けても仕方ない」は、意味は違うが、似た空気感を感じるのだ。
前後期65試合ずつの2シーズン制を採用。野村克也がプレーイングマネージャーを務めた南海(現・ソフトバンク)は、阪急(現・オリックス)に8勝5敗と勝ち越して前期に優勝するが、後期は0勝12敗1分と全然歯が立たなかった。エース・山田久志、世界の盗塁王・福本豊を擁する当時の阪急は、実に強かった。
日本シリーズ進出のために野村は考え抜いた。そして選手に伝えた。
「全部勝とうと無理すれば、勝てる試合も落としてしまう。5試合制で3勝すればいいのだから、1・3・5戦に全力を尽くそう。2・4戦は最悪負けても仕方ない。勝てば儲けものと考えよう」
第1戦は西岡三四郎、佐藤道郎、村上雅則、江本孟紀ら主力投手の継投で4対2の勝利。第3戦も6対3で勝利した。
そして、野村の言葉に選手たちは気が抜けて、第2戦は7対9、第4戦は1対13と偶数試合に敗戦。特に第4戦は惨敗だった。
結局、第5戦を辛勝で制し、野村は悲願の「監督初優勝」を手中にした。シナリオどおりだったが、野村は猛省の弁を口にした。
「勝ったからよかったものの、やはり『第2・4戦は負けても仕方ない』などと、監督として、リーダーとして絶対言ってはいけない言葉だった。本当に後悔した」
ある大学教員が話す。
「頑張ったら、休講にしてあげるから」と言うと、「先生は休講にする準備があるのだ」と、その時点で学生の学習意欲のモチベーションが明らかに下がる。だから「決して言ってはならない」と。教育心理学でいう「報酬の弊害」だ。
「野球の歴史は勝者の歴史。野球は結果論、監督も結果論
現役時代のON(巨人で活躍した王貞治・長嶋茂雄コンビのこと)は、オープン戦を含めて「シーズン全試合出場」を目標にした。監督になってからは「全試合勝ちにいく熱意」を貫いた。人生で一度しか、巨人の選手とその勝利を、球場で観戦できないかもしれないファンのためだ。
目の前の試合を勝ちにいくために、好投手を次から次へと試合につぎ込んだら投手陣がパンクしてしまう。だから王と長嶋の采配は周囲に批判を浴びたこともあった。しかし、優勝の十字架を背負う巨人の選手は、他の球団選手に比べ、伝統的に「優勝を狙う熱意」が浸透している。それは取材をしていてもヒシヒシと感じる。
シーズン前、「去年は最下位だったから、今年はまず3位を目指す」と言う監督は普通いない。
戦力が明らかに劣り、どう戦おうとBクラスが明白なチームでも、絶対「優勝を狙う!」と言わなくてはならない。そうしなければ、選手の気が抜けてしまい、勝てる試合も落としてしまう。
それは、2023年のWBC準決勝を見ても明らかだ。
準決勝、日本VSメキシコ戦。4対5で迎えた9回裏無死一、二塁。打者は5番・村上宗隆(ヤクルト)。
ベターなシナリオは、残った最後の野手・牧原大成を村上の代打に出して送りバントで一死二、三塁。途中出場の6番・中野拓夢(阪神)がセーフティー・スクイズで5対5の同点。二死三塁から7番・山田哲人(ヤクルト)の勝ち越しの一打にかける。
最悪のシナリオは、村上にそのまま打たせて内野ゴロゲッツーで二死三塁。6番・中野(代打・牧原)が凡退して4対5の敗戦。しかし、村上に打たせれば、サヨナラ3ランで7対5の勝利もありうる。
栗山監督は後者にかけた。村上と心中だ。結果はサヨナラ2点二塁打。村上を信じ、賭けに勝った。栗山監督はWBC前に語っていた。
「野球の歴史は勝者の歴史、優勝以外は失敗だ。WBCは世界一だけを狙う」
勝負事は勝つことが目的なのだから、勝たなくてはならない。特に集団を率いるリーダーは「負けても仕方ない」などと、絶対に口にしてはならない。野球は結果論で語られる。監督やリーダーの成否も結果論で語られるのだ。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。