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2023.04.17

WBC優勝監督・栗山英樹と元阪神監督・矢野燿大は何が違ったのか?

なぜ、シーズン前に退任を発表したのか、選手選考に私情は挟んだのか、サイン盗みはあったのか……。元阪神タイガース監督・矢野燿大に、スポーツライター・金子達仁が独占インタビュー。今だからこそ話せる、その真意を探る。短期連載第1回。

なぜ、栗山英樹は名将たりえたのか

監督という仕事は、概ね、結果論で評価される。

WBCが終わったあとの日本で、栗山英樹監督は伝説的名将の座に祭り上げられつつある。おそらく、当分の間はメディアに引っ張りだこの状態が続くだろうし、その名声はいよいよ高まっていくことだろう。

ではなぜ、就任直後は手腕を疑問視する声もゼロではなかった栗山監督が名将たりえたのか。

言うまでもなく、勝ったから、だった。

人心掌握術に長けていたからでも、ヌートバーをアメリカから連れてきたからでもない。大谷翔平やダルビッシュ有がチームに加わったのは紛れもなく栗山監督の功績なのだが、しかし、結果が違っていれば、まったく違った評価が下されていた可能性もあった。

袋叩きになっていた可能性すら、あった。

1点を追う最終回。無死1・2塁。次のバッターは打率2割──圧倒的多数の日本人が送りバント、もしくは代打策を考える場面で、栗山監督は強攻策に出た。後にアメリカの放送局から「WBC史上最高の名勝負」との評価を受けることになるメキシコ戦のサヨナラ勝ちは、あの場面で栗山監督が村上宗隆を信じたことから生まれたわけだが、確率論や村上の打率から考えて、五分五分よりもさらに分が悪い賭けでもあった。

もしあの場面、村上のバットがそれまでの打席同様に空を切っていたら。あるいは、バットの芯の上下いずれかにほんの数ミリズレて当たっていたら。

ファンは、評論家は、日本人は、定石から外れた手を打った栗山監督をどう評価しただろうか。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

叱責ではなく信頼、監督と選手の新たなカタチ

栗山監督率いる侍ジャパンのWBC優勝は、大げさではなく、これからの日本を変える可能性を秘めている。長い間、この国ではスポーツの監督と選手の関係を会社の上司と部下にたとえてきたが、では、栗山監督は社長で、大谷やダルビッシュは平社員だったのか。選手たちは栗山監督の命令に絶対服従で、常に上目づかいで動向を探っていただろうか。たった一度でも、監督から罵声を浴びせられた選手がいただろうか。

真相は、わからない。ただ、メディアが伝えた栗山監督の姿は、できる限り選手と対等の関係であろうとし、叱責ではなく信頼でつながろうとした彼の姿は、これからの日本のスポーツ界において、新たなスタンダードとして認識されていくことだろう。

勝つためなら選手を罵倒しても構わない。体罰ですら時には容認される──それが正しい、間違っているという議論以前に、そもそも受け入れられない、ありえないと考える層がいよいよ多数派になっていく。

すべては、勝ったからこそ起きたことだった。

監督という仕事は、概ね、結果論で評価される。

栗山英樹と矢野燿大、似て非なるものとは

矢野燿大は、阪神タイガースを優勝に導くことができなかった。ファンの中には、今なお、彼を無能呼ばわりして憚らない人たちもいる。監督という仕事の宿命を思えば、それも仕方のないことだということは、他ならぬ矢野自身が一番よくわかっている。

だが、WBCという舞台で栗山英樹がやってのけたことは、阪神タイガースでの4年間で矢野がやろうとしたことと、あまりにも似通っていた。

彼は、旧来の監督と選手の関係ではなく、よりフラットな、たとえていうならば活気あふれる学校の教師と生徒の関係を目指していた。そのために心がけたことの一つが、できる限り選手を名字ではなく名前で呼ぶこと、だった。少数の選手だけを名前で呼んでいたら溝が生まれかねないと、できるだけ多くの選手を名前で呼ぶように心がけてもいた。

ただ、そのやり方が旧来のもの、あるいはいわゆる王道から外れたものだったこともあり、ファンや評論家の中からは根強い反発の声があった。何より、チームを優勝に導けなかったことで、矢野が史上初めて一度もチームをBクラスに落とさなかったこと、や、そもそも就任した前年の阪神はセ・リーグ最下位だったこと、2000年代と違って日本代表で主力を張るような選手がいなかったことなどは、あまり省みられなかった。

プロ野球監督に共通するハンデ

矢野に限らず、コロナ禍のプロ野球監督には、共通するハンデがあった。

通常、プロ野球の取材は番記者と呼ばれるその球団担当の記者が張りつき、チームと行動を共にすることが多い。当然、取材対象との人間関係は密になるし、試合後には会食に出かけることも珍しくない。彼らは、そこで一般のファンが知り得ない情報や思惑などをキャッチしている。

だが、世界中を襲ったウィルスは、伝統的な取材スタイルを大きく変えさせてしまった。試合後の会食はもちろんのこと、スタジアムで監督や選手の周りに記者たちが群がる、いわゆる“ぶら下がり”の取材も禁止された。記者だけではない。より深いパイプを持つOBたちも、原則、選手や監督と接することは難しくなった。

結果、これまでは伝わっていたこと──たとえば苦渋の決断を下すまでの葛藤であったり、賛否を呼ぶ采配に至った経緯といった、結果に至る部分のところが著しく伝わりにくくなった。記者たちは結果のみから監督を判断せざるをえず、結果を出せなかった監督に対する風当たりは、確実に厳しくなった面があったかもしれない。日本を世界一に導いたベテランや、就任1年目だった球団のレジェンドに対しても、容赦なく厳しい声が寄せられた。

矢野燿大が下した結論のほとんどには、矢野なりの考え、裏付けがあった。ただ、彼がそうしたものをファンに伝えられる機会は、決して多くなかった。

だが、コロナはようやく終焉へと向かい、矢野はフリーの評論家へと転じた。

あのとき、何があったのか。

ぶつけたすべての疑問に、彼は答えてくれた。

第2回に続く

矢野燿大インタビュー連載記事はコチラ

右:矢野燿大/Akihiro Yano
1968年大阪府生まれ。元プロ野球選手。捕手。1990年度ドラフト2位で中日ドラゴンズ入団。1998年に阪神タイガースへ移籍。2003年、2005年には、一軍の正捕手としてリーグ優勝に貢献。2008年、北京オリンピックの日本代表メンバーに。2010年引退。2013年〜2015年、侍ジャパンバッテリーコーチ。2018年10月、阪神タイガース一軍監督に就任。2022年監督を退任し、現在は野球解説者/評論家。
左:金子達仁/Tatsuhito Kaneko
1966年神奈川県生まれ。スポーツライター。ノンフィクション作家。1997年、「Number」掲載の「叫び」「断層」でミズノ・スポーツライター賞を受賞。著書『28年目のハーフタイム』(文春文庫)、『決戦前夜』(新潮文庫)、『惨敗―二〇〇二年への序曲―』(幻冬舎文庫)、『泣き虫』(幻冬舎)、『ラスト・ワン』(日本実業出版社)、『プライド』(幻冬舎)他。

TEXT=金子達仁

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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