なぜシーズン前に退任を発表したのか、選手選考に私情は挟んだのか、サイン盗みはあったのか……。元阪神タイガース監督・矢野燿大に、スポーツライター・金子達仁が独占インタビュー。今だからこそ話せる、その真意を探る。短期連載第3回。
梅野が嫌い!? 坂本を贔屓!?
選手を好き嫌いで選んでいる──これは、コロナ禍に指揮を執り、かつチームを優勝に導けなかったすべての監督が受けた批判といえるかもしれない。外部から見えるのはその選手を使った、あるいは使わなかったという結果のみ。なぜそういう決断に至ったかという部分が、そっくり抜け落ちてしまったからである。
矢野ももちろん、そうした批判と無縁ではいられなかった。
「言われましたねえ、矢野は梅野が嫌い、矢野は坂本を贔屓してる(笑)。まあ彼らどうこうはともかく、一般論として、ぼくも人間ですから自分の中に好き嫌いがあることは否定しません。少なくとも、ゼロではないかもしれない。ただ、ぼくの中の好き嫌いと、自分たちの野球を貫くのとどちらを優先させるかと言えば、そんなもん、考えるまでもない」
ではなぜ、彼はワンバウンドを止める能力や盗塁阻止率、さらには打撃の能力に至るまで、数字上では明らかにチームナンバーワンのキャッチャーだった梅野隆太郎を、坂本誠志郎と競わせる形をとったのか。
「ぼくはキャッチャーというポジションには、見える能力と見えない能力があると思っているんですが、梅野の場合、見える能力では、他のキャッチャー、たとえば坂本と比べても上回ってる。じゃあ坂本はどうなのか。ピッチャーに対する準備の力であったり、声のかけ方であったり、あるいはサインを出す上での根拠であったり、そういう見えない部分での能力がめちゃめちゃ高いんです。同じポジションをやってきた人間からみても、あいつは凄い」
よく、キャッチャーは“女房役”とたとえられることがあるが、矢野の目に映る梅野は言ってみれば、引っ張っていくタイプで、坂本は徹底的に尽くすタイプの女房だった。それぞれのタイプに優劣をつけるつもりなど、矢野にはなかった。彼が狙ったのは、タイプの異なるキャッチャーを競わせることで、それぞれが自分に足りない一面を自覚してもらうことだった。
北京五輪、イ・スンヨプに打たれた決勝ホームランで変わった
だが、そうはいっても、梅野の「見える部分」に関する能力は、阪神タイガースはもちろんのこと、球界全体を見回してもトップクラスにある。WBCのメンバーにこそ選出されなかったが、彼は東京オリンピックの金メダリストでもあった。
それほどの選手を、矢野は時にベンチに置いた。そこには、矢野自身が経験したオリンピックの記憶も関係していた。
「ぼく、北京オリンピックでイ・スンヨプに決勝ホームラン打たれてるんですよ。あの経験はもう一生忘れないし、あそこからキャッチャーとして変われたというか」
それは、韓国との準決勝だった。レフトのG・G佐藤が痛恨の落球を犯した試合、と言えば、思い出される方も多いのではないだろうか。だが、結果的に2-6で敗れたこの試合、矢野の脳裏にこびりついて離れないのは、2-2で迎えた8回裏1アウト、ランナーを1塁に置いた場面で自分がやったこと、やってしまったことだった。
「あとで映像を見返してみると、ぼく、イ・スンヨプのインコース低めのところに、普通にスパッと構えてるんです。イ・スンヨプの弱点と言えばインコースの高め。なのに、それをきっちりと岩瀬(仁紀)に伝えておくこと、共通認識として強く持っておくための作業を、ぼくは怠ってしまった。絶対に長打が許されないあの場面、インコースを要求するなら、インハイに構えなきゃいけないし、そうすれば、岩瀬はきっちり投げられるピッチャーなんです。なのに、ぼくは普通にインコースに構えてしまって、結果は決勝ホームラン」
落球という「見えやすい」失態があったこともあり、大会終了後、怒りに燃え上がる世論の矛先が、矢野の配球に向けられることはほとんどなかった。矢野がちゃんとしていれば、あのホームランは防げたかもしれない。そう考えていたのは、ひょっとすると、矢野ただ一人だった。
以来、キャッチャーとしての矢野は変わった。
「たとえば構え方であったりとか、一球に対する意図をピッチャーに伝えることの重要性であったりとか、それまで以上に、はっきりと意識するようにはなりました。あの試合に関しては、いくら後悔しても足りないぐらいなんですけど、その後のプラスになった面はありました」
北京で矢野が痛感した「見えない部分」の重要性は、彼にキャッチャーとしての多くのことを教えてくれた野村克也が常に口にしていたことでもあった。だから理屈としては、矢野も十分にわかっていた。
ただ、骨の髄までには染みていなかった。
言われるだけでは本物ではない。痛みを伴う経験でしか理解できないこともある──それが、金メダルを逃した代償として得た北京での教訓だった。
矢野が標榜した「楽しむ野球」の真意
教訓は、それだけではなかった。
「あのチームは金メダルしか期待されてなかったですし、ぼくらも、それしか考えてなかった。で、どうなったかっていうと、怖かったんですよ、試合やるのが。生まれて初めて。絶対に勝たなあかん。ミスしたらあかん。ぼくだけやない、みんなもうガチガチですよ。今回のWBCで、ダルビッシュがいかに楽しめるか、みたいなことを言ってましたけど、その気持ち、めちゃくちゃよくわかりました。楽しむっていうと、なんや不謹慎やみたいに感じる方もいらっしゃるでしょうけど、そうやない、結果だけに囚われる集団より、戦いを楽しめる集団の方が力を出せるんちゃうか。ぼくはそう思うんです」
純粋に結果だけにこだわるやり方を否定するつもりはない、と矢野はいう。ただ、それは彼がやりたい野球ではなかった。
選手の好き嫌い問題同様、矢野が標榜した「楽しむ野球」には批判の声も少なくなかった。だが、ペッパーミルのパフォーマンスが全国に知れ渡ったいまならば、ファンの受け止め方もまた違ったものになっていたかもしれない。
優勝には届かなかった。けれども、矢野が目指したものは、3度目の戴冠を果たしたWBC日本代表と、間違いなく同じ方向を向いていたからである。