なぜシーズン前に退任を発表したのか、選手選考に私情は挟んだのか、サイン盗みはあったのか……。元阪神タイガース監督・矢野燿大に、スポーツライター・金子達仁が独占インタビュー。今だからこそ話せる、その真意を探る。短期連載第2回。
本当は3年目に優勝して辞めたかった
2022年の沖縄キャンプイン初日、矢野はその年限りで監督の座から退くことをミーティングで選手たちに伝えた。
翌日、在阪のメディアは大騒ぎになった。そして、そのほとんどは、矢野の決断を否定的に捉えるものだった。確かに、これから戦いに臨もうとする集団の長が、自分が今季限りでチームを去ることを告げるのは、前代未聞だった。
「ほんまはね、3年目に優勝して、退任できたら、それが一番キレイというか、ちょっとズルいかもしれへんけど、まあ、かっこええし(笑)。ただ、結果として優勝はできなかった。一方で続投のオファーもいただいた。そこで考えたんです。就任してから、ずっと選手たちに挑戦しようぜって言ってきた。そんな人間が、また挑戦する機会をいただいたのに逃げるって、言ってる自分に行動が伴ってないやんかって」
続投を決断した矢野の脳裏には、若いころからみてきた一人の選手の姿もあったという。
「ぼくは想像するしかないんですけど、4年前に大腸がんの宣告を受けた時、原口(文仁)、きっと自分の死みたいなことを意識したと思うんです。幸い、病気は治って彼はチームに戻ってきた。もともと、選手としての姿勢は素晴らしい男だったんですが、帰って来たあいつは、もうとんでもなく素晴らしい男になってたんですよ。
あのとき、思ったんです。そうか、いつまでもできると思うんじゃなくて、いつか来るかもしれない期限を決めることで、人間の可能性って広げられるんかもなって」
タイムリミットと広がる可能性
独走状態だった就任3年目に優勝を逃した責任を、矢野は強く感じていた。自分が何かしていれば、ヤクルトに大逆転を許すこともなかったのでは、という思いも捨てきれずにあった。いまの自分にはない何かを引き出すために、今度こそチームを優勝に導くため、ようやくたどりついた結論が、今シーズン限りというタイムリミットを宣言することだったのである。
「まず、気持ちの持ち方が変わってきますよね。来年もやるのであれば、今日、いまやってるのと同じことを、来年もしてるかもしれない。でも、来年はない。そうしたら、自分の中の全力を尽くそうって気持ちは強くなるし、どうしようかな、これ言った方がええんかな、言わん方がええんかなみたいなことも、伝えとかなあかん、いまやれることはやっとかなって、強く思える」
ただ、何より大きかったのは選手たちに対する思いだった。
「今季限りだということは、もうオーナーには伝えさせてもらってる。それを選手には言わないでおいて、シーズン中にポンッと出たりしたらどうなるか。なんや監督、辞めるつもりでやっとったんかってことにはならないか。それって選手に対する裏切りちゃうやろか……。いろいろ考えました。やっぱりそれはないかなと思うときもありました。でも、総合的に考えて、もう伝えよう、伝えてしまおう、退路を断って、俺も一日一日を全力でやりきろう。そう決めたんです」
開幕から9連敗を喫し、借金が16を数えたころには、あちこちから今季限りの辞任を明らかにしたこととの因果関係を求める声が矢野の耳にも届いた。そうした声が、彼の気持ちを揺さぶらなかったかと言えば、それは嘘だろう。
だが、監督の座を退いた2023年3月の矢野に、後悔はなかった。
「自分に都合のいいように解釈してるだけなのかもしれないですけど、最悪の開幕スタートにも関わらず、選手たちは3位に食い込んでくれたのかなって。結果的に優勝には届かなかったですけど、最後まで諦めず、粘ってくれましたからね」