なぜシーズン前に退任を発表したのか、選手選考に私情は挟んだのか、サイン盗みはあったのか……。元阪神タイガース監督・矢野燿大に、スポーツライター・金子達仁が独占インタビュー。今だからこそ話せる、その真意を探る。短期連載第4回。
初めてメンタルがやられた
開幕ダッシュに失敗するのは、2022年シーズンが初めてのこと、というわけではなかった。
就任2年目となるシーズンも、阪神は開幕からの4カードを終えて2勝10敗という大失敗のスタートを切っている。その1年後、首位を独走し、在阪メディアが色めき始めたころに受けたインタビューで、矢野は「当たり前のことなんですけど、外食もできなかったじゃないですか。試合に負ける。部屋にずっといる。外出は散歩ぐらい……気持ちを切り換えるのが難しかったです」と振り返っている。
だが、球団史上最悪となる開幕からの9連敗の激痛は、比べ物にならなかったという。
「初めてメンタルやられてるっていうか、ヤバいなっていう自覚はありました。やっぱりキャンプイン当日に辞めるって伝えたのがあかんかったんやろか、とか、考えてもしゃあないことばっかり考えてしまって。正直、何をどうしていいかわからなくなってたところはありました。2年前は部屋で大人数で集まる事は禁止されていたけれど、ヘッドコーチの井上が部屋に来てくれて話しを聞いてくれた。そんな心遣いが俺の心を救ってくれましたね。ただ、去年の場合はそれすら禁じられてた。まあ、しんどかったですね(笑)」
前年度、ヤクルトに大逆転を許して17年ぶりの優勝を逃していたものの、勝ち星の数ではセ・リーグ1位の阪神だった。当然のように高まる「今年こそ」の期待の中、しかし、矢野は大きな不安を抱いて開幕を迎えていた。
7点差からの衝撃的な逆転負け
「その前のシーズンまで、投手起用に関するぼくの仕事って、抑えのスアレスにつなぐまで、やったんですよ。極端な話、スアちゃんにバトンを渡したら、はい、おしまい。それぐらいぼくらは彼を信頼してたし、彼も見事に応えてくれてた」
そのスアレスが、メジャーへと旅立った。
「彼の人生を考えたら素晴らしいことやし、そもそも、その前の年もよう残ってくれたんです。行きたいのを我慢して。なので、メジャーに行ったこと自体には、しこりもなんもないんですけど、ただ、監督としての立場から考えると、正直、痛かった。ほんまやったら去年足りなかったところを埋めてかなあかんとこなんですが、欠けたピースがでかすぎて、戦力的には相当なダウンやなっていうのは思ってました」
矢野にとって、阪神にとって不運だったのは、開幕直前、主力投手陣の何人か、特にエースの青柳晃洋がコロナに感染し、戦線離脱を余儀なくされたことだった。急遽開幕投手に抜擢された藤浪晋太郎はイニングを稼ぎきれず、まだ役割の定まりきっていなかった中継ぎ以降の投手陣は、満を持して、ではなく、むしろ引きずりだされる形でマウンドに立つことになった。
そして、コロナ禍のために来日が遅れ、見切り発車の形で投入した抑えのケラーが、同点弾、決勝弾と2発のホームランを喫し、7点差を逆転されるという衝撃的な形で阪神の2022年シーズンは始まった。
「外国人選手がほぼ働けなかったのも大きかったですね。マルテが3番に収まってくれてたらだいぶ違ったんでしょうけど、ふくらはぎの状態がパンク寸前ということで、まったく機能しなくなってしまった。2年目のロハスも、性格はいいし、とにかく一生懸命なんで我慢して使いましたけど、1年目からの上積みみたいなものはほとんどなかった」
内面はボロボロ、でも顔だけは元気をつくった
ファンやメディアの間には、前年限りで契約を打ち切ったサンズを残すべきだった、という意見もあった。30代半ばを超えたこのアメリカ人は、毎年シーズン終盤に大きく調子を落としていたものの、序盤に関しては中核に値する働きを見せていたからである。
だが、矢野の中にサンズとの契約を延長するという選択肢はなかった。
「腰が悪かったんですよ、サンズ。それこそ、疲れがたまってくると、注射を射たないと歩くのもしんどいぐらい。なので、前半戦、まだ身体が元気なうちはバーッと行けるんですけど、後半はガクっと落ちる。加えて、相手に攻め方を覚えられてきた。基本、インサイドの速い球は打てないし、抜いたカーブも打てない。彼が打てるのはスライダーとフォーク。年齢は30代後半。主力として契約して、チームに置いておくのはちょっと難しいかなって」
抱えていた不安は最悪の形で的中し、期待の多くは誤算ばかり。「メンタルがやられた」という矢野の心中に、とんでもない考えも芽生えたという。
「いまやからこんなこと言えますけど、ぼく、コロナに1回もかかったことがなかったんですね。ああもう、コロナにかかってくれへんかなって。自分でシーズン終わったら辞めるって言ってたけど、コロナになってそれで退任って言ってくれた方がちょっとラクかなとか、とにかく、逃げたい自分が満載でした。病気と戦ってる方のことを思えば、とんでもない話ですけど」
内面は、もうボロボロだった。それでも、選手の前での矢野は、懸命に明るさを保とうとした。
「楽しもうやって言ってた人間が、ドヨーンとした顔してたら、選手は『あれ? 楽しんでもええの?』って思うやないですか。正直、できたかできなかったかはわからないですけど、かっこいい背中を選手たちに見せたい、見せなきゃとは思ってました。膝はもうガクガクやのに、顔だけ何とか元気つくって(笑)」
そこに意味があったのかどうかは、矢野にもわからない。ただ、中村時代、藤田時代、野村時代、そして金本時代……ひとたび最下位に転落するとそのままズブズブと沈んでいくのが常だったタイガースは、一時期「16」にまで膨らんだ借金を完済し、最後はなんとかAクラスに滑り込むことにも成功した。
“必死のパッチ”で保ち続けた虚勢が、少なくともマイナスに働かなかったということは、言えるのではないだろうか。