戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」25回目。
根拠があれば、失敗してもいい。リーダーの器が選手を成長させる
1989年に野村克也がヤクルト監督に就任する前、当時のヤクルトで2年連続30本塁打をマークした池山隆寛。フルスイングから放たれた打球がセンターまで伸びる豪快な打撃は「ミスター・バックスクリーン」「ブンブン丸」の異名を取った。
しかし、その代償として、2年連続リーグ最多奪三振も記録した。当時、野村は池山に言った。
「ブンブン丸と呼ばれて気持ちがいいか?」
「悪い気はしません」
「ブンブン振り回して三振したら、そこで攻撃は終わり。ワシは作戦の進めようがない」
野球選手は、幼いころから「見逃し三振はいけない。三振でもいいから、せめて積極的に振ってこい」と教えられて育っていることが多い。
しかし、野村が池山に言った「ブンブン振り回して三振するな」ということのニュアンスを説明すると、「三振すること自体は構わないが、闇雲に振り回すな」という意味なのだ。
野村ミーティングで「狙い球の絞り方」を学んだ池山は、野村が監督1年目の1990年、ちょうど100三振を喫したが、三振王からは脱却。打率.303、31本塁打97打点のキャリアハイの成績を残している。
1990年にプロ入りした古田敦也は、捕手の「こうだから、こうやって打者を打ち取る」という根拠のあるリードを自らの打撃に応用した。
つまり、逆に「こうすれば打ち取られない。安打を打てる」ということだ。
「肩は超一流だが、打撃は二流」と酷評された古田が、1991年に落合博満(中日)を僅差で振り切り、野村以来2人目の「捕手首位打者」に輝いたのである。
野村が阪神監督に就任した1999年、好打の捕手だった矢野燿大はプロ9年目にして、念願の打率3割をマークした。
野村が楽天に移ってから、野村の薫陶を受けた捕手の嶋基宏も同様に、課題の打撃を克服し、プロ4年目に「打率3割打者」の仲間入りを果たしている。
山﨑武司に言った「いくらでも三振しろよ」
山﨑武司(中日、オリックス、楽天)は、もともと三振が多いイメージがある。しかし、野村が楽天監督に就任するまでのプロ19年間、100三振を越えたことが1度もなかった。
シーズン三振90個台は5度あった。うち1度は99個だ。三振が多いと当時の中日の首脳陣が試合に使ってくれなかったので、山﨑本人が「シーズン100三振」のイメージがつくのを嫌った。
「タケシ、お前、三振するのが嫌いみたいだな。何でや」
「投球にバットを当ててゴロを転がせば、内野手がエラーするかもしれません」
「ワシはお前に、そんなことを求めてないよ。三振すればいいじゃないか。三振大いに結構。いくらでも三振しろよ」
そして、こう付け加えた。
「いい当たりのライナーを打っても1アウト、空振り三振も1アウト、見逃し三振も1アウト。1アウトに変わりはない」
「そんなもんですかね」
「だが、ただ三振するのはダメだ。自分が相手投手のことをいろいろ考えて、準備をしての三振なら仕方ない。それで三振したら、次を頑張れ。次はもっと考えて、頑張れ。それでも打てなかったら……、潔く辞めればいいだろう」
山﨑は和田毅(ソフトバンク)が苦手だった。
「いつも1球目から外角スライダーでカウントを稼がれている。ワシにだまされたと思って、今日はそれを狙ってみたら、どうだ?」
結果、山﨑は和田に対して2打席連続本塁打をマーク。以来、山﨑は「野村信者」となったのだ。
野村が監督に就任した2006年、プロ20年目の38歳のシーズンから5年連続100三振。しかし、39歳の2007年に本塁打と打点の二冠王、41歳でも39本塁打107打点を叩き出した。
内角球が打てなかった1番・真中は、初球を打ち凡打
野村ヤクルトの1番打者として、1995年と1997年の日本一に貢献したのが真中満。2001年にも若松勉・ヤクルトの「切り込み隊長」として日本一を牽引した。
ヒットをよく打った。タイプ的に三振が多い打者ではなかったが、四球も盗塁も多いわけでもない。
なのに不思議だったのは、初球から簡単に打って二塁ポップフライ、二塁ゴロアウトが多かった。2ストライクに追い込まれてから外角球を見逃し三振もあった。
引退後にその理由を明かした。
「外角球が全然打てなかったんです。だから、初球から内角球が来れば打っていきました。それが凡打でも、野村監督は全然怒りませんでしたね。選手として、とてもやりやすかったです」
要するに、2ストライクに追い込まれて外角低目の際どいところを攻められたら、ただでさえ外角球が打てないのに、さらに打てなくなる。
ならば、好きな内角球が初球から来れば打っていって、それが結果的に凡打であろうと構わない。
だから、三振でも凡打でも、「自分が打つための根拠なり、理由があったのか」を野村は選手に問うた。
根拠があれば、結果論で絶対怒りはしなかった。そのスタンスは多くの野村チルドレンの共通認識だ。
真中は監督就任1年目の2015年、それまで2年連続最下位だったチームをいきなりリーグ優勝に導いた。自身が監督に就任してからも、野村と同じように選手に接したのである。
まとめ
野球の打撃は3度のうち1度成功(安打)すれば一流と言われる。スポーツのなかでも最も難しいプレーの1つだ。闇雲に振っていても一流投手から簡単に打てるものではない。選手に「絶対◯◯が来る」という確固たる根拠があっての失敗なら、結果的に目論見が外れても指導者が非難することはナンセンスである。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。